カテゴリ:北杜市歴史文学資料室
韮崎『中央線』昭和47年 随想 藤原茂雄氏著
一部加筆 白州ふるさと文庫
韮崎観音山の突端にある、韮崎市民会館四階、韮崎市誌編さん室の窓際にある机に向って、中央線原稿締切りも、後三日と頭の整理もでないまま、ボンヤリ外を眺めていると、中央線特急″あずさ″がサッと眼の前を通り過ぎた。 誰も居ないホームを駅長さんらしい一人が階段に消えた。 駅舎もホームも新らしくなった眼の前の韮崎駅も、この時ばかりは急行の止まらない田園ローカル駅の静かな風景である。 視野の中に、毎日何処かで普請をしているという富士見町の、カラー屋根のあちこちにひと月後れの鯉のぼりが長閑に泳いでいる
昭和十年大水害のあった頃は、たった一軒しか家が無かったという町である。 右端に見えるつい此の間仕上った更科橋を自動車が一台走っていく。左方片倉の煙突からは匯かに細い煙りが南東になびいており韮高のカマボコ型体育館の青い屋根、最近立派になった校舎はいっぱい窓を明け放しているのが見える。丁度テストの時期である、さわやかな薫風の中で頭をひねっていることだろう。 眼を移すと東ケ丘病院の白い建物が、雨上りの緑の中に著く、更に上の山穂坂台地一帯の点在する部落、葡萄園、桑畑の起伏から茅ケ岳、金峰につづく稜線と実に良き眺めではある。 これが私ども此の部屋に居るものの小さな視角で、春夏秋冬その面白い移り変りを己に三回も昧わったが、此の市誌の編さんということが如何に大変なことかも身に泌みて味わっている。 さて此の緑一色の穂坂台地の中に、実にくっきりと、冬は残雪かと紛うばかり白い地肌を露した一画が見える。 最近オープンするというゴルフ場の整地のため削り取られた山肌である。 此の小さな部屋から見る視角の中にも、やはり開発という爪あとはあった。 最近各地で環境が変って、価値が無くなり振り向きもされなかったような雑木山を、良い値で、そっくり何十町歩とまとめて買ってくれるという、然も部落の中へは道路も造りあれもこれも、してくれると良い良いづくめで、曽て息子の嫁を心配し、後継者対策に頭を悩ましたのも嘘のように、話はだんだん大きくなり、気持もまたそれにつれて、億万長者が何人出たなど噂は忽ち寄り合場所の種となっている。無理も無い話しである。 また話しばかり聞いている者にとっては、まことに面白くも無い話しであり、世の中が喧しくなってくる次第である。 いまや県下各地でも、自然保護の掛け声が盛んである。裏を返せば乱開発のための自衛手段で、その進撃振りの速さは、まさに織田・徳川連合軍以上であろう。 過般の山日紙面を見ると「変容する山河」「侵食は秒速の速さ」「地質の老化、乱開発が拍車」と変容する現実と自然保護の在り方将来の展望などに一頁をさいている。 さて、韮崎駅に今度は塩山始発の電車が入ってきた。四輌両編成で韮崎で折り返し塩山へ戻ってゆく都合の良い電車で利用者も多い。 中央線も便利になって今夏は冷房車も何本か走るという、昔トンネルの煙りで顔まで黒くなった頃を思うとそれもまた懐かしい。車窓の景色も田舎の風景が多かった。明治三十八年八月三十一日、歌人長塚節がニケ月近い旅の途次、甲斐に入り殆ど徒歩の旅であったというが、甲府まで汽車に乗ったと見えて、「幾十箇の遂道を出入して、塩山附近の高原をゆくに、心境頓に轄然たるを覚ゆ」との詞書で『甲斐の国は青田の吉国、桑の国、もろこし黍の穂につづくくに』と詠んでいる。 また明治四十一年一月の運賃里程表を見ると、甲府まで三十五里半、一円三十二銭であった、変ったものである。 変る筈である、進歩の歩みも単位が秒速となり、置いてけぼりを食っていた人間のすることが、また丁度間に合うという時代である。 だが此の目覚ましい進歩の蔭に、何かしら常に不安がつき纒い、スカ″としないのは何故だろう。一つには全体の調和の問題があると思う。バランスが崩れると忽ち故障が起り然も極めてもろい。自然と人工の点にもそう言える、「工」という字は、天と地の中に間があって「タクミ」であると辞典にある、そこに人間の存在がある。「工」が「巧」になると、たくみ過ぎて、いつわり、たくらみ、となる。何かわかるような気がする。 古代の人間が大自然に対して常に「恐畏」と「恩恵」の二面を感じ、火雷虫蛇のような暴威を振う神も、農耕や生活に無くてはならない恩恵をめぐむ福神へ転じて、生成発展へとエネルギーをかけて来た姿勢は、忘れてはならないような気がする。 何か理屈めいて来てしまったが、社会は人の集りである、全体の中の調和を考えたら、何か救われるところもあるかも知れない。駅のホームに人だかりがして来た、また電車が入って来るらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年05月19日 05時21分58秒
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