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2021年06月09日
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素堂の高野幽山の『俳枕』序文

 

素堂は延宝八年(一六八〇)に、高野幽山の『俳枕』に序文を記しているが、それは素堂の文芸精神を理解する上に欠かせない資料である。

 

つたへ聞くに司馬遷は史記の構想を立てるために三度五岳に登ったという。杜甫や李白たちも遠く廬山に遊んだり洞庭湖にさまよったりした。その外日本の昔の円位法師、中頃の宗祇・肖柏も朝顔の庵や牡丹の園にとどまることなく、野山に暮して鴨の声をめで、尺八をあわれんだ。これらの行為は皆この道の精神なのだ。(口語訳)

 

 右の文章から二つの点を指摘できよう。その一つは司馬遷・杜甫・李白・西行・宗祇・肖柏らが旅することによって自然に直接ふれ、その感動が漢詩・和歌・連歌などを生んだのであるという指摘である。その二は、漢詩も和歌も連歌をも「この道」ということばで概括している点である。素堂の序文は司馬遷を入れることやその叙述に精密さを欠く弱点はあるが、貞享四年(一六八七)から翌年にわたる旅の後、芭蕉が記した『笈の小文』の次の一節に比べると、芭蕉の先駆をしていると言えるではないだろうか。

 

芭蕉『笈の小文』 

西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その貫通する物は一なり。しかも風雅におけるもの造化にしたがひて四時を友とす。

(口語訳)

西行が和歌の道でしたこと、宗祇が連歌の道でしたこと、雪舟が絵の道でしたこと、 利休が茶の道でしたこと、それぞれの携わった道は違うが、それらの人々の芸道の根底を貫いているものは同一である。ところで、俳諧というものは天地自然に則って(のっとって)、春夏秋冬の移り変わりを友とするものである。

 

芭蕉は四人の芸術家の歩んだ道から、それらの根底を貫いている「造化にしたがい四時を友とする」という生き方を学び、それを旅することによって身につけ、蕉風俳諧として確立したのである。

 

素堂の『誹枕』の序においての第一声が芭蕉の俳諧観の上に具体化したように思われる。






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最終更新日  2021年06月09日 14時02分26秒
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