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2021年09月09日
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山高氏十五代 山高信賢と信禮(のぶいや)

 五代信賢は通称三左衛門、また八左衛門。

明暦二年(一六五六)に生まれ、

万治三年(一六六〇)五歳で将軍家綱に謁した。

延宝五年(一六七七)十二月遺跡をつぎ、

延宝七年(一六七九)八月、父祖と同じく大番となる。

元禄七年(一六九四)正月御小納戸の職に就いた。

三十八歳。御小納戸という役柄は若年寄に属し、将軍に近侍して理髪・臍番・庭方などの細事をつかさどるのである。

元禄十年(一六九七)七月、将軍綱吉養女八重姫の用人を命ぜられ、下総国岡田・豊田両郡の内で一、〇〇〇石加増の上、布衣を着することを許された。布衣を着するは六位の重い役人に限られたので、信賢が布衣を着することを許されたことは、六位に昇ったことを意味し、名誉なことであった。八重姫は鷹司家の息女で、元禄九年綱吉の養女となり、元禄十一年六月水戸少将徳川徳川吉孚に嫁し、延享三年(一七四六)六月に没し、養仙院殿と呼ばれた。死後、院号を改め随性院とした。

 信賢は

宝永五年(一七〇八)二月、武蔵・下総両国内で三〇〇石加増され合計一八〇〇石知行した。

敬神の念篤く、郷里山高村の氏神幸燈官を崇敬し、

正徳二年(一七一二)九月、自詠自筆の和歌一〇〇首の額と神鏡一面を同社に奉納した。

正徳三年二月二十四日、五十八歳で逝去。法名走夢。

 

 

六代信禮は信賢の嫡男として

延宝九年(一六八一)に生まれた。幼名兵助、通称八左衛門、道号を自得斎といった。

貞享四年(一六八七)七月、八歳の時将軍綱吉に謁した。

《註》当時同じく武川衆を祖に持つ柳沢吉保の絶頂期であった。米倉丹後守など江戸幕閣の中枢に居た。

元禄十五年(一七〇二)小姓組番士に選ばれた。小姓組は小性組とも書くが、元来屈従組で、将軍の側近に侍して警衛に当たるのが屈従の本分である。用字が難解なため、平易な小姓・小性などの当て字を用いている

が、重要な役目であることは大番・書院番と変わらない。武川衆出身ということが影響しているとみられよう。

正徳三年(一七一三)二月、父信賢が世を去ったので、同年五月晦日、遺跡を継いだ。

 信礼は弓馬の道にすぐれ、

享保七年(一七二二)十月十八日、将軍吉宗の鷹狩に供奉して武蔵、下総両国の堺隅田川を小船で渡る際、折柄芦の叢中から大空高く飛び立った一羽の菱喰(ひしくい)雁を主命のまま一箭に射落とし、将軍吉宗の感賞を蒙った。信礼は、これも山高村の氏神幸燈官の神助の賜物と、奉謝の文一章と、当時使用の弓一張を奉納した。奉謝の文にいわく、

  

征夷大将軍吉宗公、御鷹狩の供奉として弓箭を帯し、武

蔵・下総の界、角田川に至り、小船に乗りて菱喰雁を射

留むるの時、北風烈しく吹き、浪高し。神徳に依らずん

ば、如何ぞ豊に利有ることを得んや。其後殿中に於いて

褒美として服三領、これを下し賜わる。徹感骨髄に応う

るの余り、微志を記してこれを納め詰んぬ。

 と。文も意をつくしている。

信礼は弓のほか、

享保七年(一七二二)十月に南京の瓶子二対、輪子の

中旗八旗、

享保八年(一七二三)三月に内陣帷を奉納している。

 

信禮は、

享保八年(一七二三)三月、多年職務精励の賞として黄

金一枚を賜わり、

享保二十年(一七三六)十二月、布衣着用を許された。

寛保三年(一七四三)閏四月には鉄地頭に進み、

延享元年(一七四四)十一月二十日致任した。

功により養老料米三〇〇俵を賜わった。

寛延元年(一七四八)四月二十四日逝去。七十歳。

法名「仕候」。






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最終更新日  2021年09月09日 08時09分18秒
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