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子供たちの大正・昭和史
◯ 一九一八年 (大正七年) 7月、鈴木三重吉が、雑誌『赤い烏』を創刊。 新鮮な童話や童謡が次つぎと発表される。 第一次世界大戦が終わる。
◯ 一九一九年 (大正八年) 2月、小学校令・中学校令の改正により、国民道徳の養成が重視される。
◯ 一九二〇年 (大正九年) 4月、第一回児童自由画展覧会がひらかれる。 このころ、国定教科書による画一的な教育をきらい、 個性的で創造的な教育をめざす運動がすすむ。
◯ 一九二五年 (大正一四年) 4月、陸軍の現役将校が中等学校に配属され、 こどもにも軍事教練をさせるようになる。
◯ 一九二六年 (大正一五= 昭和一年) 4月、青年訓練所令が公布され、 働いている青年を兵士にするための教育が行われる。 12月、大正天皇が死去し、「昭和」と改元される(二五日)。
◯ 一九二七年 (昭和二年) 3月、預金をおろす人びとが銀行に殺到し、 多くの銀行が休業する(金融恐慌)。
◯ 一九二九年 (昭和四年) 10月、ニユーヨークで株が大暴落し、世界恐慌がはじまる。
◯ 一九三〇年 (昭和五年) 1月、金の輸出を自由にする(金解禁)。 このころ、紙芝居「黄金バット」がはやる。
◯ 一九三一年 (昭和六年) 1月、漫画「のらくろ二等兵」がはじまり、人気を集める。 9月、満州事変がおこる(一八日)。
◯ 一九三二年 (昭和七年) 2月、上海(しゃんはぃ)で爆弾をかかえて戦死した「爆弾三勇士」 が話題となり、子どもたちの英雄にまつりあげられる。 7月、文部省が農漁村の欠食児童が二〇万人を突破したと発表する。 10月、満州へ武装移民団が出発する。
◯ 一九三三年 (昭和八年) 3月、国際連盟を脱退する。 4月、国定教科書が全面改訂され、 天皇への敬意と軍国に義の強調がめだつようになる。 皇居前で全国の小学咬教員の精神作興大会が行われ、 国民道徳をよくするように天皇がよびかける。 この年、東北地方は大凶作となり、娘の身売りや欠食児童が続出する。
◯ 一九三五年(昭和10年) 10月,実業補習学校と青年訓練所を廃止して、青年学校を開校する。 この年、美濃部達吉の天皇機関説を攻撃する 国体明徴運動(こくたいめいちょううんどう)が全国にひろがる。
◯ 一九三六年 (昭和一一年) 2月,陸軍の青年将校が中心となって政府の重要人物を殺害し、 クーデターをおこそうとする(二・二六事件)。 11月、文部省は国体明徴の考えを強調する立場から 小学校の国史の教科書を改訂する。
◯ 一九三七年 (昭和一二年) 5月、文部省は全国の学校に『国体の本義』をくばり、 子どもに天皇中心の考え方を教えるテキストとする。 7月、日中戦争がはじまる(七日)。
◯ 一九三八年 (昭和一三年) 4月、国家総動員法が公布され、戦争に必要な人間や物資を 政府が自由に手にいれることができるようになる。 この年、五月に日本青少年がドイツに派遣(はけん)され、 8月、ヒトラー・ユーゲントが来日するなど、 日本・ドイツの青少年の交流が活発となる。
◯ 一九三九年 (昭和一四年) 4月、青年学校合が改正され、男子の就学が義務となり、 働いている青年に対する軍事教育が強調される。 6月、満蒙開拓青少年義勇軍の大壮行会が行われる。 7月、国民徴用命ができ、重要な産業に必要な労働力を 政府の力によって強制的に集められるようになる。 9月、ドイツ軍がポーランドに侵入する (一日=第二次世界大戦の開始)。
◯ 一九四〇年 (昭和一五年) 10月、すべての政党が解散して、大政翼賛会(たいせよくさんかい)ができる。 この年、架空の人物である神武天皇が即位してから二六〇〇年にあたるとされ、 全国各地で紀元二六〇〇年祭の儀式や余興が行われ、多くの子どもたちも動員される。
