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2021年02月14日
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カテゴリ:井上靖の部屋

葡萄畠 『井上靖全詩集』

 

戦闘が烈しくなると、

必ずちらっと鳥影のように脳裡をかすめる思い出があった。

本州の北のはしの小さい都会、

そのまた北の郊外の葡萄畠で、

友と過した十数年前のある日ひとときの記憶である。

その時私たちは明日の試験を棒にふって、

有機化学のノートを枕にして、

神と愛と中世とギリシャについて語り合っていたのだ。

蓬髪の下の友の瞳はつぶらで、

頬は初々しく、

その周囲で空気は若葉にそまり、

時は音をたてて水のように流れていた。

怠惰で放埓で、純粋で高貴であった一日!

私が大陸から帰還すると、

友は入れ違いに応召してラバウルにあった。

日々の新聞がその小さい南の島の

きびしい戦況を伝え始めると、

私は大きい感動をもって思わずにはいられなかった。

曾て私がそうであった如く、

友もまた、必ずや死をもって充満された時の中で、

あの北の葡萄畠の一日の思い出を

あかず見入っているであろうと。

それから一年、

終戦になってラバウルから部隊は引揚げてきたが、

ついに友の姿はなかった。

友がおそらく最後の瞬間まで胸に

抱きしめていたに違いない私と彼との共同の、

遠い青春の日のカンバスの中で、果してその日の

私の小さいしぐさや言葉は、

友の灼け爛れた想念を慰するに足るものであったか、

どうか。この思いほど、

私に取り返しのつかない青春への侮を

心痛く感じさせるものはない。

 






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最終更新日  2021年02月14日 15時19分41秒
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