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2021年09月09日
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**山高信俊、徳川幕府へ**

信俊も浪人生活満九年ののち、

寛永十九年(一六四二)十二月に至って漸く再出仕の恩命に浴し、もとの如く采地三〇〇石を賜わって大番に挙げられ、ついで

承応三年(一六五四)八月御広敷番頭、

万治二年(一六五九)十二月二〇〇俵加増、寛文元年甲斐の采地を下総国の匝瑳・葛飾・相馬・豊田、常陸国新治、等の諸郡の内に移され、相馬郡、我孫子に治所を設けた。

寛文九年(一六六九)致仕、

延宝四年(一六七六)十一月十四日逝去。八十一歳。法号高山院殿月照宗徹。牛込宗参寺に葬った。以後山高家代々、当寺を葬地とする。

 

 

武川村(町)指定文化財 山高信俊、信保兄弟の手簡折紙一通(鳳凰山高龍寺蔵)武川村(町)指定文化財 昭和五十三年十一月一日指定

 山高の高龍寺は山高氏の菩提寺で境内には山高氏代々の墓がある。これを裏づける古文書もまた数多く残されている。この書状は慶安四年(一六五一)山高三左衛門信俊と同五郎左衛門信保兄弟が連名で興国寺に送ったものである。信俊、信保が父親英居士(孫兵衛親重)の遺志に因って、高龍寺を修造して興因寺の末寺とした貴重な資料である。

 兄信俊は、祖父信直の養子となり将軍家へ仕えたので弟の信保が、孫兵衛を襲名して高龍寺中興開基として力をつくした。親重は父と別に旧地山高村において二七〇石の地をたまわり、甲府城番をつとめ天正十九年大坂の役に出陣している。

  謹而致啓上候随而  先祖菩提所山高

  村高隆寺古来本   寺無御座候然間文

  親英居士近年存   立寺取立中尉被

  致死去候拙者共   去秋建立仕是教和尚

  申請住居成候彼地  文泰和尚奉開山

  興困寺御末寺    仕度侯多分親英望有之慎

  併小地之儀御座候間 御末寺諸役候節

  末代至迄彼寺御免  許被下候様仕

  度由堅役申置候加様 之旨様御同心方

  向後為証処として  本状差上候恐々謹言

   十一月四日

        山高三左衛門  信俊 書判

        山高五郎右衛門 信保 書判

  興國寺






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最終更新日  2021年09月09日 08時04分27秒
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