カテゴリ:白州町・武川町 歴史文学史蹟資料室
興陽寺(我孫子市白山一―一六)当寺の開基は山高信吉 江戸時代、旧我孫子村は、幕府の直轄領と旗本山高・大沢両氏知行所の三給の村であった。山高氏は甲斐武田家の家臣であったが、武田氏が滅亡した後、徳川家に仕え、千八百石の旗本であった。この地を知行地に宛行(あてが)われたのは寛文元年(一六六一)、十三代信俊の時であるが、当寺の開基となった信吉はその信俊の子で、当寺にある彼の位牌には、「開基覚了院殿天室自性大居士 延宝五年(一六七七)八月五日」と書かれている。 その後、享保十一年(一七二六)、信吉の孫に当たる十六代信礼(のぶいや)が、両親の供養のために法華経八巻を写経して当寺に寄進しているが、それは寺宝として現存する。なお、山高家の菩提寺は東京牛込の曹洞宗宗参(そうさん)寺である。地下鉄早稲田駅に近く、夏目漱石晩年の居宅漱石山房跡にも近い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月09日 08時18分56秒
コメント(0) | コメントを書く
[白州町・武川町 歴史文学史蹟資料室] カテゴリの最新記事
|
|