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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年05月18日
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随想  野尻抱影著 『中央線』

 

韮崎 『中央線』昭和47年

一部加筆 白州ふるさと文庫

 

 芦安の温泉宿と御勅使川の渓流のことで書くのだが、六十年余も昔の思い出でイメージがはっきりしない。それで山寺氏に伺いを立てたら、四月半ばにわざわざ来訪されて、地図と写真で説明

した上に、桃の木温泉のパンフレットを贈られた。氏や池さんに逢うと、践凰、白峯の山気を自然とエマネートとして、痩せ枯れた老骨を山恋の恣に若返らせてくれる。ほんとうに有難いことで

ある。

 さてヽわたしは…桃の木…の名には馴染みが薄いのでヽここの温泉は奈長田へ越す途中に後から出来て、芦安とは別のものとばかり思っていた。これからして間違っていたのに驚いたが、「クールな感触が魅力」などという歌い文句には、貧しい温泉宿も変れば変るものだと、しばらく呆然としていた。

 わたしのスケッチでは、芦安の鉱泉宿は川原に在って、大小の石が起伏している間に石を載せた板屋根が見え、細い煙突から煙が立っている。それがカラー写真では、『ごろた石』の谷川よりずっと高く離れて、約束通り赤瓦の二層、三層の温泉旅館を現出している。或いは川が暴れたため位置を変えたのか、これを確かめるとすれば、宿のすぐ後に大ガマがうそぶいているような崖が今でも在るか否かである。そこから七月の北斗七星の柄が直立していた印象が、わたしの『北岳登攀記』に書いてある。

 当時は泊りが三十銭。夕食の禿けチョロ膳には、塩イワシと馬鈴薯に凍豆腐の汁。現在は宿料一五〇〇~二〇〇〇円。昔の金を換算したらどうなるか、ともかく世間並みらしい。メニューを見ると、塩イワシに変ってヤマメとイワナ。それと、わらび、うど・ふきなどの山菜料理で、処がら申し分がない。まず、その味に堪能してから、熱海か、近くは勝村もどきの安楽椅子で、対岸の葉山繁山を眺めるわたしは、皆、宿の亭主が「きょうは暑いで」と言って、そこの中腹に見える氷室へ川を渡って行った姿を思い出しているだろう。

 その亭主は、その晩、囲炉裏ばたで、村の男たちと地酒に酔っぱらっていた。荒っぽいだみ声と、塩イワシを焼く煙と臭いが、一間か二間の二階の狭い部屋まで昇ってくる。しめっぽい堅い寝床には登山川の着ござを敷いたが、ノミ()がひどいので、これも用意の薬用アルボース石鹸を互いに全身になすりつけた。

 カラーの広い浴室は、浴槽にまで川原の石をあしらい、タイル張りで、水銀燈も立っている。六十年前の風呂場は物置みたいで狭く暗く、釣りランプが油煙でくすぶっていた。胸までやっとの生ぬるい腸機で、からだが擦れずに入っていた若い男の顔を、ふと暗い明りで見てぎょっとした。目玉の一つが、たぶん視神経の糸で、鼻の辺までぶらさがっていたからだ。そこそこに逃げだしたが、あんな奇病があるのだろうか?

 これが昔の芦安温泉宿の実景である。

 さて、その日の朝早く、わたしたち二人の教師は、中学生の兄弟と導者、人夫の一行で、芦安へ降ってきた。明日は四日ぶりの甲府というので帰心矢の如く、降り仮にかかると足がひとりでに

つっ走って、その早いこと早いこと、まだ夕日のあるうちに温泉宿に帰り着いた。夏眠の股がかっかとほてっていたのを覚えている。

 何を置いても汗を洗い流すことだと、わたしと同僚が上がって支度している間に、兄と弟の少年一五年生と三年坊主はさっさと川へ出かけていった。遅れてわたしたちも外へ出ると、兄が裸で血相を変えて飛びこんできて、

 「弟が、川上の方へ泳いで行くうちに消えちまった!」と、おろおろ声で叫んだ。

 「川上って……じゃあ、あの上の…人取り釜…へ吸いこまれたかも知んねえぞ。渦巻いていて村の者でも怖がって寄りつかねえ悪場だ」と、導者の若者も走りながら言った。

 この兄弟は校長の息子で、いねば大事な預かり物だった。けれど、弟のは小粒のくせにおよそ怖いもの知らずの胆のすわった少年だった。小太郎尾根から北岳へかかるところで、あの大岩壁をまるで小ザルのようにさっさと匍い登って行って、山に馴れている導者までがはらはらしたほどだった。

 泳ぎも達者だった。が、それにしても不知案内の御勅使川で釜の渦巻に吸いこまれたというのでは、あるいはもう絶望だろうかと、夢中で川原の大石の聞を走り抜けて行った。

 ところがである。わたしたちが川べりに着くとほとんど同時にRが岸に泳ぎ着いて、立ち上がって、両腕をブルンブルン振りまわしながら、わたしたちを見てニコニコ笑った。

 「助かったんだね、隣ちゃん!」と、兄がまだ上ずった声で駆け寄った。

 「なンでもないさ。少し驚いたけれど」とRは落ちつき払って手拭を渡すとからだを拭きにかかった。宿の亭主も飛び出してきたが、わたしたちと同じく、ポカンと立っていた。

 ボツボツ話しだしたのでは、Rは流れを幾らも潮って行かないうちに急に渦に巻かれて、気がつくと暗い淵の底にいた。それで水を掻いて表面で酋を出すと、直ぐまたグルグル中へ引きもどされる。それを繰り返しているうちに考えてみた(と言う)。これはじたばたしないで、渦のままに任せながら流れに乗って川へ吐き出されることだ、と。

 「そうしてみたら、いつの間にか外へ出ていて、どっと流されて、五、六回手を動かしただけで、そら、ここへ着いたというわけです」と、ゆっくり話したが、「けれど、先生、これは父にも誰にも内緒にしてねいて下さい。気まりが悪いンですから」と、

熱心に言った。わたしもうなづいた。

 Rはこういう性格の少年で、その後も大胆な冒険…、地蔵仏へ日本人としては初めて友人と細引で攀じ登ったのも卒業の年だった。をいろいろやっているが、それを自分から口を割ってひけらかすことは決してなかった。

 この…人取り釜…の話はヽわたしが書くのも初めてである。そして昔の記憶では、御勅使川は温泉の少し上で川幅いっぱいの低い滝となっていて、釜というのは滝のすぐ下に当たるような気がする。それを改めて山寺氏に正してみたわけだが、写真で説明したのでは、温泉から上流で約百メートルに在る堰堤が滝の落ちていた処で、その直下の…ごろた石…が人取り釜の跡でしょうと言わ

れた。

 Rは今でもロサンジェルスで、生涯独身のクリスチャンとして貧しく暮しているが、この冒険もとうの昔に忘れてしまったことだろう。  

  (四月二十五日記)






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最終更新日  2021年05月18日 14時58分30秒
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