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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年03月28日
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カテゴリ:柳田国男の部屋

柳田先生と私 市河三喜氏著

 

定本 柳田国男集

月報 2 昭和372

    筑摩書房

   一部加筆 山梨県歴史文学館

 

 

 柳田先生と私とは古くから近くに住んでいた。青年時代下谷御徒町に住まわれた頃、私は練塀町にいて練塀小学校に通っていた。よく私の家の前を通られたということである。私が家を持ったのは牛込北山伏町で先生は加賀町に居られた。そして子供達も成城に入れて、学校が砧村に引越すについて、先生は居を砧村に移されたが、私達は時々先生のお宅にお邪魔にあがり、民俗のお話を伺ったり、珍らしい資料を見せて戴いたりしたことがある。

 牛込時代、ある時、金田一京助君を紹介かたがた、岳父穂積陳重博士の家に来られた。晩餐を共にして食後金田一君の面白いアイヌの話を皆で伺った。渋沢敬三君が三田綱町の邸の庭で天竜の花祭りを、土地の者を呼んで大がかりに踊り歌わせた時、先生は橋浦君と一緒に来られたのを覚えている。

日本国中津々浦々到らぬ隈なく旅行され、隠岐や佐渡はもとより酒田の沖の小島飛島や五島列島、更に南の沖縄群島の南端与那国鳥にも渡られた。たしか金沢・佐渡方面に旅行された折であろう、偶然富山の宿の而も浴場でご一緒になり、裸かで挨拶した時先生はびっくり

されたようだった記憶がある。人があまり行かない離島もただ足跡を印するというだけでなく、風俗・行事・言語・迷信等あらゆる方面を調べられるのであるから日数もかかるし、同じ処に幾度も出かけなければならない。そうして日本全国の民俗地図が沢山出来上る。そのうち特に私と交渉のあるのは「鹿の角遊び」の話で、それはあるアメリカの学者から間合せがあって、一人の子がぽ隠しをして立っていると、後ろにいる別の子が背中を叩いて何本かの指を出してその数を当てさせる、それが「幾つの角を鹿が持ってるか」というので、その遊びはアメリカにもヨーロッパ各国にも行われている、日木にもないか、というのである。そこで先生は「民間伝承」の会報にこの手紙を載せたら、まず滋賀県近江湖北からよく似た例があらわれた。それを先方へ知らせてやりたいのだが手紙を書いて欲しいと頼まれた。昭和十四年頃のことである。その後全国各地からそういう遊びがあると知らせて来たそうで、処によっては「鹿よ鹿よ汝の角は幾本なりや」というような直訳体の口調を使っているそうで、それを見ると、明治初年に外国の宣教師があちこちでこの遊戯を教えたものであろうと推察される、という話を特に私に話されたのであった。

 戦後私共が成城へ引越してからは先生も散歩の度に立寄られることが多く、決して座敷には上らず、庭の椅子か縁側に腰かけられて、四季折折の草木を眺めたり、秋はヒヨドリやムクドリなどが群をなして木の上を飛びかうのを見て喜ばれることもある。雑草の方言や、それに関する地方の言い伝え等に至っては、私など足もとにも及ばない。

 

 島々虫の話も先生の記述は悉しい。博引旁証そして頗る文学的である。私など島の方は北軽井沢に山荘を持っているために、庭のススキに作ったアオジの巣を採って標本にしたり、軒端にカケスの巣を見付けたり、昨年は玄関の軒にオオルリが巣を作って卵から飛び立つまで、毎日親鳥が暖めたり、餌を運んだりするのを丹念に観察した位のものである。成城の庭でも度々来る珍らしい島を望遠鏡で見てツグミだとか、アカハラ、シメ、コジュケイだとか見わけ得るぐらいである。ヨタカや三光島も一二度飛んで来たことがある。セミについては私も少しばかりギリシアの詩を引いたり俳句を引用したりして書いたことがあるが、あのツクツクボウシが、昔筑紫に住んでいた若者がいいなづけを残して旅に出て病死し、その魂がセミになって「筑紫こいし筑紫こいし」と鳴いたのだという伝説を書いたラフカディオ・ハーンのセミの随筆には及ばざること遠く、近くは渡辺栄さんの「自然の中で」という本も楽しい自然の観察を、源氏物語や和歌俳句俗謡等を適宜に取入れて面白く読ませている。

イギリスでは「セルボーンの博物誌」を始め動物や植物のことを面白く文学的に取扱った人には坊さんが多い。多くの余暇に恵まれ自然を友としまた文学にも精通していたからである。その点柳田先生も与えられた閑暇と天分とを十分に利用され、全国を行脚して未知未見の民俗資料を収集され、それを細に洩らさず自家薬籠中のものとして次々に発表されて、はじめて「日本民俗学」を樹立された功績は大きい。

そしてまた民俗学の研究に女性の占める役割の大きなことにも注意された。それは女性が地方の言い伝えの伝承者であることが多く、色々の事を聞き出すのに女性の方が適している揚合が少くないからである。

先頃鎌田久子さんが宮古島へ行った時、大勢の婆さんが集まって催したお祭りに、男子は禁制だが鎌田さんは女なるが故に加わることも、写真をとることも許されたという。また金田一君の採集されたアイヌのユーカラも、婆さんが伝承したものであることはあまりにも有名である。先生は門下に海女の研究で優れた業績を挙げた瀬川清子さんや、上智大学の教授米人メーヤ夫人等を持って居られる。

 

最後に先生が日本民俗学を体系づけるについては、西欧の学者の研究に負う所あることも忘れてはならない。ジェームズ・フレーザーのゴールデン・バウ(全校篇)は十二冊の大著であるが、これを全部通読され、イギリスでは著者とも会談した。嘗て英詩人ブランデンが日本学士院の名誉会員に推され、学士院に見えた時、私は柳田先生を「この方はフレーザーのゴールデン・バウを全部読破した人だ」と云って紹介したらブランデンは驚き且喜んだ。                         (英文学者)

 






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最終更新日  2021年03月28日 06時38分04秒
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