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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年09月25日
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地獄 じごく 『笈埃日記』

 

本書は、著者が安永の初年(1772)より天明の八年(1788)まで、身を六部の姿にて、笈を負ひて諸国を遍し、その足跡の印せざる處僅に六七ケ国に過ぎずといふ)、到る史の勝地絶景、或は奇談珍説方言等まで、巨細に記したる漫遊記参り。未だ曾て刊行廿られざる珍籍にして、かの有名なる橘南谿の東西遊記もこれに依る所多しといふ。所集本は無窮會神習文庫本に依り、今回同書俗本(この書は八冊にして、文化元年廓然寺大浄釋敬順喩月庵宗賢の序あり、本文中役人の抽記あり)を参照して増訂せり。

 著者塘雨は、京師室町の豪商なり。通称を左右二といふ。広く和漢の書に通じ、文才に富み、叉和歌を能くす。遊歴を事とし、一生を風雅に送れり。寛政九年(1797)の春醍屈の花見に行き、家に帰りし夜、頓に歿す。

 

越中立山の奥宇曾利山、信州浅間岳、豆州箱根、肥前阿蘇山で奥州外ケ浜等には天道有、地獄あれども、禅定の行者ならずしては、目のあたり見る事なし。故に諸説にも虚妄多し。また見て語るとも人怪しみて信ぜす。反古に信ふる所もなし。但し今昔物語に云、越中国立山といふ所に、昔より地獄ありと云傳へたり。其地の様は、原のはるかに広き野山也。その谷に百千の出湯有り。深き穴の内より涌出す。

巌を以て穴を覆るに湯委く湧きて、大なる巌石揺れ動き、熱湯満々て人近付見るに極めて恐ろし。反その原の奥に大なる火の柱あり。常に池焼る。反その處に大なる峯あり。『帝釋蒿』と名付たり。是諸天冥官集会し給ふ所也といふ。その地獄の原の谷に大たる瀧有り。高さ十餘丈、白布を張るに似たり。『勝妙が瀧』と名付く。然るに昔より侍へて、日牢固の人罪を得つれば、此立山の地獄に堕といへり。反地獄谷に地蔵堂あり。八大地獄各十六の別所ともに一百三十六地獄、『血の池』と云は、水色赤くして血のごとく所々に猛火湧き起る。北方に『剣山』あり。岩石時て鋒刄の如しと云。此等の外只口述のみなれば有無の諭様々なり。猶くわしくいわんも、常に人の至らざる地なれば、必す疑ひ怪しむなれば記さず。 

適四州に一大地獄有り。此地は行者ならざる者も容易に室る所なれば、形勢を筆して其見ぬ人に便りとする。

予、肥前国に遊歴せし頃、肥前国温泉山は島原の領地也。海中に差出て三方は海也。後に妙見山、普賢山とて両立てり。

地続きより至れば、その南山の間の嶝(坂道)を上下し行く、半途に島原侯の番所あり。切手を取て行く。春夏は浴場の人もままありて賑か也。

此、地主、彦火出命を祭り奉り。往古は僧坊蔓を並べて連綿たる大伽藍なりしを、切支丹耶蘇宗門に帰依して一旦破却せられ、今復に一乗院と云一寺のみ残りぬ。

寺内に大石佛数躰あり。堂塔の柱石のみ広々として哀れ寂しき有様也。寺邊に少し平地なる所一村有りて、浴室の人家有り。予十月半に至りしかば、人跡稀に古風烈しく殊に寂寞たり。一山皆赤土にて、瓔珞躑躅(ようらくつつじ)と云樹木満山せり。温泉の湯気にや。帰り花多く咲き出たり。その平地に温泉あり。人家の軒溝にも、道路の石間にも熱湯辺り出、湯気立昇り、山間を覆ふ計り靄々(あいあい もや)たり。昼は湯煙と見へしも、夜は皆火のごとく燃上り、所々に石鴫響て只物凄き躰也。流れ出る温泉は、悪臭く鼻を突。土石皆赤く錆びて、更に自餘の気色なし。翌日地獄廻りすべしといわれて案内者を建て行しに、先に三途川と名付る細き流あり。その川向に奪衣蔓あり、反側に牛頭馬頭石有り。何れも地上を出る事四五尺なり。近寄見れば左も無き尋常の岩なれ共、少し隔て見れば、姥石は川端に臨んで少し俯伏たる様、實にも地獄の絵図に見るが如し。髪打かぶりすさまじき形と見ゆ。牛鬼の角ある、馬鬼蹲りたるさま罪人を待気しきに彷彿たり。六道の辻には「地獄石」ありて、傍に小石多く積たる。「賽の河原」とかいう。胎内潜りの岩、針の穴通しなどいふあり。浄破梨の鏡石は鮮に人影を映し、「業の秤石」は罪の軽重をしるべし。劔の峯は劔刄を杭たる如く也。扨「蘆屋の地獄」は池水藍よりも青く、酒屋の地獄は美酒の色あり。血の他は朱の鏡の如し。中にも修獄道の怖敷様はいふ計りなし。猛煙立覆ひて、焼場岩間より飛出るに、下より百々と鴫響きて、岩と岩と寄り撃て粕取ふは、誠に歒(てき)するに似たり。其外種々の地獄世に云傳う所のごとし。紅蓮焦熱、無間叫喚等、経に説所皆備う。爰に一所珍ちしき可笑地獄あり。名目もまた滑稽なり。凱て「隠し餅の地獄」といふ。立寄り見れば、水なくて泥ばかりなる他の方十四五間計也。暫く行きみ見る内、底よりぶつぶつと湯涌出て泡となる。

其の丸さに大小有り。或は盆の如く、叉茶碗の程に、其数を知らず。池一面に並べ置たるに似たり。かく有て、はたはたと人音すれば、一時に消失ぬ。叉聲をなさず息を詰て見れば、頓て初のごとく泡涌出る也。幾度も同じ物言なければいつまでも消えずしてある也。是には恐怖の心も打忘れ、腮(ささえ)を解て時を移しぬ。此奥の「一の谷」大なる原のごとく、人力をもって平地とせるなり。予怪しみ問ふに、案内者の云、此所は「八萬地獄」という所にて、殊に大地獄なりしに、近き頃人有て斯く平地となし、打潰して明を作るなりと聞きて、驚きながら是は悦ばしき事かな。かくのごとく地獄を破壊する事、偏に佛法の繁昌して善倉、醍醐藏と云う。此内十四屋倉此町なり。共家結構なる事美麗を盡して、長押の鉄釘の見えるを嫌い、鳥獣草木の形を造り、その上に蒙らしむ。名付て「釘隠し」と云。此元禄の頃迄は、民家是をすべて用いる家希なり、よって世人来りて見るもの多し。人々おのずから町の名とする。






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最終更新日  2021年09月25日 18時44分30秒
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