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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年08月04日
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カテゴリ:山口素堂資料室

   山口素堂デビューと伊勢 加友『伊勢踊』

 

  『津の文学と風土』「ふるさとのしおり」

     松   坂 ……加友から……

   一部加筆 山口素堂資料室

 

◇寛文7年 丁未 1667 素堂26才

素堂、この年に加友撰、『伊勢踊』に投稿か。       

『伊勢踊』素堂翁句初見 春陽軒 加友撰 

 

◎松阪市史、第七巻所集 寛文七年(1667)著 八年刊。

  伊勢踊 加友編 序

 

紗の紗の衣おしやりしことは世中の狂言綺語にして一生は夢のことくなれともことにふれつゝ目に見こゝろに思ひくちにいふ霞舌の縁に引れてやつかれ若年のころほひより滑稽の道にをろかなるこゝろをたつさゆといへとも宰予か畫寝かちにおほくの年月を過し侍りぬまことに期すところは老と死をまつのおもはんこともしらす又爰にわれにひとしき二三子あつていはく此ころ諸方に何集のか草のとて誹發をあつむる事しはいまめかしされは都のえらひにうちのほせんをも流石に目はつかしまた田舎のあつめにさしつかはさんこともはたくちはつかしさはいへとをのれらうちこゝろをやりてなし置たるを月日をふる句になし行事いとくちおしくて予を時のはやりをとりの哥挙に物せよとよりそゝのかされて氣を 瓢箪の浮蔵主になりつゝ足拍子ふみとゝろかし手ひらうちたゝきて人々まねきよすれは赤ゑほしきたるとち腰うちひねり頭をふりてわれもとうたひのゝしる小哥ふしらうさい片はちやうのものはいふにたらすは哥舟哥田植えうた巡礼比丘尼樵夫の哥なとをとりあつめて小町躍や木曾踊住吉踊土佐踊是はとこをとりと人とはゝ松坂越て伊勢  踊と名付答る物ならし   

・寛文七年霜月日                    

 

** 伊勢踊 素堂入集句 **

 

予が江戸より帰国之刻馬のはなむけとてかくなん

    かへすこそ名残おしさは山々田     江戸 山口氏信章

   花  

花の塵にましはるはうしや風の神

                         註…「はうし」は「法師」

餘花 

雨にうたれあなむ残花や児桜

                           註…「児桜」は「ちごさくら」

相撲 

取結へ相撲にゐ手の下の帯

                            註…「ゐ手」は「ぬき手」か 

相撲 

よりて社そるかとも見め入相撲

                           註…「社」は「こそ」                

 

** 参考資料 ** 『俳文学大辞典』 角川書店

寛文 七年(一六六七)

 

一月、『誹諧小相撲』刊。諸国点者の批点を比較する俳書の嚆矢。

季吟『増山井』刊、以後の季寄せの範となる。

書『貝殻集』『玉海集追加』『続山井』『八嶋紀行』

『やつこはいかい』

 

津で一生を終えたえらい学者、生絹(々るかわ)春明は、本居系譜法学で著名だが、その若さ日に成った「古風談林正風誹家大系図」(1838・天保九年刊)も俳家を調べるには素通りできない権威として学界で活用されている。

惜しいことに、中、下編の未定稿の行方が知れない。伊勢俳諧の頭領杉本望一の門も「中編に委シ」と載るだけである。

 さて、この大系図にいう、

 

 加友 

伊勢松坂樹敬寺中法悦院住職、般舟幕又春陽軒と号す。

(浮蔵主ともよばれた)初は望一門人たり、後貞翁(松永貞徳)門子となる、晩年同国出目に転住す。(1673・延宝元年没の説あり)家書、「伊勢をどり」1668年刊)あり」門人に「加速 伊勢松阪の人、(作品が季吟編「山の井」に見える)」「氏守荒本田氏 宗因や内宮長官氏富らの連歌の一座に連る)

 「子英 岩本氏、伊勢松坂の人、後江戸に下り浅草に居庄す(伊勢出身の江戸俳人は数多いが、山田出身で川田住の河曲一蜂らと活躍した)家書、つけ枕・花時鳥等あり、貞享、元禄年間の点者」

 

この加友の作で最も早い句は、貞門最古の俳書に属する「毛吹草]37年・重頼)の、

山吹(い)て山吹ちらす嵐かな

で、もちろん望一の生存中の山田の俳人らと一緒。ところが、望一没後発刊された貞門の「山の井」(48年・季吟偏)や大集「昆山集」(51年・令徳偏)・「玉海集」(56年・貞室編)で、山田連衆は姿を消すにかかわらず、貞門主流派に属する松坂の加友は、竹内三信らの先に立ってそこへ参加した。

 三信は、通称市左衛門.三忠、三信、一葉子、岳立軒と号す。貞徳、季吟系、江戸で水綿問屋を営む豪商、87年・貞享四年没。次男は射和の竹川家六代を継ぐ、作品は、子三保の序をもつ「音頭集」(74・延宝二年刊)に多い。

