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山口素堂序文『俳枕』 三十九才 延宝八年(一六八〇)
『俳枕』高野幽山編。
能因が枕をかつてたはぶれの号とす。 つたへ聞、 其代の司馬辻は史記といふものゝあらましに、 みたび吾岳にわけいりしとなり。 杜氏、季白のたぐひも、 とをく盧山の遊び洞庭にさまよふ。 その外こゝにも圓位法師のいにしへ、 宗祇、肖柏の中ごろ、 あさがほの庵、 牡丹の園にとゞまらずして野山に暮し、 鴫をあはれび、 尺八をかなしむ。 此皆此道の情けなるや。 そもそも此撰、 幽山のこしかたを聞けば、 西は棒(坊)の津にひら包みをかけ、 東はつがるのはて迄をおもしとせず、 寺といふてら、社といふやしろ、 何間ばりどちらむき、 飛騨のたくみが心をも正に見たりし翁也。 あるは実方がつかの薄をまげ、 十符のすかごもを尋ね、 緒たえの橋の木の切をふくろにをさめ、 金沢のへなたり、いりの濱小貝迄、 都のつとにもたれたり。 されば一見の所どころにてうけしるしたること葉のたね、 さらぬをもとりかさねて、 寛文の頃櫻木にあらはすべきを、 さはりおほきあしまの蟹の横道のまつはれ、 延る宝の八ツの年漸こと成りぬ。 さるによつて今やうの耳には、 とませの杉のふるきを共おほかり。 しかれども名取河の埋木花さかぬもゝすつべきにあらず。
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最終更新日
2021年06月05日 07時07分02秒
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