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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年08月27日
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明治天皇 御巡幸北巨摩郡誌 台ケ原宿

第八編 皇室餘芳 第一章 御行幸啓

 本郡御巡幸の状況

 

【筆注】台ケ原宿ヘ

 

斯くて一時間二十分詞休憩,

午前十一時四十五分御出發、

行列前の如く組母石村を経て圓野村に到り、

同村内藤朝政方に御小休、白麻一匹金二十五円を同家に下賜あらせられたo

  其れより武里村,新富村(現、武川町)を経て、

午後二時三十分、管原村行在所北原延世方に着御遊ばされた。

時恰も入梅の李節にかゝはらず、空に一點の曇翳(かげ)なく、

天日麗かに所謂天皇日和であった。

御行列を拜さんとて、沿道の民は申すに及ばす山間僻邑の者と雖も、

幼を負ひ老を扶け、十叡里の路を遠しとせず、

御道筋に蝟集した。

車駕、鹽崎村金剛寺より、塩川の木僑を渡らせらるゝや、

車収窓の左側に當って富士山巍然として天空に聳えたるに、

御眼をとめさせられ、暫時御車を停め風景を愛でさせられたといふ。

 

管原村に於いては数日前より、村吏それぞれ諸役掛を分據して、

奉迎おさおさおこたりなかった。

 

同夜北原延世は一夜侍従に任ぜられ、

長男忠、次男瀧蔵は給仕として行在所詰となった。

内務権大書記官桜井能監は俳句に堪能なり、

臺ケ原宿泊の吟に曰く、

      君ませは鄙も今宵は都かな。

 

其の盛儀窺ふべきである。

北原家には白羽二重一匹及金瓦十圓御下賜あらせられ、

尚朝夕供御に用ひられた飯櫃、御カハラケ等、御留めさせられ、

同家の家寶として保存せられてある。

 

菅原村に於ける御宿割は左記の通りで、それぞれ分宿した。

此日山田参議は韮崎青坂より、日野春村を経て産業の視察をせられ.

小淵澤宿泊、翌日蔦木にて御行列に加はった。

 

  菅原村に於ける御宿割 『白州町誌』

 

交通の整備と明治天皇御巡幸

 

文明開花、殖産興業を目指す政府のもとで意欲的であった藤村県令は、道路整備にも積極的であった。着任して一年を経た明治七年(一八七四)一月の告示で「四方ノ声息通ジ難ク、民情随テ固廼ニ安ソジ物産工業為ニ興ラス」(山梨県政百年史)と述べ、四囲を山岳に囲まれた本県の実態から、殖産興業を推進するためにも道路整備が急務であることを指摘している。以来、甲州街道をはじめ旧街道の修築が急速に進められた。

当時の道路整備は、曲折や高低差の修正、架橋など本格的なもので明治十二年(一八七九)までに、諸道の修築延長が百二十里に達したと伝えられている(県政百年史)整備に要した膨大な経費は、学校建築などと同様に大部分が区、戸長はじめ村の有力者や篤志家の寄付によったというから、当時の諾改革は民問の協力なしには推進し得たかったといえよう。

交通制度もまた新政のもとで改革整備が行なわれた。本県では明治五年(一八七二)、県が大蔵省に提出した会杜創建の稟議にはじまる。これによると各駅(甲州街道の各宿駅のうち、本県内に十八駅)に陸運会社を設立し、相対賃銭で人馬継立業務を行なうというものである。

稼ぎを行なうものはすべて入社し、その鑑札をもたたければ営業できないことになった。陸運会杜はその後の改正を経て、明治八年(一八七五)には全国規模の内国通運会社と連合し、鉄道開通まで主要な運輸機関としての役割を果したのである。

本町の台ヶ原、教来石両宿もこのようにして交通集落としての機能を保ち、近世以上に繁盛した。

おりから地域住民あげて新時代の到来を自覚するようなできごとがおこった。明治十三年(1880)、明治天皇の山梨、三重、京都三府県のご巡幸である。ご巡幸は伏見官をはじめ太政大臣三条実美、参議伊藤博文、内務郷松方正義ら供奉する文武百官四百余人を随え、六月十六日皇居を出発したのである。

本県ではすでに四月十三日、県下から各郡長に内達され、二十六日には聖旨を県民に布達、三十日には沿道各町村において心得べきことを各役場へ布達していた。甲州街道を進まれた行列は、甲府に二日滞在後、六月二十二日、午後一時五分、円野御小休所を出発、午後二時十五分、菅原行在所(北原延世宅)にご到着、一泊された。すでに現つ神として尊崇されていた主上をはじめ、新政府の要人多数を迎えて、台ヶ原宿はもちろん沿道各地では近世における大名行列以上に混雑を極めたと思われる。

御泊行在所は菅原村北原延世、御馬車舎は古屋喜代造、御厩は北原延世囲内、御立退所は菅原村蓮照寺、御小休所は教来石駅河西九郎須宅と定められ、五月十八目、近衛局御先発陸軍会計軍吏副横幕直好から次のような指令があった。

○菅原行在所

北巨摩郡台ヶ原駅北原延世

 

北原延世は酒造業を営み、家宅広く行在所に可なるを以て笹子峠と同じく、五月七日、行在所に内定し、左の箇所の修繕を指令す。

 

○御泊行在所

 

一、御浴室並御厨取設ノ事

一、御馬車屋並御馬繋取設ノ事

一、表裏へ内メリノ事

一、門並玄関へ轟張折釘打ノ事

一、馬繋場奥入二付宿並建札ノ事

一、在来便所へ障子〆切ノ事

〆六件

此営繕費金七百六拾五円余、外に私費修繕したるもの、表裏門戸修繕費金百参拾四円余也

御立退所同村蓮照寺

供奉官員以下膚従老の宿割は、駅内及び隣村の民家舎北原慶造外三十余戸に割当する。宿割左の如し。

 

