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2021年06月11日
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カテゴリ:山口素堂資料室

 

山口素堂 曠野集俳文 川嶋つゆ『芭蕉七部集』「俳句観賞」

 

  目には青葉 山ほとゝぎす 初鰹

 

 初がつを、夏のはじめに相州もゝの一早く江戸に出るのをいふ。

 季節ものゝ取合せに過ぎぬが、盛られた内容が溌剌として相映発してゐる。殊に「目には青葉」と上五の字余りのために調子が張って、おのづから、「耳にはほとゝぎす」舌には「初がっを」、といふ活々とし初夏の風物を浮立たせてゐる。

昔の人はこれを三段切れの名句などとも称した。

 句形は『大井川藤枝 延宝三年版』所載、宗鑑の作

 「目には花 手にや椀 腰に錢」

などに彷彿としてゐる。また万葉集第十

  さつき山うのはな月夜ほとゝぎす

     聞けども飽かすまた鳴かぬかも

  

  さつ今出はなたちばなにほとゝぎす

     隠らふときに逢へるきみかも

 

 などが影響してゐるかとも思われる。

 

 付記

 言水の『江戸新道』には、この句に「鎌倉にて」と前書がある。

 

 

山口素堂 曠野集員外 川嶋つゆ『芭蕉七部集』「俳句観賞」

 

誰か華をおもにざらむ。たれか市中にありて朝のけしきを見む。我、東四明の麓に有て花のこゝろはこれを心とす。よつて、佐川田喜六のよしの山あさなあさなといへる歌を實にかんず。叉

  麥喰し雁と思へどわかれ哉

此句、尾陽の野水子の作とて芭蕉翁の傳へしをなをざりに聞しに、

さいつ比田野へ居をうつして實に此句を感ず。

むかしあまた有ける人の中に虎の物語せしに、

とらに追はれたる人ありて、独り色を變じたるよし、

試のおほふべからざる事左のごとし。

猿を聞きて實に下る三聲のなみだといへるも、

實の字老杜のこゝろたるをや。

猶、雁の句をしたひて

 

  麥わすれ華におぼれぬ雁ならし

 

 以下、曠野集員外である.               ..

 

 前書は、素堂の手紙の文句をそのまゝ取り入れるもので、手紙の中の句を立句として、歌仙一巻を巻いたのである。この句のあとに

 「この文、人の事づかりてとどけられしを三人聞き幾度も吟じて」

とあって、

 「手をさしかざす峰のかげろふ」

と野水が言をしてゐる。この體を脇越しと称して、追善の場合などには、故人の句を立句としてこの形式に依るのである。

 東四明、東叡山即ち江戸上野のこと。・天臺叡山の四明嶽に擬した名である。佐川田喜六、永井直勝の家臣で、その作に、その作に

『よしの山花さくころの朝な朝な心にかゝる峰の白雪』とある。

虎の物語云々、小學致知類に見えてゐる.

 猿を聞て實に下る三聲のなみだ、杜甫秋一興の詩の一句である.雁ならし、雁なるらしの意味。

 前言は長いが、これは野水の句に倣ったもであって、さんざんに喰ひあらした麦の事をも忘れ、現在咲いている花にも愛着することなく、さっさと帰りゆく雁であることよ、と云ったまでゝある。諸事に拘泥することを潔しとせぬ隠者風の感懐である。






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最終更新日  2021年06月11日 08時18分35秒
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