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2021年05月19日
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我が中央線今昔譚 山本山光 韮崎『中央線』昭和47年

 

一部加筆 白州ふるさと文庫

 

 明治三十六年と言えば、私が丁度三才の年、甲府以西の中央線が開通した。工事は当時のことで人海作戦より外なく、現在のような機動力のあるブルドーザーや削岩機がある筈もなく尽く人力による掘削、運搬も二人でもっこを担いで一歩一歩運んだのでトンネルや掘割などに費した人口は現在と比較にならぬ日数を要したに違いない。それでも細いレールを仮設してトロッコに満載した赤土を二人がかりで運転し、遠くへ捨てる作業の能率よさに目を見張ったものである。

桐の箱枕を三つ縦に並べその先に銭箱を機関車に見立て、廊下や敷居・畳の上処かまわず押しまくりながら

シュポッポ、シュシュポッポ、

コンナサカ、ナンダサカ、

ドカタノホッタサカ、

シュツシュツ、ポッポ

 

が、三、四才頃の唯一の遊びであったのを思い出す。

 工事が完成し七里岩の上を文明開花の花形がお通りとあって遠くからわざわざ見に来た話もあり親戚の子供など汽車の通る度ごとに外に跳び出し大声で喚くのは驚異と感動の叫びであり、この地が羨望の的ともなった。事実、あの物凄い轟音と蒸気、煙突から排く黒煙とス、ピードは全く絵になったのは今消ゆくデコーを追う写真家の興味と相通ずるものがあるようだ。泣く子に「そら汽車が来た」と言えば黙って見に行った位である。

私の所は割合広い屋敷で部落の中央に在ったので「中村」と呼ばれているが中央線のため部落は東西に分断された。六百余坪の略四角の西南隅から北東へ対角線に通されたので土蔵、隠居は取毀され家の一部をひしり取られたので貧しいあわれな姿が汽車の乗客から丸見えとなって了った。が汽車は時計の代りをつとめた。

「あれは十時の汽車だ、一休み」「あゝお昼の汽車が登ってきた、お昼飯に帰ろ」と畑仕事をしていても、時計が家になくても正しい時を知らせてくれたものである。

 屋敷の土地代金六百二十余円。貧しい我家では見たこともない大金である。家でも建てかえるかと思ったら、父は山林を買った。

今の新府城西三ノ九、東三ノ九、本丸南西から大手口まで一万余坪である。

 

当時坪七銭五厘。勿論百円近く不足しだのを親戚から借入れて山を買ったのを笑う者もあった。当時は金があったら田を手に入れることが常識だったからである。父が山を選んだことは今日却って幸運となったのも面白い。

 昭和十九年大東亜戦末期に近い頃の単線の中央線では軍需輸送に支障あり、信号所を設けて貨車操作の敏速が要請されてきた。着工するや昼夜兼行の突貫工事で三ケ月位で完成したのである。この信吟所の駅舎三棟の官舎スイッチバック用地の買収に応じなければならない。合計千坪近くの大部分である。僅か三千五百円で買上げられた。土地交渉の役人は「国策!戦争に協力しないのか」と今なら考えられない戦時中の国の威力に圧せられたのも止むを得ないが「もっと高く買って欲しい、あそこはもともと家敷で現に古井戸二つあり、神祉も三つあの通り。税金の関係で地目変換して畑になっているが屋敷であるから単価を屋敷並にして欲しい」役人は聴入れようとしない。

 工事半にして私は「この土地は全部私が国に提供したのだ。どうでも私を汽車に乗せろ!」と頑張った。当時工府工業教員をしていたが強引な便乗通勤を始めた。それまでは韮崎駅まで一時間、帰りは日暮れた毎日であった。その中通勤者が二人三人と私の真似をし始めた。「いいから乗れ乗れ!」と大胆にも皆を乗らせ心うちに「木橋ホームを作ろう」となって古枕木を並べて橋を架けぞろぞろ乗込んだが工事に協力している地元民の強引な乗降を黙認せざるを得なかった。其後運動の結果監理路にも黙認させ乗降信号所となった。

 本省へも再三陳情公認されたが駅昇格は中々困難、四十六年複線工事の折衝によりプラットホーム、ガード等市長、議会の協力によって漸く無人駅ながら二十年目にして国鉄「新府駅」となったのである。朝六時の一番が八時前に立川駅に着く、急行並である。






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最終更新日  2021年05月19日 05時55分03秒
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