2299639 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021年07月25日
XML
カテゴリ:山口素堂資料室

   岸本調和と甲斐&山口素堂

 

 

岸本調和 『俳文学大辞典』角川書店

     

一部加筆 山口素堂資料室

 

  調和筆「花啼て」句短冊(松平文華館蔵)

   花啼て杜宇咲里もがな 調和

 

調和(ちょうわ) 俳諧師・雑俳点者。

寛永十五年(1638)~正徳五年(1714)

『調和追善集』七八歳。

岸本氏、また本村氏。別号、壷瓢軒・士斎。

陸奥国岩代の人。

寛文(1661~73)中期以後は江戸に出て、はじめ芝に往み、貞享(1664~88)末年ごろ、日本橋一丁目に移り、のち浅草山谷に住んだ。

俳系は、京の安静門とするのが通説であるが、それを裏付ける具体的資料は乏しく、むしろ江戸の未得との関係が密接である。

作品の初出は『俳諧洗添物・洗濯砧』で、二九歳の時である。俳壇への登場は遅いが、その後は徐々に地歩を固め、寛文八年(31

歳)以前において、未得の後見により万句興行(宗匠としての立机披露)をしている。延宝七年(1679)、四二歳で第一撰集『富士石』を出版し、一門の繁栄を誇示、収録された四季発句1888句、作者三〇九人は、当時の江戸俳壇で最大の勢力と見られる。折から台頭しつつあった桃青(芭蕉)一派にとって、最も大きな相手であった。

調和は社交性に富み、大名衆や旗本などの高級武士階級を門人とすることによって社会的名声と経済的支援を同時に手に入れることができた。

しかし、その後は『時鳥十二歌仙』(散逸)『金剛砂』『誹諧題林一句』『ひとつ星』(貞享2)と撰集を重ねるに従い、所収句数も作者数も次第に減少していった。これは凶作・飢饉・大火などが打ち続く社会不安の中で、調和が頼みとした支配者階級の窮乏により俳諧から離脱する者が大量に発生しためが主な原因であろう。

貞享四年(1678)、五〇歳ごろから前句付点者へ転向。『夕紅』『洗米』『三評/風姿 十の指』(元禄12)天風月の童』

14年『相槌』『続相槌』同16)『新身』(宝永2)と、ほぼ毎年のように勝句集を発行し続けたが、元禄末年になると寄句が激減し、前句付は不振となった。加えて長く調和に協力した二世立志が宝永年に没し、調和の勝句集の発行はこれをもって終ったようである。大衆の人気に迎合してそのまま自滅したような格好であった。正徳五年(1715)、かりそめの風邪がもとで急逝。法名、調和院釈追鑑信士。江戸築地門跡寺中安養寺に葬る。

没後、追善集『調和追善集』(仮題、和英編)『これまで草』(遺稿)、発句集『俳林不改楽』(敲柳編)。荻野清「岸本調和の一生」『俳文学義説』昭46)、檀上正孝「岸本調和の撰集活動」(『近世文芸』15、昭4311)、宮田正信『雑俳史の研究』昭47) 

[檀上正孝氏著」

 

山口素堂と調和

 

富士石 調和、延宝七年(1679)、四二歳、第一撰集『富士石』

 

素堂、入集句

 

  二万の里唐津と申せ君が春                  

かな文や小野のお通の花薄

 

 

俳諧白根嶽 はいかいしらねたけ

 

甲斐市川 一瀬調実撰

    

山口素堂資料室編

 

御慈悲重なる御代とかや、

近年は吾国の御巣高山も止りて、

樵の鼻うた、牧の口笛、

山里の人のこころも長閑くなりて、

民腹つゝみをうちてたのしみけるためし、

今、比甲斐の白根の嵩おろししつかに、

黄鸚の片耳に緩し、

然るに田夫子か俳諧のその水上や、

御江戸の調和先生壺の滴りを、市川に汲て、

かく綴ることになりぬ

 

寒菊の痩神長の農朶甘し        岸本調和

心有冶童 心ある憎

花貰ふ若衆や庵ンに硯かる         調和

 

蝉 林下読書

蠹(キクイムシ)とならん先木の下の蝉とならん  素堂

 

市川に来て、調和

 

雪を雪と見て甲城の外に艶し       岸本調和

 鍬の余力に挑ク寒月            調実

訊ぬ夜タ独碁。星を蒔たらん         調実

 鼠ちょろく我を戯(ナブル)か         調和

木かくれの後架は昼を盗む也         調和

 団扇を笠に雨二つ三つ            実

書に屈ス気を蜩(ヒグラシ)に洗けり        和

 人董の長生を知ル              実

大名の見る月東シにも入らす          和

 川鯊(ハゼ)二つ釣れは慰む          実

我為の温泉なし医ハ誤レル           和

 誰比おもひ母に耳せん            実

偽(ダマサレ)て来て中宿に居ル三日        和

 刀に凋む恋の肝王              実

京男江戸の女にハ負れる            和

 時雨の巷裾土を掃ク             実

花に遊ぶ日を落葉に醒たらん          和

 婬(ウツケ)四十の年なをる死ぬ         和

釈尊の衣にかゆる五百両            実

 法力化女の美(カホヨキ)に惣(ホレ)       実

今朝見れぱ牡丹一房抱テ寝る          和

 酒になる予いつの皇帝            和

名月の二階に登る遥也             実

 蜻蛉の来て蝋蝸を消ス            実

世間の気を減すもの秋の露           和

 子を見て人に樊■(口会)桧ハなし      和

客転扇を開たるけしき             実

 自讃の狂歌態めくにや            実

松嶋の蟹を干物にして帰ル           和

 日比を約(チギル)圉人(マゴ)に銭遣(クレ)  

謀臣ハ謀国の土に入らん事           実

 美盃を棄て世を諷止ム            実

盲目の息(ムスコ)かならす盲目なし        和

 学一山の長と也けり             和

日光の花ハ朝鮮迄匂ふ             実

 楽器ハ松の呂に習ひけん           実






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年07月25日 08時02分24秒
コメント(0) | コメントを書く
[山口素堂資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X