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2021年08月27日
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明治天皇御幸 北巨摩郡誌

第八編 皇室芳 第一章 御行幸啓

  明治天皇 御巡幸

  第一節  明治天皇御巡幸

 

 民情を親しく御視察あそばさる有難い御思召で,國内を御幸あらせられた始めは、明治五年(1916)の西南諸國の御巡幸である。

此の年の五月二十三日に濱離宮から龍驤艦に召させられ、

二十六日に伊勢の内宮、外宮を御参拝あらせられ、それから大阪、下ノ關、熊本、鹿兄島、九州など、大抵は海路で御巡歴あそばされ、兵庫、熱田を経て七月瓦日に御還幸あらせられた。

其の後、明治九年には奥羽の諸懸に御巡幸あらせられた。

徳川将軍時代には、所謂御成りとて、沿道の家々は戸を閉じ節孔をも目張りを爲さしめ火倉を厳禁した程であったのに、今次の御巡幸には、龍顔もあらはに、四民の奉迎を許された事とて、其印御思召の優渥なるのに感泣せぬ者は無かった。

 

 明治十三年六月、左記(下)日次を以て本懸及三重、京都に御巡幸あらせられ、教育勧業の実況を叡覧あそばされ、疾苦を問ひ養老の典を挙げ、忠孝節義を賞し、古社寺に金員を賜ふた、本懸民が鳳輦を拝するのは、開闢以来初めてのことであるから、所謂箪食壷漿で沿道に堵列し奉迎い誠を盡した。

 

 山梨懸、三重懸、京都府御巡幸御休泊 日次

 

  日程    昼    御泊

  第一日   府中   八王子

  第二日   吉野   上野原

第三日   鳥沢   笹子

第四日   勝沼   甲府

第五日   々    同所御駐輩

第六日   々    々

第七日   韮崎   菅原

第八日   金沢   上諏訪

第九日   塩尻   松木

第十日   松本   本山

第十一日  奈良井  福島

第十二日  須原   三留野

第十三日  中津川  大井

第十四日  釜戸   多治見

第十五日  坂下   名古屋

第十六日       同所御駐輩

第十七日  福田   桑名

第十八日  四日市  神戸

第十九日  津    津

第二十日  同    同所御駐輩

第二十一日 同    同所御駐輩 

第二十二日 松阪   山田

第二十三日 同    同所御駐輩

第二十四日 松阪   一身田

第二十五日 關    土山

第二十六日 水口   草津   

第二十七日 大津   京都

  第二十八日 同    同上   

  第二十九日 同    同上 

  第三十日  同    同上 

  第三十一日 同    同上 

  第三十二日 同    同上 

第三十三日 京都   神戸

第三十四日 同    同所御駐輩

  第三十五日 御乗艦 御還幸

 

 

本懸初巡幸の日取りは、

*八月十七日午前七時 八王寺御発、

午後五時三十分 上野原行在所加藤景明方着御。

*八月十八日午前七時、上野原御発、

猿橋まで御板輿、

猿橋より大橋まで初馬車、

午後五時、笹子行在所 天野董平方着御。

八月十九日午前七時、笹子御発、御板輿、

勝沼小孝枝御昼食、日川村 志村助兵衛方初小休、

御馬駆にて午後五時三十五分、甲府行在所師範学校に着御。

*八月二十日、御駐輦有位有動者に拝謁を賜ひ、

懸廳、裁判所に初臨幸。

*八月二十一日、勧業試験所に御臨幸。

御駐輦中国幣中社浅間神社へ幣帛料及神饌料御賜、

伏見宮貞愛親王殿下を石和村(八田達也方)に遣はされ、

養蚕の状況を代覧せしめられた。

侍臣、藤波言忠を龍王村(現 甲斐市)

山懸大弐の墓所(注 山縣神社)に差遣せられ、

祭祀料を賜り御贈位の初沙汰があった。

尚伏見官殿下を山梨懸病院並に矢島製絲場に御差遣視察せしめられた。

*八月二十二日、午前七時甲府御発、

御馬車にて竜王新町小宮貞彰方に御小休み、本郡に向はせられた。

 

