カテゴリ:野口二郎氏 文集
野口二郎文集 望前顧後 昭和十一年四月十日・山梨日日新聞
『野口二郎 文集』昭和51年 編者 野口秀史氏 発行 山梨日日新聞社
一部加筆 山梨県歴史文学館
昭和五十一年四月二十六日 百ヵ日法要の日 野口英史
父は何にもまして、本を読み、ものを書くことが好きでした。夜なかの二時、三時ごろまで、古文書をあさり、筆を離さない父の後姿が忘れられません。文章と文字には、きわめてきびしく、社員の起案文書などは父の手を通ると必ず赤筆がはいりました。同様に自身の原稿に対してもきびしい人でした。 父の書斎や、山梨文化会館の会長座を整理すると、随想や評論をはじめ、それらを掲載した新聞や雑誌がヤマと出てきて、あの小さい、細いからだのどこに、これはどの筆力がひそんでいたのかと、改めて驚かされたようなわけです。そして、それらの文章のすみずみに、父の、山梨に寄せる細やかな愛情と、人間のあたたかみを感じるのです。私など、まだまだおよびもつかないと心から反省させられるのみです。 この文章から故人の意のあるところを少しでもご理解いただけましたら、残された私ども遺族や、山梨文化会館各社同人の望外の幸せです。
本紙は今月十日をもって紙齢二万号の日を迎える。全国日刊新聞有保証金一千二百十九社中、創業の歴史において、明治五年七月のわが社の右にいずるものは、今日においては、中央、地方を通じて、わずかに東京毎日、東京日日、報知新聞の三社あるに過ぎない。 その間、新聞紙の本質においても、社会世相の幾変せんと共に、官庁布告の中心時代から指導的社会木鐸時代へ、次いで商品的社会レンズの時代へ、今やまた進んでおぼろ気ながらも、さらに、新しい時代的示唆を盛ろうとしている。たとえば、社会文化の種々相に対して、傍観者ないし発言せざるオブザーバーとして、善悪の事象を取捨することなく、ありのままに、機械的に報道し、その社会的反響のいかんは、ことごとく読者大衆の文化的そしやく力に委しておれば、事足りた新聞即商品的社会レンズの役割をのみ果しておれば、新聞は、今日も依然十分であろうか。 この点、なお幾多の検討が加えられるべきであるが、われらは、新聞が従来のごとく単なる商品的レンズとして放任せられることなく、凡百の事象を紙面に複写する技術の上に、それぞれの社是ないし社風とは別に、確たる指導精神の樹立せらるべき時代が到来しかことを思う。 もとよりわれらのこの所説は、新聞が指導的木鐸時代への復帰を暗示しようとする何物でもないが、単なる廉価版的商品の立場から一歩進んで、魂ある商品、信念ある新聞時代への推移を感ずるものである。 さればといって、この事は、新聞の社会的公器たる点には、何らの増え減りもなく、変わりもない。従って、信念ある新聞の信念、魂ある商品の魂とは、新聞人の片々たる主観的独断たるを許さないことはいうまでもなく、それは、現代の社会通念と相通ずる信念であり、魂でなければならない。 とまれ、将来われら新聞人に課せられようとする使命と責務とは、いよいよ重かつ大を加えようとしている。
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最終更新日
2021年04月27日 09時20分28秒
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