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浅間山噴火の瓦版
岩田豊樹氏著(古地図収集家) 一部加筆 山梨県歴史文学館
日置昌一著の「国史大年表」により、天明三年(1783)の記事を拾ってみると大災害であった事が判明する。
* この瓦版は天明三年六月二十九日~七月十八日頃までも噴火・熱灰・洪水などによる 被害の状況を報道したもの。
六月二十九日 浅間山異変の兆あり。 七月四日 浅間山鳴動する 七月七日 浅間山降灰する事甚だし 七月八日 浅間山大噴火あり、災害の及ぶ所四十里 死亡するもの二万余人に達す。 八月廿五日 幕府浅間山の灰殖の為め埋設したる田畑間掘りの件に付き 勘定吟味役根岸鎮衛を遣す。 十一月中 浅間山の被害地方にて、儂民徒党して乱を企てるにより、 荒廃の田畑を開掘りし、飢民を賑恤すべき事を命ず。 諸国飢饉して奥羽最も甚だし。
図の各所に災害の記事つき、左端に噴火の全般的な説明文がある。 判読困難の個所を省略、一部を紹介してみる。
六月二十八日より山鳴、少しづつ灰ふり、 七月六日灰ふり、夜に入砂ふり、 七日震動厳しく、雨なくして、雷つよく砂利ふる 七夕の□□□四つごろより大いに暗くなり、 家内に行燈提灯を燈す。 八日降り頻る砂一坪に二石一斗より六斗位と云う。 四つ過ぎ□□震動雷強く、雲一面に赤くなる、泥降る。
判読力不足の為に誤読があるかも知れない。頭上に流れる吾妻川には図上に流れる吾妻川には流出する人家、死体が描かれ、浅間山噴火の絵が稚拙で面白く、 「七月八日四ツ過、戌亥(北西)の方やけぬけ、あがつま郡(吾妻郡)の方押出」とあるのは、今日の鬼押出(おにおしだし)にあたると推定される。 天明浅間大噴火の降灰は、関東の北部から西部一帯に降った。 農作物は全滅して大飢饉妻なり、百姓一揆が再三発生している。 天明時代(一七八一~八九)には、生産性の低い奥羽地方を主として全国的に不作と天災の時期でもあった。 この瓦版はよくまとまっているから江戸版かも知れない。地元ではこの瓦版は天明三年六月二十九日より七月十八日ごろまでの噴火、地元では出版する組織も買う人もなかったと推定する。私が実見した浅間山の噴火の瓦版はみな半紙一枚大で急いで売られたせいか粗雑な図ばかりだがヽ楽しく面白い。瓦版も江戸末期出版のものは多いが、天明ごろとなると稀品となっている。最近、絵の面白い瓦版は特に人気が高くなってきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年03月11日 04時51分49秒
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