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2021年06月06日
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新出 落梧・蕉笠宛芭蕉書簡 素堂記載有

 

  『芭蕉と蕉門俳人』 大磯義雄氏著

  平成九年五月発行 八木書店

  一部加筆 山口素堂資料室

 

 野田千平氏が昨秋の第二十九俳文学会全国大会で発表し、今年一月の『連歌俳諧研究』第五十四号に載せられた、貞享四年十二月十三日付杉風宛芭蕉書簡に続いて、今回はからずもその十二日前の十二月朔日付落梧・蕉笠宛の芭蕉書簡に接する機会を得た、同じく『笈の小文』旅行中の在尾張の執筆である。

 これを紹介するにあたり、関連の多い貴重な資料として落梧後裔の安川家に襲蔵された俳諧資料があり、岐阜の高井秀吉氏か調査して他の資料も加え、『安川落梧の新出資料(翻刻と解説)』と題して昨秋出版された。資料の貴重さはさることながら、高井氏の用意周到な解説はよくその真価を伝えている。また今次第三十回大会当日、初めて拝見した高井氏の『安川落梧関係資料、(翻刻と解説)(『さるみの会報』十八号所載}も、新資料とともに詳細な解説を付され、落梧および岐阜蕉門を一段と究めたものとなっている。|

 

尚々枝柿一籠うるか一書

被懸芳廬悉尤賞玩可仕候

翰墨辱拝被今度者

其外連衆中荷兮叟迄

   早ゝ御見舞被下千里ヲ

御懇書披寄難有奉存候

   遠しとせすの御心指御厚意

少持病すくれ不申候故一紙如此御坐候

   過方到(至)極奉存候来春初

御立候跡□□□□御座候

   夏之節必其御地御尋可申候

越人□□□□□□候

一 素堂餞別一字二字忘候

   尚葉書なとも御座候失念いたし候

   江戸書程よせ可申よし申候故

   うつし不参候猶来春

   可得御意候頓首  

   十二月朔日芭蕉桃青

    落梧雅

蕉竺雅

 

本書簡の出所は美術目録である。昭和五年三月十七日岐阜市伊奈波の思誓願寺で行われた武儀郡下牧村長瀬の武井聴水庵遺愛品売立の目録で、木品は「安川落梧十二月 紙本とあり、懐紙一面と思われる。筆蹟その他、諸般の事情を勘案して真蹟であると推断して誤りないものであろうし、内容は疑う余地はない。高井氏によれば安川・武井両家には親交があって婚姻・養子縁組が行われ、木品が武井家に移動したことは十分に考えうるとのことである。

 しかし何分にも紙面不鮮明で判読に困難をきわめたが、鈴木勝忠氏の協力を得てようやくここまで読むことができた。不明箇所三のうち尚々書二箇所はほとんど白紙状態であり、本文の一箇所は難読、それは「過分」とは宇が違うけれどもその書損のようでもある。真蹟の出現が切望される所以である。

 

 さて、落梧と蕉笠が初めて芭蕉に面会したのは十一月二十六日、俳諧興行当日とも思われるが、これはやはり「安川落梧の新出資判」所載「翁来り給ふ日に時雨して今朝ハ猶空斗見る時雨哉」(『野』にこの前書「人を待うくる日に」とある)などから、野田千平氏の言う「落梧と蕉笠が名古・屋入りして、二十五日来名の芭蕉を荷号宅で待ちうけ、翌日『凩の』の七吟三十句が興行されたものとみえる」(前記諭文)と考えるのが適切と思われる。すなわち岐阜と名古屋間は小十里の日行程であって、二人の行動を考えると、二十四日名古屋に  行く、二十五日、芭蕉を待ちうける、二十六日歌仙興行、二十七日岐阜に帰る、と推測されよう。

 

 興行に一座した連衆は芭蕉・苛苛・落梧・蕉笠のほかに野水・越人・舟泉があり、彼らも二十五日に芭蕉を出迎えたのではあるまいか。この日芭蕉が名古屋に現れたのは、比較的遅い時期であったようだ。というのは、芭蕉滞在の  おりの熱田桐葉に鳴海の知足が訪ねているからである。翌十六日興行された歌仙の発句は落梧であった。落梧は、芭蕉を岐阜に招待したいと 「凩のがさがされよ稲葉山」と詠んだ(「岐阜の落梧といへる者我宿にまねかん事を嘆ひ  て」『知行子』)。おそらく落は、かつて芭蕉がここ名古屋の野水亭で「狂句こがらしの」と吟じた『冬の日』の風景を脳裏に描いて、岐阜の稲葉山に凩の寒さ重ねよと、要請したのであろう。

