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2021年04月15日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

甲陽軍鑑の著作について 佐渡で書かれた

 

天野政徳随筆 『日本随筆大成』 昭和4年刊

   

一部加筆 山梨県 山口素堂資料室

 

  ○ 甲陽軍艦著述

 

 

両巌圖説并春日惣二郎傳

 

この書稿じ果たる頃、佐渡国雑太郡相川の人石井文吉、(平夏海)江戸に来てわが草廬を訪れしかば、かの二ツ岩なる老貍(ろうり)弾三郎が事、医師の奇談など、その虚資を問ば、みな是古老の

いひ傳たる處にして虚談にあらず、かゝる著述あるべしとは思ひかけれど、こだみ夏海が東都へまゐるによりて、みやこ人にかたりつがばやとて、九月十八日の朝まだきより、彼の二ツ岩へいゆきて、みづから圖したる一張をもて来れり.もしその巻(まき)のをはりへ追加し給はらば幸甚だしがらんといふ.こゝにはがらずもその圖を見る事の歓(よろこばし)ければ、模寫してこれを載(のす).此の日多門(さはと)筆記(全部五巻)二附を得たり.その書に順徳院の山陵苔梅(さんりょうこけうみ)及二見の老梅、野山の古松、船形の化石等種々の異聞多かり。

 

また高坂弾正の甥春日惣次郎常國へ漂泊し、竹田村太運寺において、甲陽軍艦を書嗣ぎ、四十歳の春三月歿す.墓は太運寺羅漢堂の側らにあり、叔父の弾正も渡海して新穂村に居住し甲陽軍鑑を著述をせしが備えずして死(みまか)れり。その後高坂喜平治(弾正猶子)も相川山之内に漂白して山稼ぎしつ。是を高坂間歩といふ云々といへり、因みに茲に抄録(しょうろく)す。

 

甲陽軍艦著述

 

 天野政徳随筆(日本随筆大成 昭和四年刊)

 

同害にいふ、高坂弾正佐土(佐渡)国に行て新穂村に住て、甲陽軍艦を綴りしに、満尾せずして卒。其時弾正が手簡を残しおけるを、甲州に達して、弾正甥春日惣次郎といふ者、渡海して竹田村大運寺に籠居して軍艦を書つぎ経て、行年四十歳の三月身うせぬ。共寺の十六羅漢堂の側ら墓有。其後また高坂真平次といふ人、相川来たり金銀山をかせぎ、高坂間歩といふ。

割註〕金銀をほり行穴を、佐渡の方言に間歩という也。今相川山の内に「高坂間歩」と呼ぶ所有と見ゆ。






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最終更新日  2021年04月15日 06時34分50秒
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