カテゴリ:話のタネ本 東堀一郎氏著
話のタネになる本 実説・お軽と勘平
話のタネになる本 昭和49年4月5日 20版発行 東堀一郎氏著 株式会社 光文書院
『仮名手本忠臣蔵』での通俗的興味は早野勘平とその妻となる腰元お軽です。お軽は二文牢屋次郎兵衛の娘「かる」がモデルで、これは遊女ではなく大石の側室として家へ入れました。勘平は菅好三平がモデルです。 萱野三平は浅野内匠頭の中小性で美男であったことは事実です。凶変のときは、江戸詰だったので、早馬の急使として赤穂へ帰ります。その途中摂津萱野村のほとりを通るとき急逝した母の葬列にあうも、私情を殺してひたすら馬を走らせた、というエピソードもつたわってい ます。大石らの同志に加盟しましたが、父七郎左衛門は三平の将来を思って、他家への養子をすすめる、それがことわり切れなくなって、内匠頭の一周忌を前にした元禄十五年一月十四日に自刃して二十八歳の生涯を閉じました。この養子の問題から早野助平とお軽の情話が仕組まれたのです。 また勘平という名前も、義士に横川勘平がいますがこの人の事跡と早野勘平との間に共通のものはありません。 東京高輪の泉岳寺にある義士の墓の中に、「刃道喜剣信士」と戒名の彫られた一墓があります。これは大石良雄を大ざむらいと侮辱して仇討の後にそれを悔いて白刃した村上喜剣の墓としますが、それはあやまりで、萱野三平の招魂墓だと義士研究室は考証しています。この戒名から村上真剣という仮空の人物を、こしらえ上げたのだというのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年05月21日 18時00分40秒
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