カテゴリ:山梨の歴史資料室
酒とミネラルウォーター『日本の酒』増冨・下部鉱泉
著者 住江 金之(すみの えきんし) 略歴 1889(明治22シ年熊本県生。 1913(大正2)年東大農芸化学科卒業。 農学博士。 東大講師,東京長大教授を経て現在長大名誉教授 醸造博物館々長。 主なる著書 「綜合飲食品製造法」 「農業細菌学」 「酒の浪漫」「酒」他 河出書房浙社 昭和三十七年一月五日 初版
今秋、パリ・オペラ座の一行が来日したとき、宿舎に落ち着くが早いか、彼女たちは…日本のミネラルウォーターを飲みたい…といったそうである。…日本エビアン…が外人にひどく喜ばれている一例であるが、日本は世界でも本のうまい国といわれながら、ミネラルウォーターが知れわたったのは、そんなに古いことではない。いち早く飲みはじめたのは文化人である。ミネラルウォーターを愛用している文壇人をあげてみると、故人の村松相識氏の顔が浮かんでくる。
◇ 増富のラジウム鉱泉
私は村松さんが戦時中甲州の山村に疎開していたことを知っているが、村松さんが大正の初めのころ甲州の増富のラジウム鉱泉本の利用を考えて、増富村に調査に行ったことをきいたことがある。そのころはバスの利便もなく、中央線の日野春駅で下車して三時間半も馬の背にゆられて行ったが、村松さんより先きにラジウム鉱泉永の飲用に着眼した人があって、すでに特許をとったとかという話で村松さんが断念したそうである。その村松大人がミネラルウォーターを愛飲しはじめたのは、亡くなる数年前だったという。 それはとにかくとして、パリでエビアン水を飲んできた木々高太郎をけじめ、河盛好蔵、尾崎士郎、井伏鱒二、林哲雄、江戸川乱歩、久保田万太郎、大仏次郎、檀一雄らが愛飲者と聞くが、これらの人々がみんな酒好きであることを思うと、ミネラルウォーターがたんに健康上ばかりでなく、酒を飲むために、また酔いを醒ますために効き目のあることが、それぞれの人々が実験的に特質を認めているからであろう。 このミネラルウォーター発売元の堀内義男氏は、私と同郷関係で古くからの知人であるが、堀内さんは日本エビアン水について、水のうまいことを一言も言っていないことはたいへんな自信をもっていることで、うれしいことでもある。私などのようにウイスキー、ショウチュウ、泡盛などの強い酒を好むものは、同量のミネラルウォーターを飲むことにしているが、酒の酔い加減がいいので酒量のふえることの方示顕示帰いくらいである。 ミネラルウォーターは甲州下部鉱泉の水で、フランスのエビアン水に似ているので、日本エビアン水ともよばれている。 下部鉱泉は昔から″信玄の隠し湯″として知られ、ケガを治す名湯として有名である。甲州出身の東京順天堂医院外科部長八代豊雄博士は鉱泉の性質について、「私の初めの考えでぱいままで多くの学者が説明しているように、人工的、つまり理化学的にこれを合成することのできないものであり、その医学的効果はわき出したばかりの新鮮なもの、つまり死滅しないものを用いなければ効果を現わさない。まして遠方へはこんだものは、たとえ理化学成分は変わらなくても、その活力が減じて効果が著明でなくなるものと信じていた。この鉱泉の効力試験には、私が現地に出張し、入湯中の患者を長期間にわたって直接観察しなければならないと考え、これは実行困難のため断念していた。
ところが近年になって、ミネラルウォーターが保健食卓水として海外にも盛んに輸出され、また東京で売り出されるようになったので、私は日本エビアン水を創傷に応用し、その効果のあることがわかった。外用に使って一番効果のはっきりわかるのは、やけど、東証、切り傷、ヒョウソウ、切開手術後の手当てなどの外傷性疾患の治療には驚くべき効果かおる」と説明している。 また飲用としてもよくきき、胃腸カタル、胃炎、胃腸カイヨウ、肝臓、腎臓病などで、つまり皮膚のタダレや、傷を治すのと同様に、胃腸の粘膜や、肝臓、じん臓の組織にたいしても、よい影響を与えていることなど、二十年来臨床的に用いて、医学的立場からいろいろ研究された佐藤清一郎博士(元順天堂医院副院長)は、外用としてだけでなく、内服用としても非常に効果のあることを立証している。 この鉱泉永の成分は、弱アルカリ性反応のある単純温泉で、硫酸カルシウム、カリウム、ナトリウムや、リチウム、チタニウム、銅、マンガンのような希有成分を含んでいることを東大の本村健二郎教授が分析によってたしかめている。