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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年04月20日
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カテゴリ:山口素堂資料室

素堂 目には青葉山ほととぎす初かつを 

鰹 かつを 兼葭堂雑録巻之五}

 

 

徒然草第百十九段云、鎌倉の海にかつをといふ魚は、彼さかひにはさらになき物にて、此頃もてなす物なり。それも鎌倉の年寄のもうし侍りしは、此魚おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出ること侍らざりき。

頭は下部もくはず、切て捨侍りしもの也と中き。かやうの物も世の末になれば、上ざまでも入りたつわざにこそ侍れ。

隠解の論云、此章堅魚の事をいふて、古今の変俗をのぶるといへども、全く堅魚の事をいふて、堅魚の事にあらざるなり。それ堅魚は諸所に有て、別て土佐を上品とせり、能々考ふるに、鎌倉とさしつけたるは詞によって見れば、鎌倉武士をさして、堅魚といふと見へたり。

 当時太平記のみだれにて、武家威勢をふるひ、帝徳を犯し給ふことを歎きて、堅魚に比して斯いふならん。

 万乗の君といへども、世の盛衰のがれ難き事をあらはして、衆人の盛衰歎くまじとの教なり。尤兼好、その世にあれば、繁昌の武家を批議せしむることは、慎の第一なるゆへ、堅魚にことよせて已事を得ざるの情を述るなり。けだし鎌倉の海に堅魚といふ魚は、彼さかひにはさらなき物にて、此頃もてなす物なりとは、鎌倉武士は、彼鎌くらの境地におゐて、威勢をふるひ無双ものにて、今此頃天下の人々ももてなすもの也と、当時の盛んなるを挙ての詞なり。夫も鎌倉の年寄の申侍りしとは、人の物語になして、兼好みづから意趣をのぶるなり。

此魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出ること侍ざりきとは、今繁昌の武士ども、己等が若年の時までは、はかばか敷決断して、上朝家の前へ狽に出ることは侍らざりしにとなり。頭は下部もくはず切て捨はべりし物なりと申きとは、頭といふは相模入道をさして言ならん。此入道甚無道にして、放逸無悪のふるまひなる故、天下の人うらみを結び、終には天の罰をうけ、尊氏、義頁、赤松など倶に起りて、鎌倉両六波羅を打破しなり。頭たる入道の命令を聞うくる者なく、下部に至まで入道の下知を甘く喰ざる故、罪きはまりて切て捨はべりしとの物語なりとぞ。かやうの者も世の末になれば、上ざまざまでも入立わざにこそ侍れとは、兼好年寄の物語を受て意を述られしなり。そもそも相模入道悪逆日々に長じ、天下の大と成て、尊氏、義頁是を亡し、一旦天下一に定まらんとせし時、又尊氏の勢強くなりて、大搭宮をはじめ其外宮方を押こめ、終に御醍醐天皇を追奉る。これに依て新田、楠しばらく支ゆるといへども、御運つたなく御方の兵士ことごとく亡、帝の御勢おとろへさせ給ひ、尊氏の勢日々に募、鎌倉はいふに及ばず京師を犯し、上ざままで入立事になりはべるとなり。此入立わざにこそ侍れとの一句を味ふ時は、全堅魚の事ならざる を知べし。肉食の事のみならば、入立と言ずとも、外に書様も有べし。入立との一句にて、武門の帝王に入立て我意をふるひ、天下に令を出し、王育いつとなく消衰へたる事を歎きての文法なり云々。此論諸省鈔に見へず。げにさも有べく聞へて珍しきまゝこゝに出せり。

 






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最終更新日  2021年04月20日 15時52分32秒
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