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2021年09月18日
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カテゴリ:皇室・天皇御資料

二代 女性天皇 (こう)(ぎょく)(さい)(みょう))天皇

 

『歴代天皇 年号事典』米田雄介氏著 他

  2003刊 吉川弘文館

 

 ◇生歿 594~661

  在位 642~645 飛鳥時代

     655~661

 

()(たつ)天皇の曾孫、押坂彦人大兄皇子(オシサカヒトノオオエノオウジ)の孫。推古天皇二年(五九四)茅淳王(チネオウ)を父、吉備姫王(キビツフメノオオキミ)を母として

生まれる。諱は宝皇女(タカラノオウジョ)。

諱(オクリナ)は天豊財重日足姫尊(オオトヨタカライオシヒタラシヒメノミコト)。重祚後、舒明天皇の飛島岡本宮を皇居としたので、後岡本宮天皇ともいう。

はじめ用明天皇の孫高向王と婚し、のち舒明天皇の皇后となって、中大兄皇子(天智天皇)・間人皇女(孝徳天皇皇后)・大海人皇子(天武天皇)を生む。舒明天皇の逝去の翌年(六四二)、即位して皇極天皇となり、飛鳥板蓋宮(イタブキノミヤ)に居る。

大化元年(六四五)、中大兄皇子らが蘇我氏本家を滅ぼして、大化改新に着手したのを機会に、皇位を弟の軽皇子(カルノオウジ 孝徳天皇)に譲る。孝徳天皇の死後(六五五)、斉明天皇として再び皇位につき、はじめ飛鳥板蓋宮、のち飛島岡本宮を皇居とする。

土木事業を好み、多武峯(トウノミネ)の二槻宮(フタツキノミヤ)や「狂心の渠」(タブレココロノミゾ)と呼ばれる運河など大工事を行なった。

斉明天皇七年(六六一)、百済(クダラ)救援のため中大兄皇子らと筑紫にゆき、七月二十四日朝倉橘広庭宮(福岡県朝倉郡)で急死した。

年六十八(『本朝皇胤紹運録』)。

奈良県高市郡の越智向上陵(オチノオカノウエノミササギ)に葬られた。

 

◇参考文献 阿蘇瑞枝

「皇極(斉明)女帝」(『人物日本の女性史』二所収)

  この項(直木孝次郎氏著)

   

〔越智向上陵 オチノオカノウエノミササギ〕 

奈良県高市郡高取町大字車木にある。

『日本書紀』は小市岡上陵、

『続日本紀』は越智山陵、

『延喜式』は現陵号とする。

天智天皇六年(六六七)二月二十七日、斉明(皇極)天皇と孝徳天皇皇

后間人皇女を当院に合葬、陵を営むにあたり、斉明天皇の遺詔により石槨の役を起さず、永代の先例とした。

文武天皇三年(六九九)十月山科陵とともに修造し、

天平十四年(七四二)五月には、墳丘崩壊し鈴鹿王らに修補させ、献物を奉った。

『延喜式』諸陵寮には遠陵とし、「兆域東西五町、南北五町、陵戸五烟」とするが、中世以降所在不明となった。元禄の探索以来所在転々とし、幕末に至り現陵を考定し、元治元年(一八六四)修補を加えた。

現陵は平地より約五六肩高い急峻な山丘上にあり、東南に面し、前後に長い円丘である。高さ約十一m、長径五一m、下部は前・後・右の三方が台状に張り出し、上部は直径一五m、高さ三m余の円丘をなしている。

斉明天皇四年(六五八)の『建王の戸を天皇の陵へ合葬せよ』との詔にもとづいて、建王墓は当陵に定められている。

 

◇参考文献

上野竹次郎『山陵』上、

谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)      

 

◇この項 石田 茂輔氏著

 

 

◇参考 【母】吉備姫王(欽明天皇の孫)

【陵】大坂機長陵(大阪府南河内郡太子町)

 

◇重祚(チョウソ 一度退位した天皇が再び皇位に着く事)した最初の天皇

◇斉明は祭り上げられた天皇で。それに対する反動からか、土木建築に明け暮れたため、国庫と人民を疲弊させたと批判されている。          

◇斉明朝で特記すべきことは、斉明は百済救援のために武器と舟を造らせ、九州まで進んだが、遠征前に神の崇りを受けていたと伝わる。






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最終更新日  2021年09月18日 06時15分28秒
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