本郡御巡幸の状況

 本部に於ては四月二十二日付を以て

郡長より左の内達を發せられ、人民の心得方を説示した。

一、 御通輦の道筋並に沿道宅地内は予て掃除を爲し置き、

其御当日は凡そ御通輩の二三十分時前を量り尚通路を掃除し、

塵を生する恐れある場所は水を濯くべし。

    但御通輩道筋へ敷砂盛砂等爲すを要せす。

 

二、 御通輦の路傍に有之便所、

肥溜等は御通輦凡そ五六日以前に於いて汲出し、

防臭壁等を施し臭気なき様取計ひ、

其の尤も見苦しき分は見透し不相成様掩蔽せしむべし。

三、 管内御通輩及御駐輦中、町村各戸御国旗を掲げ、

   其の御宿泊印宿村等に於いて夜分点灯祝意を表するは、

各自各町村の適意に任すべし。

四、 通御並び観人路上に羣集するときは、

騎兵等の通行に妨げあるに付、路上外にて拝観せしむべし。

五、 右同観覧物其他飲食店等路上に出さしむべからす。

其耕地脇道は妨けなし。

六、 拝観人の敬礼は立踞(うづくまる)共に各自の為すに任すべしと雖も、

帽子、襟巻印類は小児に至る迄脱せしむべし。

但家屋内床上に在る者は座するものとす。

七、 御當日入馬車の通行は通常の通りにて、

敢て差止するには及ばすと雖も、

御通輦の説は一時路上外へ避けしむべし。

八、 小學校生徒は教員之を率ゐ奉迎送するも苦しからす。

其場所は妨け相成ざる場所に整列して敬禮すべし。

    但し敬禮は御通輦の時通常の敬禮式を為し、

時に臨み教員号令等を用ふべからす。

叉整列中談話等なさしむべからす。

九、 条、生徒に一様の服を新調して着用せしめ、

又は女生徒に筒袖袴を着用せしむる等、異腹の風を為すべからす。

 十、  御通輦沿道庶民営業平常の通り相心得、

且つ居宅店頭等別段取片付るに及ばす。

 十一、通御の節楼し、樹上或は簾影、窓間等より窺に拝観すべからす。

 

尚、郡書記小松盆謙、同中田売平、同水原親義、同小林清重、同千野直一,同小林七朗、同秋山新八、同穂坂政光、同水口義作、筆生野田朝剛を郷巡幸御用掛を申付奉迎の準備をした。

 郷巡幸に先き立ち六月十三日文部卿河野敏謙、韮崎昼食、菅原泊にて通過、

沿道河原部、圓野、富里、白須、鳳来の小學校を巡視せられた。

 

 六月二十二日、車駕、龍王村御発,赤坂を経て本郡に成らせらる。

御行列は地方警部二名騎馬にて先臨、

次に近衛騎兵、

御旗近衛士官捧持、

次に近衛士官、

同佐官、

御馬車宮内卿徳大寺實則陪乗、

次に侍従、

侍医,

宮内大少書記官、

御用掛奏任官、

地方長次官、各騎馬にて随従、

太政大臣三條實美、

伏見宮貞愛親王殿下、

参議山田一義、

宮内少輔土方久元、

陸軍中将三浦梧楼等馬車、

次に騎兵士官、喇叭(ラッパ)

騎兵、警視各騎馬ニテ歯簿粛々、

午前九時二十五分、韮崎行在所韮崎小孝枝に着御、

御昼食を召さられた。

 

 是より先き、御巡幸御先発官として宮内大書記官山岡鐡太郎、

内務少書記官西村捨三、五月十三日に入峡せられ、

御宿割及諸準備につき指揮せられた。

韮崎に於いては左記の人々諸役を分擔して奉迎に勤めた。

 

   






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最終更新日  2021年08月27日 16時19分05秒
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