カテゴリ:山口素堂資料室
山口素堂46才 貞享四年(1687)『績虚栗』宝井其角編。
風月の吟たえずしてしかももとの趣向にあらず。 たれかいふ、風とるべく影ひらふべくば道に入べしと、 此詞いたりて過て心わきがたし。 ある時人来りて今やうの狂句をかたり出しに、 風雲の物かたとあるがごとく、 水月の又のかげをなすににたり。 あるは上代めきてやすく、すなほなるもあれど、 たゞにけしきのみいひなして情鳴きをや。古人いへる事あり、 景の中に情をふくむとから歌にていはば、 穿花□蝶深深見離水蜻蛉□飛 これこてふとかげろふは所を得たれども、 老杜は他の国にありてやすからぬ心と也。 まことに景の中に情をふくむものかや。 やまとうたかくぞ有べき。 又ききし事あり、詩や歌やこころの絵なりと、 野渡無人船自横月落かかるあはじ嶋 などのたぐひ成べし一猶心をえがくものは、 もろこしのしらねにうつして、方寸を千々にくだきものなり。 あるはかたちなき美女を笑はしめ、いりなき花ににほはしむ。
花には時の花有、ついに花あり、 時の花は一夜妻にたはぶるるに同じ。 終りの花は我宿の妻となさむの心ならし。 人はみな時のはなにうつりやすく、 終りの花はなおざりに成やすし。 人の師たるものも此心わきまえながら、 他のこのむ所にしたがひて、 色をよくし、ことをよきすらん。 来る人のいへるは、われも又さる翁のかたりかける事あり 。鳩の浮巣の時にうきしづみて厨波にもまれざるがごとく、 内にこころざしえおたつべしとなり。 余笑ひてこれをうけがふ。 いひつづくればものさだめに似たれど、 屈原楚国をわすれずとかや。 われ、わかかりしころ狂句をこのみて、 今猶折にふれてわすれぬものゆへ、 そゞろに弁をつひやす。 君みずや漆園の書、いふものはしらずと、 我しらざるによりいふならし。 ここに其角みなし栗の続をえらびて、 序あらんことをもとむ、 そもみなしぐりとは、 いかにひろひのヅのせる秋やへぬらんのこころばへなりとや。 おふのうらなしなれば、 なりも入よらずもいひもこそせめといなびつれど、 こまの瓜のとなりかくなりと猶いひやまず。 よつて右のそぞろごとを序成となりとも名づくべしとあたへければ、 うなずきて去りぬ。
江上隠士素堂書 春もはや山吹しろしちた苦し お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年06月05日 10時21分06秒
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