◯ 一九四一年 (昭和一六年) 3月、子どもを皇国民としてそだてるために 小学校令が改正され、国民学校令が公布される。 4月、国定教科書が軍部の圧力のもとで大改訂される。 7月、文部省は、子供に天皇中心の考え方を徹底させるため、 『臣民の道』をつくり、各学校に配る。 12月、太平洋戦争がはじまる(八日)。
◯ 一九四二年 (昭和一七年) 2月、食べ物や着る物が予にはいりにくくなり、 味噌・醤油や衣料品は切符とひきかえの配給制になる。 6月、ミッドウェー海戦で敗北し、戦線は後退しはじめる。
◯ 一九四三年 (昭和一八年) 9月、女子勤労挺身隊(ていしんたい)がつくられ、 男子のかわりに軍需工場などで働かされるようになる。 10月、文科系の大学生なども徴兵にとられるようになり、 出陣学徒の壮行会が行われる。
◯ 一九四四年 (昭和一九年) 8月、学童集団疎開がはじまり、都市の子どもたちは親もとをはなれ、 地方で集団生活をするようになる。 10月、爆弾をつけた飛行機もろとも敵艦に体あたりする 神風特攻隊が、はじめて攻撃を行う。
◯ 一九四丘年 (昭和二〇年) 3月、B29が東京を大空襲し、十数万人が死傷する (九日~一〇日にかけての夜)。 4月、アメリカ軍、沖縄本島に上陸。 8月、B29、広島(六日)と長崎(九日)に原子爆弾を投下する。 敗戦。 天皇はポッダム宣言を受けいれることをラジオで全国に放送する(一五日)。 9月、文部省は「新日本建設の教育方針」を公表し、 天皇制を守ること、平和国家をつくることを強調する。 10月、マッカーサーが人権確保の五大改革、 学校教育の民主化などを日本政府に要求する。 12月、GHQが修身・日本歴史・地理の授業の停止を命ずる。
◯ 一九四六年 (昭和二一年) 1月、皇が神ではなく人間であることをみずから宣言する(一日)。 11月、日本国憲法が公布され、国民主権・基本的人
◯ 一九四七年 (昭和二二年) 3月、教育基本法と学校教育法が公布される。 その結果、国民学校令が廃止され、六・三・三・四制 や平和的民主的教育がとりいれられる。 12月、児童福祉法が公布され、すべての児童の生活の保障が約束される。
◯ 一九四八年 (昭和二三年) 4月、六・三・三・四割にしたがって、 新制高等学校や新制大学ができる。
◯ 一九四九年 (昭和二四年) 6月、各地に新しい国立大学がつくられる。
一九五〇年 (昭和二五年) 6月、朝鮮戦争がはじまる。 7月、警察予備隊が発足する(これがのちの自衛隊の前身)。 共産党員を職場から追放するレッド・パージが行われる。 10月、文部省は日の丸の旗の掲揚と君が代の斉唱を各学校にもとめる。
◯ 一九五一年 (昭和二六年) 5月、児童を人間として尊ぶ児童憲章が制定される。
◯ 一九五二年 (昭和二七年) 4月、対日講和条約と日米安全保障条約が発効し、 日本はアメリカに従属した独立国となる(二八日)。 5月、日本子どもを守る会が結成される。
◯ 一九五三年 (昭和二八年) 3月、基地の子どもを守る全国会議がひらかれる。 10月、日本とアメリカの共同声明で、 日本の青少年に軍国教育を教える必要が強調される。
◯ 一九五四年 (昭和二九年) 3月、日米相互防衛援助協定がむすばれ、日本の軍事化がいっそうすすむ。 7月、防衛庁がおかれ、自衛隊が発足する。 8月、原水爆禁削署名運動全国協議会が結成される。 11月、防衛斤、少年自衛隊員の募集を開始する。
◯ 一九五五年 (昭和三〇年) 6月、第一回日本母親大会がひらかれる。 8月、広島で第一回原水爆禁止世界大会が行われる。
◯ 一九五六年 (昭和三一年) 経済が戦前の水準を突破し、 この年の『経済白書』は「もはや『戦後』ではない」とのべる。
◯ 一九五七年 (昭和三二年) 7月、文部大臣が小・中学校に「道義」科目設置を表明し、 道徳教育の是非(ぜひ)をめぐる論議がおこる。
