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2021年03月28日
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カテゴリ:柳田国男の部屋

風貌(柳田国男先生の) 演劇評論家 戸板康二氏著

 

 定本 柳田国男集

月報 2 昭和372

    筑摩書房

   一部加筆 山梨県歴史文学館

 

 

昭和十一年は、ぼくにとって、憂応の国文科で、折口信夫先生の講義を聞き始めてから、二年目になるのだが、この夏、第二回民俗学講習会がひらかれた。先輩に誘われて、ぼくもその講習会にかよったのだが、柳田園男先生の風貌に接したのは、この時がはじめてである。

 座談会は国学院の院宣会館の広間で行なわれたのであるが、座長の席につかれた柳田先生の見事な議事進行ぶりを、今でも昨日のことのようにおぼえている。

 各地から出席した人たちが、自己紹介を兼ねて、その土地の民俗について語ると、座長息の先生は「その話は、何県の何村から、似たような報告があります」といった風に、即座に、明瞭に付け加えられた。おそらく、立って自己紹介をした人の中には、文通だけでその日初めて顔を見知った人もいたにちがいないが、先生は名前とその研究課題をよく御存じで、そのことが、それぞれの発言者を感激させていたのがわかった。

 ぽく自身、フォークロアの学問について、はじめて直接触れたこの機会に、この道の大先達であり、あらゆる学徒の上に高い峯のようにそびえている先生の姿をまのあたり見たのは、じつに貴重な経験であったと思う。

 学生時代に休暇を利用して、二三回採集旅行を試みただけに終ったが、ぼくが民俗学について、その頃出ている限りの書物を読みふけったのは、たしかにこの講習会に出て、柳田先生の■咳に接したためだと思っている。

 その後、丸ビルで聞かれた講座でも、先生の講義を聞いたが、先生の話術もさることながら、最も印象に深いのは、先生が、結論に到達する前に、その結論を引きだすための確かな材料を、適切なタイミングで提供される、その時に、文字通り、会心の微笑を洩らされることだった。あんな風格と魅力に富む顔を、ぼくは知らない。

 前に書いた講習会の年の秋だったと思う。日本青年館に、沖繩から玉城盛重、新垣松含を中心にした舞踊団が来て、大会が催された。ぼくら学生は受附を手伝ったりしていたが、そこへ柳田先生が来られた。外套の一番上のボタンをかけて、襟のところを隠して着て居られたのをおぼえている。学生の誰かがうっかり先生に「どなたですか?」とぶしつけに訊ねる失敗があったりしたが、この日の先生が、何ともハイカラな感じだったのを、忘れない。

 そこには、二世市川左団次の自由劇場に「ボルクマン」の上演を勧めたイプセン会以来の、柳田先生の感じがあったのである。

 ぼくは、学校を出てから、明治製菓に入り、しばらく「スヰート」という雑誌の編集をしていた。昭和十五年は、紀元二千六百年に当るので、その記念号に、柳田先生の原稿をいた

だこうということになって、部長の内田誠さんと、成城のお宅へ上った。

 書いてくださった「小豆の話」の原稿は、今もぼくが大切に保存しているが、この時は、日本青年館で見た先生とはまた別の、和服に白足袋を穿いた先生を見た。しかも、先生は、やはりハイカラである点において、、いささかも変らなかったといっていいようだ。

 内田さんは、その少し前から「食物誌」という随筆を書いていたので、この日、先生に質問をいろいろ用意していた。

 「王子売りというのは、いつ頃からあったものでしょうか?」

 「七部集に、舟ばたを王子でたたく夕涼みというのがありますよ」

 そんな話をしながら、先生は青箱のホープ(今のとはちがう)を、しきりに吸って居られた。日のよく当る広い書斎の一部に、先生の椅子があり、先生は白足袋に草服を穿いて、足を組んで、すわって居られた。

 「内田さんのような方に、食物をしらべていただくのは、ありがたい」

 先生は、そういって、「本朝食鑑」の話をされた。成城からの帰り、内田さんは、ぼくをつれて、神田の一成堂に行き、古典全集の「本朝食鑑」を二部買い、ぼくにも一部持って帰るようにとすすめた。内田さんが、大変、昂奮していたのを思い出す。

 柳田先生にいわれて、内田さんは、「本朝食鑑」を、一所懸命に読んでいた。「小豆の話」とともに、内田さんが、この日の先生の話を、学恩として受けとっていたことは、ぼく個人では書いておきたい話である。

 それと一緒にしていいかどうかわからないが、ぼくが昭和十一年の講習会に出て先生を見なかったら、きっとあの感奮はなかったろうと思うのだ。同じ時代に、柳田一先生といて、その風貌に接した喜びを、ぼくは、隠そうとしても隠し得ないのである。






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最終更新日  2021年03月28日 06時40分55秒
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