カテゴリ:山口素堂資料室
人見竹洞と素堂 素堂の人生の友であり、林門の先輩の人見竹洞との出会いも同様で、寛文三年春、竹洞は幕府儒官として登用され、葛東に地を賜った。その竹洞が「林門三才の随一たるべし」と著述(含英随記)しているところから、竹洞の任官以前の事と考えられる。竹洞と素堂の年齢差は廿才以上ある。素堂が入門した頃には竹洞は助教位の地位に有ったものと思われる。儒官に登用された時、林家塾も弘文院号を幕府より与えられ、官学に準じた位置に置かれている。して見ると素堂が春斎に就いた時期は、明暦から万治年間と考えられ、従って春斎門下に素堂の名が見られないのも、うなずかれそうである。(但しその後の有効な資料には素堂の名が元禄六年の項にあると指摘されている。後述) 素堂は竹洞や幕府儒官との交流も多く、俳諧者高野雄山を林家に入門させている。(別記在り) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年06月09日 13時48分56秒
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