行在所 北原延せ

 

第一号甲     大政大臣    三条實美   北原慶造

第一号乙     伏見宮貞愛親王        臺原臺祥

第二号      参議随行者          原光太郎

第三号      参議随行者          池上政常

第四号      佐久間内閣書記官       宮川庚平

第五号      桜井内務権内務書記官     原田佐左衛門

第六号      荻原逓信一等属以下      北原民平

第七号甲     石井中警視以下        清水勘四郎

第七号乙     三間小警視以下        石井半十郎

第八号      大谷大蔵少書記官以下     大輪關三郎

第九号      三浦陸軍中将以下       山田勘兵衛

第十号      大迫陸軍少佐以下       古屋荘平

第十一号甲    南騎兵曹長以下        山本庄吉

第十一号乙    清水騎兵軍曹以下       島口杢兵衛

第十二号     宮内卿徳大寺實則       北原 篤

第十三号     宮内少輔土方久元以下     北原 篤

第十四号     香川宮内大書記官以下     宮川仁左衛門

第十五号     丸岡式部           原 弘

第十六号甲    米田待従長以下        古屋茂一

第十六号乙    山口待従長以下        古屋照時

第十七号     伊東一等待医以下       小松浜平

第十八号     内膳課            入戸野六平

第十九号     調度課            第原益之

第二十号     内匠課            島口元右衛門

第二十一号    内廷課            小原庄太郎

第二十二号甲   宮内属            細田信茂

第二十二号乙   仕入             細田董顕

第二十三号甲   御厩課            菊原是副

第二十三号乙   御厩課            細田 伝

第二十四号甲   宮内属、夫卒、車夫、馬丁   伏見傳八郎

第二十四号乙   宮内属、夫卒、車夫、馬丁   鈴木員村

第二十四号丙   宮内属、夫卒、車夫、馬丁   鈴木清兵衛

第二十四号丙二  宮内属、夫卒、車夫、馬丁   伏見孫右衛門

号外一      文学御用掛          山田傳右衛門

号外二      印刷局            大森直真藏

 山梨県・長野県官属宿              清水徳兵衛

 

○御小休所

 

御小休所も亦、行在所と同時に内定する。

北都留郡田尻駅、犬目駅、花咲駅、初狩駅、東八代郡駒飼駅、東山梨郡日川村、東八代郡石和駅、中巨摩郡竜王村、北巨摩郡円野村、教来石駅の十箇所なり。

指定したる家主の氏名及び修繕筒所左の如し。

 

・北巨摩郡教来石駅河西九郎須 御小休所

一、湯殿床下並入口戸締ノ事

一、玄関薄縁敷設ノ事

一、玄関西ノ方二畳ノ間東ノ方唐紙ヲ障子ニ替ル事

一、門前へ幕串並折釘打ノ事

〆四件

 

  

 

・御休泊所共ニ御膳水井へ雨除蓋新調井建札取設ノ事

但上屋根有之分ハ不及其義二見込

右の件々現場検査の上御照会および候処相違無之候也

明治十三年五月七日 宮内省十五等出仕中村保福

 

なお御厩部から次のような指示があった。

 

仮厩五十三頭建取設ノ事、

北巨摩郡台ヶ原駅山本庄吉、島口多左衛門、島口文左衛門、島口佐次右衛門、鈴木清兵衛、伏見伝八郎、島口嘉吉、山本覚、古屋庄平、古屋茂一

右山本庄吉外九人ハ第十号十一号旅館最寄農家ニテ在来ノ厩ヲ以テ使用ノ積ニ付、別ニ仮建厩ヲ要セザル事

 

また御膳水については水質極めて精良たるものを選び、四月八日、沿道各郡長に通牒して、予め良水と認むる井水、湧水、流水の場所を調査せしめ、数回水質の分析試験を行ない、宮内省内膳課に報告して次のように採用された。

一、円井御小休伊藤徳右衛門持井戸

一、台ヶ原御泊北原延世持井戸

一、教来石御小休字細入沢湧水

 

すべて行在所には御厨、御浴室を新設し、御昼行在所及び御小休所には御厨のみを新設した。御浴室は梁間六尺、桁問弐間半、御厩は梁間四尺、桁間九尺、御小休所の御廊は六尺四方羽目板屋根大板葺で、その図面まで示されている。行在所北原延世宅における玉座をはじめ宿泊状況は図面の通りで、北原家の家族は隠宅に移った。また山梨県病院では、台ヶ原駅と下教来石駅に病院出張所を仮設した。

翌二十三日午前七時、行在所を出発。御出門直前に山梨県令藤村紫朗に謁を賜う。七時四十五分教来石駅御小休所(河西九郎須宅)にて休憩。

八時三分ご出発、駅北の端場坂下において早乙女が十四、五人ずつ二組に分れ馬八節を唄いながら田植をしているさまを御通覧たされて長野に向われた。このとき菅原行在所において鳳来村の中山平右衛門、菅原村の小沢らへ、にそれぞれ孝子、節婦として金一封を賜わり賞している。

また各行在所、御小休所等にては、民間より十二、三歳から十六、七歳までの男子にして品行方正容貌端麗なるものを選び給仕として採用した。菅原行在所にては北原忠、北原滝蔵、教来石御小休所にては灰原義一郎、三井幸作、海野義徳がその栄に浴した。

 






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最終更新日  2021年08月27日 16時27分26秒
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