カテゴリ:山梨の歴史資料室
甲斐源氏と甲斐国司(4)1033~
○長元6年2月19日(1033)【『日本記略』】 ■富士山噴火。
○長元7年8月22日 ・25日(1034) 【『左経記』】 ◆甲斐守ー藤原頼経 在任
○長元9年10月10日(1036)【『僧綱補任』】 ◆甲斐守…藤原頼経。在任。興福寺維摩会の賢者(りゅうじゃ)となる。
○長暦1年11月18日(1037)【『行親記』】 ◆甲斐守…藤原永職(ながもと)在任。甲斐守藤原永職の母が焼死する。
○長久1年1月25日(1040)【『九条家本春記』】 ◆甲斐守…藤原隆経。正四位下。補任。受領甲斐。 『後拾遺和歌集』】…紀伊式部‥ …隆経朝臣甲斐守にて侍ける時、たよりにつけてつかはしける ……いづかたのかひのしらねはしらねどもゆきふるごとにおもひこそやれ……
○長久3年10月28日(1042)【『法隆寺文書』】 ◆甲斐介…三統(名欠)みむね。刀禰として署判を与える。
○長久3年(1042)この年 【『任国例』】 甲斐掾…平(名欠) 。甲斐掾に任じられる。
*永承1年 1046 河内守源頼信、石清水八幡宮に告文を捧げ、祖先並びに自己の勲功を述べて、子孫の繁栄を祈る。(没年ー永承3年 1048) 筆註**この願文の中で頼信は、自らの祖を清和天皇ではなく、陽正天皇を祖とする。
寛徳元年(1044)この頃?【『中御室』】 ◆甲斐守…藤原道政。補任。
寛徳元年(1044)11月6日この頃?【『伊勢勅使』】 ◆甲斐介…藤原惟盛。在任。
永承元年(1046)10月28日【『法隆寺文書』】 ◆甲斐介…三統(名欠)。在任。 ◆甲斐掾…平(名欠)。この年補任。【『任国例』】
○天喜2年(1054)【『大弐資通卿家歌合』】 ◆甲斐権守…在任。源師俊が、冬以前に和歌を詠む。 …永承五年(1050)以降補任。(『山梨県史』)
○天喜4年(1056)7月22日・11月14日 ◆甲斐介…紀(名欠)。在任。
○天喜4年(1056)春。【『大間成文抄』】 ◆甲斐小目…紀光安。従七位上。補任。
○康平1年(1058)春。【『大間成文抄』】 ◆甲斐掾…三枝成義(しげよし)正六位上。補任。
○康平3年(1060)【『洞院家記』】 ◆甲斐守… 藤原章経(あきつね)。従五位下。
○康平4年(1061)【『康平四年春叙目大間尻付抄』】 ◆甲斐大目…(名不詳)在任。
○康平7年(1064)3月3日【『公卿補任』】 ◆甲斐守…藤原実政。前甲斐守。四位下。補任。
…『公卿補任』承暦四年(1080)頃。 【『本朝世紀』】 …藤原実政本朝世紀治暦四年七月十九日条に見える。 【『新古今集』】 …みこの実やと申しける時太宰大弐実政学士にて侍ける。 …甲斐守にてくたりけるに餞給はすてと ……思ひ出はおなし空とは月を見よ程は雲井にめぐりてあふまで……
○治暦2年(1067)1月22日【『道院】】 ◆前甲斐守…藤原章経。
○治暦3年(1068)1月【『公卿補任』】 ◆甲斐守…藤原実政。従四位上。在任。
○治暦3年(1068)3月3日【『王朝無名漢詩集』】 ◆甲斐守… 藤原実政。在任。藤原実政が詩宴を催す。
○治暦4年(1068)7月19日【『本朝世紀』】 ◆前甲斐守…藤原実政。正四位下を授けられる。 【『後拾遺和歌集』】紀伊式部の歌。 …隆経朝臣甲斐守に侍ける時たよりつけてつかはしける ……いつかたと甲斐の白根はしらねとも雪降るごとにおもひこそやれ……
○治暦4年(1068)【『水左記』】 ◆甲斐守…橘成経。この頃補任か。(『山梨県史』)
○延久1年(1069)【『大間成文抄』】 ◆甲斐権守…(不詳)この年、甲斐権守(姓名不詳)が任じられる。
○承保3年(1076)3月15日【『宮寺縁事抄』】 ◆甲斐守…源仲宗。甲斐守源仲宗が陪従をつとめる。
○承保3年(1076)3月15日【『興福寺別当次第』】 ◆前甲斐守…藤原頼経。入滅。年六十七。
○承暦1年10月30日(1077)【『水左記』】 ◆甲斐守…源仲宗。甲斐守源仲宗が春日神馬使をつとめる。
○承暦3年(1079)3月13日【『宮寺縁事抄』】 ◆甲斐権守…藤原惟信。在任。
○承暦3年(1079)7月10日【『御産』】 ◆甲斐権守…藤原惟信。在任。甲斐権守藤原惟信が陪従をつとめる。
○承暦4年(1079)4月7日【『水左記』】 ◆甲斐権守…藤原惟信。在任。
