カテゴリ:古代史料
◎甲斐国司の確認 天平10年(738)~延暦18年(799) ○天平10年(738)4月22日【『正倉院文書』】 『正倉院文書』「天平十年駿河国正税帳」
◆甲斐国司 丹比乙万呂。補任。
………………………………………………………上一口…………… 従甲斐国進上御馬部領使山梨郡参事小長谷部麻佐 六郡別一日 ………………………………………………………従一口…………… …………………上六口 食為単壱拾弐日 …………………従六口 ……………………………上一口……………………上六口 山梨郡散事小長谷部練麻呂 六郡別一日食為單壹貳日 ……………………………下一口……………………下六口 《筆註》 …甲斐国より進上の御馬の部領使である山梨郡散事小長谷部麻佐とその従者は、一日一郡の行程で、その路次にあたる駿河六郡から糧秣の官給を受けて、平城京を目指して御馬を牽き挙がっていった。この時の御馬の様子や頭数は明らかではないが、甲斐の貢馬の実態を知る資料となる。小長谷部は御馬部領使で山梨郡散事であり、三御牧を想定する巨摩郡ではない。巨摩の地名の最初の登場は天平勝宝四年(752)の巨麻郡青沼郷で、天平宝宇五年(762)の記事中の巨麻郡栗原郷の人と続く。
○天平13年(741)12月10日【『続日本記』】 ◆甲斐守、馬史比奈麻呂 従五位下。補任。
☆考謙天皇、在位(749~758)
○天平勝宝四年(752)4月9日【『正倉院文書』】 高嶋…巨摩郡青沼郷の人物高嶋が出した調が、東大寺大仏開眼供養の際、舞楽の伎楽面を収納する袋の裏裂として使用される。
○天平勝宝四年(760)6月25日【『正倉院文書』】 ◆甲斐国目…桑原足床、云々。
☆淳仁天皇、在位(758~764)
○天平宝宇5年(761)10月1日【『続日本記』】 ◆甲斐守…山口沙弥麻呂。従五位下。補任。
天平宝宇5年(761)12月23日【『正倉院文書』】 ◆甲斐守…山口沙弥麻呂。従五位下。在任。 ◆目………小治田(名欠)。在任。 ◆員外目…桑原足床。在任。
☆称徳天皇、在位(764~770)考謙天皇重祚。
○天平宝宇8年(764)10月20日【『続日本記』】 ◆甲斐守…坂上刈田麻呂。従四位下。補任。 …甲斐守山口左美麻呂解任、恵美押勝の乱で功績のあった坂上刈田麻呂が中衛少将のまま甲斐守を兼任する。
○天平宝宇8年(764)10月【『続日本記』】 …用銭…甲斐国山梨郡加美郷の丈部(はせつかべ)宇万呂の用銭六百文が都に送られる。
○天平神護1年(765)1月7日【『続日本記』】 ◆甲斐守…坂上刈田麻呂、勳二等を授けられる。
天平神護1年(765)6月1日【『続日本記』】 …甲斐国飢饉…これを賑給する。
○天平神護1年(765)7月14日【『続日本記』】 ◆員外目…丸部宗人。
○天平神護2年(766)2月21日【『続日本記』】 ◆甲斐守…坂上刈田麻呂が恵美押勝の乱を鎮圧し功績として功田二十町を与えられる。
○神護景雲2年(768)5月28日【『続日本記』】 …八代郡の人…小谷直五百依、孝を以て終身田税を免除される。
○神護景雲2年(768)10月15日【『続日本記』】 ◆甲斐守…坂上刈田麻呂、従四位に昇任。
☆光仁天皇、在位(770~781)
○神護景雲2年(768)9月16日【『続日本記』】 ◆甲斐守…豊国秋篠真人。従五位下。補任。 ◇坂上刈田麻呂-陸奥鎮守将軍になる。
○神護景雲2年(768)10月23日【『続日本記』】 ◆甲斐守…豊国秋篠…甲斐守のまま治部大夫に。
○宝亀元年(770)5月9日【『続日本記』】 ◆甲斐守…坂上刈田麻呂。
○宝亀3年(772)【『続日本記』】 ◆甲斐守…栗田鷹守。正四位下。衛門佐。補任。 ◆甲斐掾…山上船主。五位下。陰陽助。
○宝亀9年(778)3月10日【『続日本記』】 ◆甲斐守…葛井連道依。従五位下。在任。中衛少将
○宝亀11年(780)3月17日【『続日本記』】 ◆甲斐守…山上船主。従五位上。補任。兼、陰陽頭天文博士。
☆桓武天皇、在位(781~806)
○天応1年(781)7月6日【『続日本記』】 …富士山噴火…駿河国言す。富士山の下に灰をふらす。灰の及ぶ所は木葉彫萎すと。 《註》…噴火地点、静岡側。噴火様式、火山灰 小川考徳氏調査発表
○天応1年(781)10月16日 …甲斐など五カ国の十二人が私力で軍粮を陸奥国に運んだ功績で位階を授けられる。
○延暦1年(782)閏1月17日【『続日本記』】 ◆甲斐守…藤原内麻呂。従五位下。補任。大納言真楯三男
○延暦2年(783)閏1月【『大鏡裏書』】 ◆甲斐守(~延歴4年)
○延暦3年(784)4月30日【『続日本記』 ◆甲斐守…紀豊庭。従五位下。補任。
○延暦3年(784)11月11日【『続日本記』】 ☆遷都…桓武天皇、長岡京に遷都。
○延暦8年(789)3月16日【『続日本記』】 ◆甲斐守…大伴王。従五位下。補任。桓武天皇第三子。
○延暦8年(789)6月9日【『続日本記』】 …改姓…甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人、要部上麻呂・古爾鞠部・解礼らの本姓を田井・玉井・大井・中井に改姓する。
○延暦10年(791)7月4日【『続日本記』】 ◆甲斐守…橘安麻呂。従五位下。補任。
○延暦13年(794)5月24日【『続日本記』】 …甲斐国…白鳥二羽を献上する。
○延暦16年(797)3月2日【『日本後記』】 …甲相国境…使を遣わし甲斐・相模の国境争いを裁定、都留郡都(鹿)留村東辺、砥沢をもって領国の境とする。
○延暦18年(799)12月5日【『日本後記』】 …改姓 …甲斐国、百済系渡来人止彌若虫・久信耳鷹長ら百九十人石川・広石野姓を与える。
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最終更新日
2021年06月11日 06時54分39秒
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