 歌仙が二十句で終わったのは、真冬の時節で日の暮れが早く寒きも厳しく、また七吟で手間取ったこともあろう。

 あるいは、当時健康のすぐれなかった芭蕉に対する配慮もあったかもしれない。そして翌二十七日、落梧ら二人は満足しながらも思いを残して岐阜へ帰って行く。芭蕉は居残り、十七日・十八日・十九日の三日間滞在、にー二月一日

桐葉亭に移る。その同一十八日に晶碧会があったことは『如利子』が伝えている。

 その如行は、二十九日に大垣から熱田に来て桐葉亭に宿り、翌一日芭蕉を迎えるのである。

月朔日芭蕉翁発名古屋至熱田、丑之時雨之」(『知行子』)。昼時であった。雪が降り、「旅人と我見はやさん笠の雪」の知行の歓迎の句を立句に三吟歌仙興行、しかし一折で中絶せざるをえなかった。「はせを心地不快にして是にてやみぬ」、『如行子』)。

 

 落梧・蕉笠宛書簡はこの日に書かれたのてある。少し細かい事ながら、執筆の時所は午前の名古屋荷兮亭か午後の熟田桐葉亭かの問題がある。名古屋熱田間は近いので午前中に執筆する時間はあったろうし、飛脚に託すにも名古屋の方が近い。ただ出発直前執筆は心忙しいのかも知れない。

 一方熱田とすれば、三吟一折興行後の夜分になったであろう。

ただ心地不快で打ち切ったほどであるから、それからの執勁はやや無理ではないかと思われるが、尚々書の中に「其外連衆中ゟ荷兮叟迄御懇書被寄」とあ「荷兮叟迄」の詞葉遣いに現在別の圈に滞在しているという意が汲み取られ、また続いて「少持病すくれ不申候故一紙如此御座候」とあるのもどららかというと後の力に解する力がより適切と思われるので、この日夜分、落つ着いてからしたためたものと推定したい。

 

さて本文に戻り、「翰墨辱拝披」とあるのは、二十七日夜岐阜に帰った落梧・蕉笠から連名の書簡が二十八日から三日間のうちに芭蕉の手元に届けられたことで、それには岐阜の名産枝柿一駕籠、うるか一壹が添えられていた。

それに対して芭蕉は、「早々御見舞被下、千里ヲ遠しとせずの御心指御厚意過分至極」と遠来の労をねぎらっている.たしかに早朝の寒気を突き、濃尾平野の凩に曝されあるいは時雨に濡れたかもしれず、粉雪が舞ったかもしれぬ十里近くの街道をせっせと辿って来た二人であった。東海地方はこの冬、寒気が厳しく雪が多かった.

 その二人の招請に対して、今回は行かれないが「来春初見之節必其御地御尋可申」と約束した.落栢にしてみればすぐにでも果てはしいが、当時の芭蕉は次の十三日付け杉風宛で「先春に先春に云のはし置申」と述べているように一日も早く帰郷したかったのである.翌年六月、約束どおり『笈の小文』の旅を終え壮国とも別れて岐阜へ出かけるが、落梧ら岐阜俳人の芭蕉招請の願望が尋常でなかったことは『笈日記』所収己百・芭蕉の付合の芭蕉の詞書にもあらわれている。すなわち「ところどころ見めぐりて、洛に暫く旅ねせしほど、みのヽ国よりたびたび消息有て、桑門己百のぬし、みちしるべせむとてとぷらひ來侍りて」とある.

 

 芭蕉を迎えた落梧らの喜びはいかばかりであろう、半年がかりでようやく望みがかなえられたのである。荷兮・越人も名古屋から馳せ参じて.再開を喜び、岐阜俳壇はとみに活気を呈してて幾多の句会が持たれ、多くの作品が生まれた。芭蕉にとっても名吟佳作の収穫があった。

 

【筆註】素堂のことに触れられる。

 

 本文に戻る。「素堂餞別」云々は、それを写して欲しいという希望に対する返事である。[句餞別]にはそれぞれ前言(葉書)付きの三絶と発句とがある。芭蕉は、餞別にもらって持参した素堂自筆物はすでに知足か梧葉あたりに与えてしまったらしく、そのことは落桔らも承知していたので、その写しを所望したわけであろう。地方の熟心な作者は知足も桐葉もそうであるが、名家の書き物に興味をもってその蒐集につとめていた。

 尚々諸の「其外連衆中ゟ」は、落梧・蕉笠以外の岐阜俳人でその仲間の者のことであるから、やはり岐阜招請の書簡と思われ、落梧・蕉笠のみならず連衆打揃って芭蕉を来岐を切望している熱意を伝えようとしたものであろう。

落梧ら岐阜の俳団は、とりわけ『冬の日』あたりからの芭蕉に注目憧憬して指導を仰ぎたいと熱望していたとみられる。 

 

(以下略) (昭和五十三年十月)






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最終更新日  2021年06月06日 17時19分35秒
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