○承暦4年(1079)8月24日【『大納言』】 ◆甲斐権守…藤原惟信。在任。
○承暦4年(1080)9月20日【『師記』】 ◆甲斐進士…(姓欠)為季(ためすえ)甲斐進士為季が尋問を受ける。
○永保1年(1081)1月5日【『師記』】 ◆甲斐守…源仲宗。在任。甲斐守源仲宗の受領功過定が行なわれる。
○永保1年(1081)10月11日【『水左記』】 ◆甲斐守…橘成経。在見。
○永保2年(1082)12月【『東大寺文書』】 ◆甲斐守…藤原永親。在任。甲斐守藤原永親が下文に署判を与える。
○永保3年1月(1083)【『拾遺往生伝』】 ◆甲斐守…藤原永親。死去。甲斐守藤原永親が死去する。
○永保3年(1083)3月28日【『扶桑略記』】 ■富士山噴火
○永保3年(1083)【『世紀』】 ○甲斐守…藤原有佐。この頃補任カ(『山梨県史』)
○寛治1年(1087)11月18日【『本朝世紀』】 ◆甲斐守…藤原有佐(ありすけ)。従四位下。甲斐守に在住していた時の功績による。
○寛治2年(1088)1月25日【『公卿補任』】
○寛治2年(1088)3月13日・3月23日【『王朝漢詩』・『寛治之記』】 ◆甲斐守…藤原為隆。正四位下。在任。
○寛治2年(1088)3月23日【『寛治之記』】 ◆甲斐権守…源盛長。在任。
○寛治3年(1089)1月22日【『大饗』】 ◆甲斐守…藤原為隆。正四位下。在任。
○寛治4年(1090)6月5日【『為房』】 ◆甲斐守…藤原為隆。正四位下。在任。
○寛治5年(1091)1月28日【『師通』『江記』】 ◆甲斐守…藤原為隆。正四位下。在任。
○寛治5年(1091)8月6日【『後二条通記』】 ◆甲斐守…藤原為隆。遷任。任淡路守。
○寛治5年(1091)8月6日【『師通』『為房』『世紀』』 ◆甲斐守…藤原行實。正四位下。補任。
○寛治6年(1092)1月19日・3月19日【『中御室』『血脈』】 ◆甲斐権守…藤原朝輔。在任。権守藤原朝輔が堂童子をつとめる。 ◆前甲斐守…藤原盛実。在見。【『為房】】 ◆前甲斐守…藤原道政。在見。【『中御室』】
○寛治7年(1093)3月20日【『白河』】 ◆甲斐守…藤原行実。在任。
○寛治7年(1093)10月17日【『中右記』】 ◆前甲斐守…藤原為隆。功過定。
○嘉保1年(1094)2月22日【『除目大間書』『任国』】 ◆甲斐守…藤原永実(ながざね)従五位下。補任。
○嘉保1年2月22日(1094)【『除目大間書』】 ○甲斐大掾…藤原行貞(ゆきさだ)。正六位上。(この年の除目甲斐介・権介不在)
○嘉保1年(1094)3月19日【『中右記』】 ◆甲斐守…藤原行實。従四位下。補任。
○嘉保1年(1094)8月15日【『中右記』】 ◆甲斐守…藤原行實。従四位下。在任。
○嘉保1年(1094)9月17日【『中右記』】 ◆甲斐守…藤原行實。甲斐守藤原行實の任期が嘉保二年まで。
○嘉保2年(1095)3月26日【『中右記』】 ◆甲斐守…藤原行實。在任。
○嘉保2年(1095)12月29日【『中右記』】 ◆甲斐守…藤原行實。重任。
○永長1年(1096)1月10日【『中右記』】 ◆甲斐守…藤原行實。従四位上。在任。 ○永長1年2月29日(記事あり) ○永長1年3月1日(記事あり) ○永長1年 4月16日(記事あり)
○承徳1年(1097)1月29日【『中右記』】 ◆甲斐掾…日下部武国。従五位上。補任。
○承徳1年(1097)12月28日【『近衛家所領目録』】 《逸見荘園》 …藤原師実の妻源麗子が、内親王の養女として、甲斐国逸見荘園を伝領する。
○承徳1年(1097)3月24日・10月17日【『大納言』・『時範』】 ◆甲斐守…藤原永実。在任。
○承徳2年(1098)2月30日・3月6日・8月27日【『小右記』】 ◆甲斐守…藤原行実。在任。
○承徳2年(1098)3月9日・11月14日【『宮寺』・『長秋』】 ◆甲斐権守…藤原宗仲。在任。
○康和元年(1099)5月28日【『僧綱』】 ◆甲斐守…藤原行実…在任。
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最終更新日
2021年08月21日 14時29分35秒
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