◯ 一九五八年 (昭和三三年) 教員を管理するための勤務評定が実施され、 教員の白主性のおさえこみや教育の国家統制に 反対する運動が各地でおこる。
◯ 一九五九年 (昭和三四年) 3月、小学校高学年を読者にしたマンガ雑誌 『少年サンデー』・『少年マガジン』が創刊される。 11月、学児童の安全を守るための「緑のおばさん」が登場する。
◯ 一九六〇年 (昭和三五年) 6月、日米安全保障条約の改定に反対する 大国民運動がもりあがったが、条約は成立する。 12月、閣議で国民所得倍増計画が決定され、 高度成長政策がはじまる。
◯ 一九六一年 (昭和三六年) 10月、文部省が中学二・三年生を対象に 全国いっせいの学カテストを実施する。
◯ 一九六二年 (昭和三七年) 4月、防衛庁が文部省に「学校教育に関する要望」を提出し、 愛国心や国防教育を教えることを主張する。
一九六三年 (昭和三八年) 1月、日本で最初の国産テレビ・アニメ「鉄腕アトム」が放映される。 12月、義務教育の教科書が無料となる。
◯ 一九六四年 (昭和三九年) 7月、母子福祉法が公布される。 10月、第一八回オリンピック大会が東京でひらかれ、 多くの日本国民が大国意識に酔う。
◯ 一九六五年 (昭和四〇年) 1月、中央教育審議会が「期待される人間像」を発表し、 次代を背負う青少年の理想像を示す。 その内容の是非については政府内でも賛否両論に分かれた。 このころ夫婦の共かせぎが多くなり、「カギッコ」とよばれる 留守番のこどもがふえる。
◯ 一九六六年(昭和四一年) この年は丙午(ひのえうま)にあたり、 「丙午の女は男を食う」という迷信のせいか、出生率が大きくへる。
◯ 一九六七年 (昭和四二年) 2月、戦前に神武天皇の即位日として制定されていた 紀元節を建国記念日として復活させ、祝日とする。 このころベトナム反戦運動や沖縄返還要求運動がさかんに行われる。
◯ 一九六八年 (昭和四三年) 9月、水俣(みなまた)病が公害病と認定される。 この年、東大医学部で誤認による学生処分 からはじまった紛争(ふんそう)が、 機動隊を学内にいれたことにより全学的なものになり、 東大は翌年の入試を中止する。
◯ 一九六九年 (昭和四四年) はげしくなった大学紛争をおさえるため機動隊が出動し、 各地で衝突がおこる。
◯一九七〇年 (昭和四五年) 7月、光化学スモッグが発生し、 東京都内の学校で目をいためるなどの子どもの被害がふえる。 この年「歩行者天国」がはじまり、 開放された道路で遊ぶ市民や子どもがふえる。
◯ 一九七二年 (昭和四七年) 5月、沖縄が本土復帰する。
◯ 一九七三年 (昭和四八年) 第一次オイル・ショックにより、 ガソリンスタンドの休日閉鎖が行われたり、 主婦のトイレットペーパーの買い占め騒ぎがおこったりする。
◯ 一九七六年 昭和53年 12月、教育過程審議会が「ゆとりある、充実した学校生活」 について答申をまとめる。
◯ 一九七八年 (昭和五四年) 11月、「国際児童年」こどもの人権を守る連絡会議ができる。
◯ 一九七九年 (昭和五四年) 1月、国公立大学で共通一次試験が行われる。 卒業式に「君が代」をジャズ調に演奏した教師が退職になる。 この年、インベーダー・ゲームが流行し、 テレビ・ゲームのさきがけとなる。
◯ 一九八〇年 (昭和五五年) このころ、だぶだぶのパンツとガウンを着た「竹の子族」がふえる。
◯ 一九八一年 (昭和五六年) 中学生の校内暴力事件が急激にふえる。
◯ 一九八二年 (昭和五七年) 歴史教科書検定で「侵略」が「進出」になおされていたことが、 国際的にも大きな問題となる。
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最終更新日
2021年03月24日 20時39分36秒
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