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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年03月17日
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カテゴリ:山口素堂資料室

毫の秋 ふでのあき 寺町百庵

 

この書には、山口素堂について重要な内容が記載されている。

  

一、素堂の孫素安のこと。

 二、素堂と百庵の関係。

 三、素堂亭が享保二十年まで存在していたこと。

 四、素堂号の継承のこと。

 

 これらのよって、これまでの素堂事績・生涯が大きく変わること。

 

【毫の秋 本文】

 

解 題

 

寺町百庵編。

九歳で夭折した編者の息安明の一周忌追善集。

百庵は寺町氏、名は三知、また友三。

号を道阿・梅仁翁・不二山人・新柳亭という。

また、蜃子(しんし)言満と狂名し、越智百庵とも記している。

天明六年二月二十七日没。享年九十二。

浅草清元寺に葬る。

居所を替る癖があり、移居百度に及んだので百庵と号したという。

幕府の茶坊主で百俵二人扶持をうけ、御坊主組頭をつとめたが、

事あって(柳営連歌の連衆となるべく運勤したためと伝える)

鼓楼の時守に落とされ、後には小普請入りとなる。

茶坊主三百余人の中で、成島道筑と並んで名物男となり、

かの紀伊国屋文左衛門が吉原で豪遊し、

小粒金で豆撒きをした時、

その撒き手となったのが百庵であったと伝える。

俳諧は二世青峨門(一説に素堂門)で、

編著に『花葉集』(明和頃刊)がある。

俳諧のほか連歌師、歌学者、故実考証家としても知られ、

『梅花林叢漫談』『林叢余談』『歌嚢井蛙談』『楓考』

『蕨薇考』『花月弁』『芭蕉考』などの著書かおる。

 

編者自身や息安明の生い立ちを語った冒頭の追悼文は伝記資料として貴重であるが、それによると安明は七歳の頃から手習師匠勝間龍水の許に通い、栢筵の養子升五郎(三代目団十郎・俳号徳弁)・江戸座の宗匠羊素の息長芙とは同窓の仲で、本書にも龍水(新泉勝安定)の追悼詩、長英・徳弁の追悼句が見えている。

 

また、素堂の孫と称する山口素安の追悼文によると、百庵は素堂の一族であるといい、安明の埋葬の日(享保二十年九月十一日)をもって素堂の号を百庵に与えたとある(来雪の素堂号襲名h披露集『連俳睦百韻』(安水八年刊)の序文に、素堂襲名をすすめられたが辞退したと、百庵自ら述べている)。

 

 百庵主の愁を訪ふに言葉なし

    世を早うするの人必愛有才あり

うつくしき紅葉も枯るはしめ哉   来川

    愛子を先たてられける御心の

    ほとも押はかられ侍りて

すゑの露に挟の雫さそや嘸     常山

さひしさよ種朝顔の力竹      五山

墓といふ文字もあるかに烏瓜    呉川

をく露の草の枕や一むすひ

一莟(つぼみ)もかれて菊の力名し 祇毫

零余子まてこほるゝ寺の夕哉    故一

 

追 悼  清独庵 超波

 寺町氏の愛子うせ給ふよしを

告られしにまうしつかはすとて

菩提子の種蒔かたや実のこほれ

 

同門有佐はもとより白山のほとりに家居して

先師の誹風を鐸き其点印を譲うけて

楢自己の光をかゝくことし師の一とて

こゝの笠亭何かしか許に一莚を儲つゝ

佐か添削を乞て師の押印の旧さを慕ふに

  

  朝風に行次第なる鞍の上と云前句ニ

  留守さへ廿日続く牡丹花    超波

 

といへる句をして巻中の秀逸とは定めぬ、

此の印はかの晋翁の極印半面美人に対して

玉姿の二字をもて彫り用られし也。

思ふに今桑翁の誹考佐にうつりけむやと、

道の冥加ひたすらに尊くなりて

又の日佐かもとに行て草の戸を敲くに、

一人の嫗(おうな)むかひ出て

主はいつかたへやらむと答ふるに、

そ頓て石筆執いてゝかくはしるし置ける

 

とり得たる玉の姿のうれしさに

       こしとはきみもしら山のもと

 

此の一軸百庵子の勝給ふを

楢折からの慰くさにもと

是を記して贈り侍りぬ

 

