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2021年07月28日
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江戸上納米の記 小沢文夫氏著

 

『中央線』 爽涼号 1968 中央線社

一部加筆 山口素堂資料室

 

古い車箪笥の片すみに残っていた古文書中の一冊がこの御廻米御用日記である。

武川米と藤井米は一時河原部(韮崎)河岸から船に債んだこ

ともあるが、鰍沢河岸の反対に会って中止となり船積みはすべて鰍沢より下流となったので鰍沢までは馬で運ぶようになった。

 この御廻米は大変な苫心のすえ、江戸蔵前の蔵差に渡された。無事納米して帰国し、御役完了を甲府御役所へ報告してようやく大任

を果したわけである。

その実録がこれである。(役荷役人名等を記した前文を省略)

 

文政八年(1825)十二月

 

御廻米御用中日記

   蒲原浜註

壱番        出役名主

 

酉十二月十二日、

村方出立鰍沢宿江戸屋杢兵衛方に一宿、それより船にて南部駅まで九里乗るなり、右宿みなとや郷右衛門方に泊り宿、

 

十四日、

南部出船にて岩淵河岸迄九つ時乗付、御出役ご見舞相済み、蒲原問屋にて一宿

 

十五日、浜詰所へ引返す。

 同日、林金五郎様御支配所青柳岸より船積、郷廻米は岩淵尼ケ淵と申す所にて破船仕り、蒲原郷懸りゆえ、郷出役様一同、岩淵まで参り、岩淵宿出役名主と懸け合い、十五日から十八日まで、石淵に留まり、種々の掛合い、是までの振る舞い、格別相違にて蒲原出役名主の取計い方よろしく相成り候。

 

  十八日、

蒲原へ帰り、十八日の夜は雨降り、

 

十九日、

天気。もっとも蒲原に浜漁士、甲州より出候、材木いかだ引船に乗り、夜九ツ時より風烈難風の船は破壊いたし、人夫二人を損じ、し残もの供も半死半生にて、豆州小津浦へ上り申し候、

 

二十日、

甲州御廻米問屋清水初次郎方へ参り、買い物いたし候、郷宿浅田屋に泊り申し候、亭主至りて発明人と見受け申し候、

 

二十一日、

府中を出立、清水へ廻り行き候、播磨屋初次郎殿方にて、御馳走に相成り、同日七つ時より、中川様御帳面にて、江尻宿早駕籠に乗り、夜四つ時に蒲原まで帰り候。最も御定賃銭にて、同二十二日、高崎兵吉様蒲原問屋に着き、御出向きに武井久蔵参り、問屋に一泊、

 

二十三日、

初め清水港へ、小回し乗り人久蔵問屋五左府門、朝五ツ時出船

 

二十四日、

諸所日待ち、御出役問屋後見差し添え、一同を振る舞いこれ祭り、蒲原宿法印相頼って酒肴吸い物二つ、大平どんぶり取肴刺身硯蓋本、膳菜飯具とも廿八人ばかり、御小屋人足共に同じ、

 

二十五日、

天気晴れ、もっとも昼より「ならべ風」あり、曇り、法印へ謝礼、久蔵両人にて参り候、豆州大浦より「さざ貝」多分に来る、

 

二十六日、

夜七ツ時より雨ふり、岩淵附送り一行、無之手透かし候や、

 

二十七日、

雪降り申し候、もっとも尤浜辺はー向に積り申さず、蒲原駅後の山は雪少々積り、伊豆浦山も一面に雪と相見え申し候、    

 

二十八日、

上天気に相成り、岩淵河岸より御米参る、平川仁右衛門清水港へ御前備えに参り、問屋後見伊兵衛も右一同なり、問屋常右衛門方餅つきなり、

海上去る十四日着ころ大荒にて浪至て大きく、船共に陸に上る、人数は凡そ百五十人ばかり、中には裸になり、波の中に入りて船を引揚る体、誠に感じ入る、問屋五左衛門へ餅そて呼ばれ申し候、蒲原にては餅の事を「あんも」云う名を付たり、

 

二十九日、

岩淵より御米附送なし、蒲原宿松の屋へ且那一同、蕎麦食いに参り、帰りに飯も食い食ら致し申し候、厄払い数々来たり候、しばしば十三年来この方面白き筆を取る、問屋その外油十所々の詰所出入ものより歳暮あり、看・青物類沢山に貰い候、

 

 文政九年(1825)

 

正月元日 

朝早く起きて雑煮を食い、袴で御蔵台ヘー礼致し、それより問屋へ参り朝湯へ入り、旦那へ年始の寿を申し上げ、問屋より吸物三つ、肴硯蓋などにて桜飯の振る舞い、それより氏神諏訪明神へ参詣、旦那と雑賀衆の寺へ参いる、問屋場所々へ年始相廻り詰所へ帰る、旦那問屋一同、詰所へ年礼、詰所にて吸物二つ、硯蓋にて年酒を出す。その夜は大騒ぎにて踊り候、

