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『甲州風物誌』上条馨氏著 一部加筆 山梨県歴史文学館
著者 略歴 大正十年二月七日 甲府に生れる 甲府中学 神宮皇學館卒業 甲府第一高等学校教諭を経て御崎神社宮司 山梨学院大学講師 同附属高等学校教諭 在学中の昭和三十六年一月三日急逝 事蹟 甲府二高祖校歌を作る 著書 既刊 「歌集、風塵抄」 「神道神学史論」 「甲州風物誌」
八刊 お礼のことばにかえて 上條和子
それは平成三年も明けてまだ間もない或日、私は孫の凧上げの手伝いをして初春のさゝやかな幸せに浸っておりましたところ、三十四年卒の加賀美尤祥様と内藤演弥様の訪問をいただきました。
甲府一高同窓会の記念に、 お話によれば今年、甲府一高同窓会総会の記念に亡夫の書き記しました「甲州風物語」並に「続甲州風物語」をまとめて再刊させて頂きたいとの由、もとより私に異存はございませんでしたが、一応義弟上峰加寿彦にもすぐ電話で説明、心よく二つ返事が返ってきました。 此の度、亡夫上峰馨の著書を記念品にお取り上げ頂きまして、各ご関係の皆様方に厚く御礼を申し上げます。泉下の夫も感謝申し上げている事と存じます。 を作ることは大変な仕事と素人ながら拝察いたしております。特に初版(昭和三十四年)から三十年余りも経過しておりますし、その上著者も亡くなっておりますので、どんなにか皆様にご迷惑をおかけした事と存じます。 今回亡夫の本を再刊するに当たり、私も拙文を依頼されましたので著書にざっと目を通し乍ら、三十一年前の事がまだ昨日の事の様に想い出されました。 殊に続篇の方は主人亡きあと皆様方のお力によりまとめましたので。 亡夫の事につきましては皆様の方が私よりお付き合いは長くよく知っていらっしゃいますが、純で素朴な性格でした。著書につきましてもその人柄を反映してか、肩のこらない飾りけのない自然体のまゝで、どなたにも親しみやすい文章だと思っております。 亡くなりましてから三十年も経ちますのに、今でもいろんな会合で、又町角で、亡夫の話をされ嬉しくもあり、又涙することもあります。 こんなに何時迄も皆様方の胸の中に生き続け、繰り返し思われ慕われて、遺族の私共にとりましても有難い事と感謝申し上げております。 私も、皆様のおかげで今日迄参りました。 ふとかけて下さいました言葉に励まされ、又どんなにか慰めされた事でせう。 御崎神社にご奉仕をさせて頂き、一人娘も結婚、孫にも恵まれました。長い間暖かいお心寄せを頂きました方々に近況を申し上げ厚く御礼を申し上げます。
左(下)の短歌は婚約中の私に寄せられたものです。
わが家の屋根にのぼれば君が住む 森と家とが山の下に見ゆ わが妻となるべき人と旅をする 日の近かづけば心はなやぐ 馨
尚私の心の中にも生き続けております。 末筆ではございますが甲府一高のご発展と、皆様方のご繁栄を祈念いたしまして拙き筆はございますが霊きぬ御礼を申しあげ挨拶にかえさせて頂きます。
再刊について
上條馨先生の[甲州風物誌]は名著として知られているが、版が絶えて久しく、人手は困難であった。その内容は多岐にわたっていて、足でこれをお調べになった当時の先生のご苦労が偲ばれるが、山梨に生まれ、あるいはそこに住む者にとって必読の書と言って過言でない。 本年度の同窓会記念詰の発行にあたり、その再刊を企図したのはこのような事情による。 先生は、神宮皇学館を卒業され、わが甲府中学・二高の「鎮守の森」と言われた御崎神社の神主であられたが、母校甲府中学の教諭となり、甲府一高となってからも在任された。その昭和二十三年、母校の新しい校歌が制定される際、これを作詞されたことはよく知られている。 先生は、そののち山梨学院大学講師、同附属高校総務課長に転じられたが、昭和三十六年正月早逝された。 歌集「風塵抄」のほか「神道神学文論」の著書を残されたが、郷土史家としては、この「甲州風物誌」正・続のほか「武田八幡奉献勝頼夫人願文の研究」が著書である。 今回再刊にあたり上峰和子夫人の快諾を忝くしたのはもとより、初版の印刷所であり、偶然にも我々と同期である内藤演弥君、表紙の装丁にはやはり同期で、画家の牧野繁夫君の労をわずらわせた。 折りしも、先生没後三十年、この年にこの名著を世に出すことが出来得たのを、我々の望外の喜びとしなければならない。 平成三年五月二十五日 創立111・平成三年度甲府中学・甲府一高同窓会総会実行委員会
平成三年五月二十五日再刊 『甲州風物誌』 『続 甲州風物誌』 著者 上條馨 発行者 創立111周年・ 平成三年度甲府中学(甲府一高) 同窓会総会実行委員会 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月28日 13時13分36秒
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