  菊月

 

笠亭のあるし此の秋八月相撲になそらへて

七日の誹席を催し、

東西の句々を争ふ予もかの宴に

かすまへられて起句を題すといへとも、

其いとみの力おほつかなきを申送るとて

  痩儒をかなしむ音ありきりくす   百庵

  鶏頭や恥もはてなき花の色

  追 福

 

百庵子の令息ことし九つのいはけなくもよく

たらちおの気力をうけて志すこやかに

手習ふの道なといとかしこけれは

かそいろのいたはりふかく行すゑ長く

おひたつにまかせては家のことわさを

もつかせまく願ふものから年月の養ひ

大かたならすいかなれは葉月末つかたより

床に臥て例ならす長月のなかき病となりて

予も折ふしにまいりあひてかしらおさへ

薬あたへて曰くに保養をたすけぬ

十一日の明るを待す息絶えぬると

使してしらせ来るに驚きはしり行て

終に葬送のうきはからひをなしぬかなしむへし

過る月中の十二日なりき

そこの歌舞妓見物せむとて其たらちめに

手をひかれつゝ予かもとにいたり

よろこはしけなるかほはせを思へは

生前の名残とそなりけるよりて

親属の哀しみをとはむとて

一章一句を送り侍りぬ

  此児つねにありのみの甘きを愛して

ことしやまひにふせるまて枕のもとに

ものしたれは今是を野句にむすひて

其霊膳に代ふものなり

                      

   枕香のこか梨子胤や漏る沼   湖十

 

  追 哭

 

越堂主人の嫡子安明英詞は

頴悟の聞えありしに、

苦空一片の孤雲の二字を

はるかに香華することゝ成りぬ、

もとより越堂士は

予か土餅の交りたるに、

安明子又愚息とをのつから

二代のむつみありて、

書法さへ同門たりし

これかれに一しほ思ひあはせ

いとゝ哭しはへるのみ。

 

着せ綿や菊も昨日の世ははかな    羊素

 

安明子とは、

はしめより遊ひむつみ、

又ともに机をならへたる

 

   兄弟子のかけし今硯筆の露      長芙

  

  

 

百庵丈士の令子終焉の際にいたりて

其病床をたすけぬ越堂子悲しみに堪す

面壁の句有我猶此睦を追ふて

 

九年母今秋を            幸徳

      はなるふ凰の道

  哀文章連歌之句

 

羅田の万氏か言に聡慧早発するは

真陽の洩るにして夭するの由なりといへり

ここに己百庵主人の全量其兆あり予往に

一望して心潜にこれを憂ふ

一日柄を告て治を請ふにあたって嘆て

曰命なるかな倉扁再生すともなんそ効験を立むや

家人相対して袂を額にしてことはなしなを時に

声勢あるたくひをつくして医薬方その他

神仏の護救いをさへに百計千慮いたらさるなし

つゐに暮秋十日木に就にはなりぬ

見すしらぬ人のうへさへあるをまいてと

しつき馴睦ひたるゆかりは

いかはかりのこゝろならむ

言は意をっくさすなれと

賦してたむけくさとはなしたり

     

 南皐老人 横地就正拝

 

菊月の名のみ残りて十日かな

 

関守や隔て妻の小夜砧   百庵

秋風に星のあやとり別れけり

    

階下枝芳草避邪魅

児遠の沓間違ぬ藤袴

 

執文朝か愛子失にし嘆き

我もおなしかなしみの袂を湿すまことや

往し年九月十日

我祖父素堂亭にコ一宴を催しける頃

よめ菜の中に残る菊

といひしは嵐雪か句なり

猶この亡日に

おなしきを思ひよせて

   十日の菊よめ菜もとらす哀也

 

かくて仏前に焼香するの序

秋月素堂か位牌を拝す百庵

もとより素堂か一族にして

誹道に志厚し我又誹にうとけれは

祖父(素堂)か名癈れなむ事を惜しみ

此の名を以て百庵へ贈らむと思ふに

そかゝるうきか中にも道をよみするの

風流みのかさの晴間なくたゝちにうけかひぬ

よつて素堂世に用る所の押印を添て

享保乙卯(二〇年)の秋九月十一日に

素堂の名を己百庵へあたへぬ 

                   山口素安

 






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最終更新日  2021年03月17日 18時37分45秒
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