 談林初期までの俳書、俳人を最も多く収載する「詞林金玉集」(79年・宗臣編)で、六十六ケ国、五千六百十七人の俳人のうち、松坂勢は五十人(全国第十四泣。山田は第四泣)である。

 

加友晩年発行の「伊勢をどり」(六八年刊)に収めた松坂勢は七十七人。両者で二十二名が重複しているから、この頃までで松坂の俳人は、計百人余の盛況ぶりとなる。

殆どが松阪商人で、山田の俳諧を御師俳諧というなら、ここ松坂の文芸、学芸のばじまりである,

 そして、下記俳書はそれぞれの分野で最初のものだが「百人一句」(67年二重以編)では加友、「誹諧作者名寄せ」(同じころ・種寛編)、「誹諧節子鑑」(76年・西鶴編)では、加友と三信が松坂俳諧を代表して名を知られたのである。

 

   天のことは声も臭むなし雪の花

           伊勢松坂加友・百人一句

   出かぬるや尻の重たき子もち月

           竹内一葉軒・誹諧節子鑑

 

その後、知名の俳人では、大淀三千風の帰郷時に、松阪の宗匠として挨拶され、『蕉門諸生全傳』に伊勢松阪の人と挙げられる清水信風がある。松坂衆の撰集「よいを(四五百)の森」(94年・梅中編)の中心人物である。

   花の山どこつ加まへて歌詠まん 

「曠野」(89年・元禄二年)

   籠あけて鶯竹にうつらせん         

 「曠野後集」(92年・元禄五年)

 また、狸々(りり)という点者は、「花見車」(1702年・徹士)の末尾で、

「あっさりとすましの汁やとし忘れ」、著作「反故さらえ」

と紹介されているが、山田の「皮脂摺」(かわごずれ・団友編)などに

も句を寄せている。

 

【註 加友のこと】

 

ところで松坂俳諧には特筆すべきことがある。加友の晩年から没後にかけてのこと。……,

 

 西山宗因が1661・万治四年以来たびたび内宮長官に招かれ、伊勢に来たとき、岡出俊正の手引きで松坂へ彼を迎えて連歌に一座した者には、「伊勢をどり」や「音頭集」の俳人では、加友のあとをついだ春陽軒加伝、阪井玄智、藤村吉之ら、それに後の崇敬寺高松院歌会の生みの親小津道生の父道方(妹は三信の妻)や同会員左中の先代青木安貞らも含まれている。

 貞門主流め北村季吟が伊勢を訪れるのは、宗因より十年遅れた1671・寛文巡十一年以降五、六度みあり、俳人久居候藤堂任口(高通)との関係が深いが、松阪へも立ち寄っている、松阪衆の和歌は、京都清水谷実業門で季吟と同門になるのである。

 宗因没後の87・貞享四年には、迎えられ、四十日間も滞在している。

 

『松阪文芸史』「俳諧の流行」

 

斯道の鼻岨荒木田守武が天文十八年神路山の辺りに歿せし時の松阪は未だ矢川庄時代で何等の影響する處がなかったが、武の歿した天文十八年には齢僅に二歳であった杉山望一なるものがあった。山田の人で、長するに及んで暫く守武の遺韻を洵み初めて伊勢風の俳諧を鼓吹した。時は既に松阪の創拓時代であって望一門に逸材があった。

この逸材こそ實に松阪の文墨をして始めて出世間的に認識せしむるの先駆をなせる広き意味の功努者にて其の名を、法樹院加友という。

 

法樹院加友

 

松阪新町浄土宗樹敬寺の寺中法樹院の住職で般舟庵又は春陽軒と称した。師の歿後は松永貞徳に就いて更に風雅の道を修め遂に一家を成し隠然松阪の地をして談林派勃興以前に於ける一勢力たらしめた。後に

加友は山田に居を移したが其の門には、加浬、子英其他があった。何れも一家を漏せる徒で松阪俳壇の権威である、加友の家著に『伊勢おどり』一巻がある寛文七年十一月の編輯であるが、加友の歿する年は詳かでないが、伴んの著作年次より推定し恐らぐ冤文中六・七十歳で歿したものであるべし、世に法樹院加友と江戸の医荒木加友ざを混同するものが居るが、等しく直門であるので、時と雅號が殆んど同じであったためである。

松阪の俳豪加友の傳として我輩の研究に属する今日迄の資料は以上の外傳ふる所なきは如何至極である。我松阪に法燈今も輝やかしき巨刹樹敬寺の寺傳として後世までの誇りである此の一偉在加友の史傳を審かにせられんことを、事の序を以て同寺の現在幹部諸師に希望して止まぬものである。

而も片々たる加友の著書、彼の『伊勢おどり』すら偶目すること稀にして、今直ちに黄金数枚を積むと雖も容易に入手することすら得られざると云ふに至っては、史を探ねんとするものの心細さを感ずんばあらず。却設加友門の出である。

 








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最終更新日  2021年08月04日 05時34分00秒
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