しかし、これがなにに、どうように効果があるかは、まだ医学的解説は明らかにされていない。 ではなぜきくのだろうか? この永は長年保存されても活性を失わず、腐敗も変質もせず、味も効力もまったく変わらないという。中央温泉研究所長の服部安蔵博士は、「わが国の鉱泉永の中でも卓効な有し、しかも飲料として幾多の条件をそなえている名泉である」。と説いている。 探偵作家でおなじみの木々高太郎(慶大教授・林節博士)は、こんなことをいっている。「私は下部鉱泉の近くの市川大門町の小学校に学んだことがある。私みたいにいなかに生まれて、幼時をいなかですごした者は、永というものはどこにでもあり、ただもらえるという考えがどうしても披けないが、…空気と永…といって、二つの経済法則にあわない物質と思っている人は、かなり多いであろう。それで、多くは太陽を数える。太陽はどこにでも照っている。日の光を浴びたいと思えばいつでもいくらでも浴びることができるーとだれしも思っているからである。しかし、これは中国と日本の本を読み、日本に生活している私たちだけの考えで、北の国、たとえばフランス、ドイツ、イギリス、それからスウェーデン、ノルウェー、デンマークなどの国に生まれた人は、まるで違った考えを持っているであろうと 思われる。 永を専売にしている国はベルギーやフランスである。ちょうど日本で、塩や煙草を専売にしているのと同じである。それは炭醜ガスをつめたもので、日本のブレイン・ソーダである。 もちろん、ヨーロとハでは水を売っていることは知っていた。それはアルプスの水、「エピアン鉱水」である。この水は、ほんとの鉱水でただの水ではない。それ加ほんとうであろうと思うが、そうでなかったら専売とはなるまい。そう思いながら、フランスへゆき、キャンヌでは「エピアン鉱水」をのんだ。 「日本エビアン」という水を、日本でもビン詰めで売っている。それは友人の堀内合名会社社長の堀内義男君が、下部鉱泉の鉱水をつめたもので、飲んでみると、なるほどいなかの井戸水だなという感じで、私みたいないなか生まれの者には、やっぱりあの感じぱなんともいえずなつかしい。この「日本エビアン」がインドからパキスタン、エジプト、エチオピアまで行っているというから、やがてヨーロッパで売れるようになるのではないか」…木々さんはミネラルウォーターの味を褒め称えている。 このミネラルウォーターのビン詰めを三十年来売り続けてきた堀内さんは、自分で水に憑かれた男といっている。 昭和三十一年、エチオピアの皇帝が来日されたとき、陛下のご滞日中の飲料に差し上げたところ、皇帝は非常におよろこびで、アジスアペバヘお持ち帰りになったということである。エチオピアやアラビア、エジプトの高原に、はるかなる日本の奉加流れていくのに堀内さんぱ無上の喜びをおぼえるとともに、まず水の悪い中近東、アジア各地に市場を求めやがては欧米にも進出して、世界の市場でアルプスの水、「エビアン」と、富士の水、「ミネラルウォーター」と雌雄を決することが、この人の見果てぬ夢だというが、それはもちろん実現するであろう。 私はいつか堀内さんから日華事変のとき、武勲のあった皇軍将兵に恩賜のタバコといっしょにミネラルウォーターが下賜されたという話をきいたことがある。現地で悪い水に悩まされていた将兵にとっては、この水の有りがたさが想像されるが、このビンのレッテルの上に《黄菊の里》西条八十と書いた貼紙がしてあったということで、この名前の由来を西条先生に聞いて下さい、といわれたまま未だに約束を果たさずにいる。 このミネラルウォーターは日本酒の二日酔いに実によく効く。あの不快な臭いもなくなって爽快な気分となる。ウイスキーの水割りに、ハイボールに理想的の水である。いったい酒飲みは酔いざめの水に敏感である。あのカルキくさい水道の水を飲んだのでは興ざめであるが、この水はほんとうにうまい。 私は酒友に喜びをわかつ意味でさかんにすすめている。 (この項・篠原記) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年03月31日 06時26分59秒
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