 

二日、

岩淵へ旦那・問屋に我等一同、駕籠にて四挺一匹乗出す、岩淵間屋伊右衛門にて種々御馳走を出す、是も吸物四つと酒肴を出す、   

河野様十三番福引いたし、一番勝が「おかめ」の面にすりこ木へ注連縄をかざり、壱番勝ちにあたるものハおかめの面をかむり踊りを始る約説也 問屋壱番に踊る大踊り、残相仕廻し踊り不致者は吸物椀にて三盃あてをいきなり言呑み申し候、中都万歳村土井茂兵衛様と申す人は六十余歳にて、おかめの面をかぶり踊申し候、又は」河内領車田村儀右衛門と申す人は、踊り不相成て、三杯いきなり呑み申し候、其の外十二三人一同に踊り大さわぎにて夜に入る。

一同駕籠にて帰り、その夜は蒲原宿に御勘定・御普請お泊りにて 

にて帰り、其夜は蒲原宿にて御勘定・御普請御泊りにて、清本より高崎兵吉様御勘定御機嫌伺いを出し候、夜四つ時参り出役・名主首右衛門御供なり、

 

三日

天気晴れ、蒲原の古城跡へ登り、旦那一同石の煮貝の形の石不残り申す割て取なり、この城は蒲原城主北条新三郎と申うす人なり、武田信玄公の為に落城なり、それより下り蒲原本陣屋敷を見物いたし、帰り留主之内岩淵より、旦那・問屋・出役名生一同年礼、問屋五左衛門宅にて大騒ぎを致し、大踊りを不残四人にて踊狂い、御仕廻り岩淵且那一同宿へ出る、女郎供をひやかし帰る、山田屋文四郎案内なり、誠に大さわぎ面白き事なり。

 

 四日、

上天気、海上静出、御米三千五十俵、出帆上乗久蔵某弐人なり、朝七ツ時より船数十三艘、人足大勢出て船へ米を乗せ船出する。

これは日の出なり。清水湊着は四ツ時なり、向島へ行く米を揚げ致し、播磨屋にて御年始が相済み、種々吸物三ツ酒肴散々出るなり。向鴫御廻しの様子昼時より見物にいたりて、その日は播磨屋に泊り、帰り陸路を岩淵出役名主一同にて、ゆるゆる帰るなり。清見寺参詣「さつた峠」倉沢と一見致し楽しみ相詰なり。

 

五日、

所々宿飯盛りをひやかし八ツ時蒲原へ帰り、八ツ半時より雨ふりなり、朝は天気晴れ、船には御米積出帆上乗仁右衛門なり。

海陸行き違なり、仁右衛門又播磨屋に泊りなり。

 

六日、

 天気に相成り、岩淵より御道中御米引も不切附送り有り、旦那清水へ年始御出なり、その昼蕎麦を出し申し候、七日まで安心に正月をいたし申し候、

 

七日、

岩淵尼ケ淵にて、北組の御米拾五俵が破れ候に付、東組岩淵出役万六茂兵衛殿御届として、清水に参るなり、同日久蔵、無事に郡元市場へ参り候。

 

八日、

清水より旦那が帰りにて.寿司二筋土産に貰い申し候、夜は酒宴にて夜の八ツ時間屋にあそび申し候、それより旦那は岩淵に参り候、御送人は久蔵なり。

 

 九日、

清水湊三艘の清広言三そう小廻し、仁右衛門様参り上候て日戻り帰り、道々面白き事御申し候、興津より由比まで駕籠に乗りと申し候、旦那、岩淵御帰り。

 

十日、

小廻し有り、上乗せ伊兵衛一人なり、大熊様岩淵へ御つき、ご機嫌伺いに、仁右衛門乗参り帰り、金毘羅様へ参詣、蒲原岩淵在役不残参詣、夜に入り帰り候、蒲原宿屋にて泊るように留められ宿賃杯敢定候へて、つい泊り詰所所出役方とて現れ、おかしく問屋までもと申し候。吉田重蔵様相咄御笑候、

 

 十一日 

大熊健吉様、蒲服浜御見分、問屋へ御泊り、海上の編引の躰を見分いたし候えども、魚は一向に取り申さず。

 

十二日 

御米追い山の處送りにて、甲州上曽根村仁右衛門殿の舎弟舞蔵殿乗申し候て、清水へ参り申し候。清水出役へ小状を出す。

 

