2295869 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021年09月10日
XML
韮崎市の中世 
『山梨県の地名』「日本歴史地名大系19」平凡社刊 一部加筆
甲斐武田氏とは
 市中央部の神山町武田(中世の武田郷)は従来、源清光の子信義が同所に居住して武田氏を名乗った甲斐源氏武田氏の発祥地とされてきた。
しかし近年の研究では信義の祖父源義清がすでに武田冠者を名乗っており、その契機は義清が常陸国武田郷(現茨城県ひたちなか市)に居住したことによるとの説が有力である。義清とその子清光は常陸国武田郷周辺の豪族層と対立、甲斐国市河庄に配流され、同庄を基盤に勢力を拡大、さらに巨摩郡北部一帯に勢力を扶植する。清光の次男信義は当地に居住して武田氏を継承、これが甲斐源氏武田氏の起りとなったとされる。
信義は要害白山城を築き、氏神として武田八幡宮を勧請、氏寺として願成寺を造営している。
治承四年(一一八〇)以仁王の令旨を奉じて挙兵した源頼朝に呼応して信義は反平家の立場に立ち、同年一〇月に平家の派遣した駿河目代軍を撃破、富士川合戦では平家を敗走に追込むなど鎌倉幕府成立に大きく寄与した。しかし甲斐源氏の勢力を恐れる頼朝の粛清により、信義の子一条忠頼をはじめとする多くの一族が謀殺され、武田氏の勢力は一時衰える。
その後、忠頼の弟信光が武田氏の惣領職を継ぐと甲斐武田氏は勢力を回復、守護職はいっとき二階堂氏に明け渡したともいわれているが、鎌倉期を通じて甲斐源氏の盟主的存在となった。
武田氏一族は各地に分出して勢力を扶植し、室町・戦国期に台頭する豪族へと成長、市域の青木氏をはじめ釜無川右岸域に割拠した武川衆の面々もこうした武田氏支流である。
 室町時代から戦国初期にかけて逸見氏・穴山氏・跡部氏をはじめとする甲斐国人層の台頭と反乱、諏訪・北条・今川氏らの隣国大名の侵入に苦慮した武田氏は市域において命運を賭けた合戦を繰返している。
武田信虎
そのなかで享禄四年(一五二二)の河原辺合戦は武田信虎が大井・今井・飯富・栗原氏ら国人層と信州諏訪氏の連合軍を打破り、甲州での武田氏覇権確立を決定づけた画期的事件であった。
武田氏を支えた家臣団のうち甘利氏は甘利庄を支配、武田氏の両職という最高職制を勤めるなどその勢力を伸ばしたが、武田信虎・晴信(信玄)の重臣として活躍した虎泰が天文一七年(一五四八)の上田原合戦で戦死し、その子昌忠も永禄一〇年(一五六七)頃に死去すると家運は衰え、武田氏滅亡と運命をともにしたと考えられる。
甘利氏 大輪寺
大輪寺の境内は甘利氏の館跡とされ、一部調査が行われている。その結果一三世紀後半、および一五~一六世紀代の建物跡群・住居跡・溝・墓墳などが発見され、土師質土器・陶器・青磁・木製品・曲物・銭貨なども発掘されている。また甘利氏のほかに駒井郷を名字の地とする駒井高白斎政武・昌直父子は信玄の重臣として活躍し、水上郷に居館を構えた水上宗富は信濃国深志城(現長野県松本市)の留守居役として活躍した。
武田勝頼 新府城
 織田・徳川連合軍との決戦を予期した武田勝頼は、天正九年(一五八一)真田昌幸に命じて新府城を造営、甲府躑躅が崎館から本拠地を移転している。しかし翌一〇年三月三日に織田・徳川連合軍の甲斐侵攻に直面、勝頼は新府籠城を断念し、同城に火を放って郡内に向かったが、その途次に自刃して武田家は滅亡した。
徳川家康
その後、甲斐は北条氏直と徳川家康の争奪の場となる。同年氏直は信濃佐久郡を経て長駆巨摩北部に侵入、家康は新府城を本陣として北条軍と対陣、大豆生田の合戦で北条軍を撃破して戦局を有利に展開した。この間家康は甲斐国内の旧武田家臣を味方につけることに尽力、市城に本拠地を構えていた武川衆の折井氏(折居村)、青木氏(青木村)、米倉氏・越水氏(円井村)、入戸野氏(入声野村)、山寺氏(鍋山村)らはこの時に家康に臣従している。こうした豪族層はその後家康に従って各地を転戦し、多くは天正一八年の家康の関東転封に従って武蔵国鉢形(現埼玉県寄居町)に移っている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年09月10日 09時08分35秒
コメント(0) | コメントを書く
[韮崎市歴史文学資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X