  十三日

岩淵より川内偵出役儀右衛門殿来る、是より当詰合なり、同人より国元内方教来石(白州町)より之書状受け取り披見いたし悉く存候、家内村方之衆相し心地致し、同日清吉様より書状と申し候書状 到来して、大小問屋出役名主、争いもらはれ申し候。誠身面白と喜び一人嬉しぞ感じ候。

 

十四日、

岩淵御米送りこれ有り、清水より仁右衛門殿弟、舞蔵殿帰り宿中連あるき楽しみ申し候。

 

十五日、

御普請役様へ御礼に差し上り申し候は、

 

十六日、

大雨降り、

 

 十七日、

傑右衛門殿立戻り久能山参詣、仁右衛門殿は岩淵へ、北村様に付き、問屋一同御機嫌窺に参り申し候、上天気に成り、海上漁船が出て漁が有る。

 

十八日、

小廻し久蔵儀右衛門上乗せ清水湊へ行

 

十九日

小廻し良重郎仁右衛門清水湊へ行く、海上ならへ、風にて波荒く、船に酔い申し、その前日の夜、清水湊へ唐船入湊、唐より壱斗離なれ、乗込商船又は海船などは一円御差留にて、御番船なれ共、御城米故日、丸幟印故御組無御座候。

 清水より府中へ買物に参り儀右衛門殿に泊り、明日清水湊いりま屋迄帰り泊り、

 

二十日、

小廻り、義右衛門上乗り日戻りに帰り申し候。

 

二十一日、

小廻し不残相済申す旦那一同、久蔵上乗り、同日市川御出役鯰え 次 様御出

 

   二十二日

石淵河野様 出役 名圭一同清水湊へ仕揚げに行申し候。

同日御普請様並びに鯰江様・吉田様一同清水へ御出、見送り五左府門様・儀右衛門様。

 同日、長門様御通り見物いたし候、本陣にて御小休止、家老・国司信濃なり。

 

二十三日

感情調べ申し候。

 

二十四日

清水ヘー同参り候。

 

二十五日

清水播磨屋は大混雑いたし申し候。

 料理人五人、女中八九人なり。

 

二十六日

府中へ御戻り矢入屋にて買物 浅間様へ参り申し候。

二丁町見物いたし前にて河野様・吉田様・鯰江様浅間へ附き二町にて御あそび。

 

二十七日 

御帰り成り申し候、仕上帳・印形相済み申し候。

 同日夜分に蒲原まで吉田様御帰り、御供は久蔵義右衛門御普請様・大熊様・北村様お帰り致し候。

 

二十八日

この日も仕揚げ下済、中川様より金子を請け取り、清水宿に戻り、遑乞いをいたし、帰り申し候。

同目引御立会い様方 不残ら御引払吉原宿え引帰り故、御見送人儀右衛門久蔵也 諸勘定いたし候故、手間取り駕籠に乗り急ぎ申し候。

 

二十九日

古田・河野両旦那引払い、岩淵まで仁右衛門某御見送り申し候。 清水湊問屋善右衛門 所太郎左衛門。

 

晦日

出立準備にて甚だ忙しく、衆中の中の孫兵衛・庄八荷物手伝いたし、いとま酒を買い八郎右衛門え遣し申し候。

  

二月朔日

宿内暇乞い致し候、問屋五左所門・後見伊兵衛・親類七兵衛・山田文左術門・油屋重五郎宿外れ千年屋迄送りは、彼の酒肴にて大騒ぎにて、御引払い申し候。

それより岩淵にて人馬を継ぎ、立合い人足才領孫兵衛なり。それより同村にて、昼飯いたし、それより万沢宿に着き、御関所へ御届け申す。問屋吉田屋に泊まる。

 

  二月二日 

道中筋御用人足馬故恐いる。

万沢宿にては軽尻四疋の所へ馬八疋差し出し、荷物分合わせ南部宿まで送り継ぎ申し候。

  

二月三日

南部より人足拾八人出て、下山まで送り、同日身延山参詣、孫兵衛を駿河へ返す、餞別遣し申し候。

同日、車田村儀右衛門殿へ泊りいろいろ御馳走に相成り申し候。  

 

二月四日

鰍沢、江戸杢兵術殿え泊り申し候。

  

二月五日

上河東付久蔵殿に泊り 

 

二月六日

上曽根村仁右衛門様に泊り、久蔵様一同に参り申し候。

 早々ちそうに相成り申し候。滞留いたし候。

 

二月八日

下り小河原村平左衛門様に一夜泊り、御馳走に相成申し候。

  

二月九日

 甲府へ出張申し候。小淵沢村長右衛門様、上河東村久蔵殿先へ御出張御待受けに成り申し候。

 

二月十日

 御役所へ御届え奉り申し候。

  

十一日滞留して、十二・十三日村へ帰る。

 






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最終更新日  2021年07月28日 07時31分36秒
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