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甲斐の府の有一同宗の御寺に、 『魔詞十五夜』(まかはんや)素堂三十三回忌追善集 黒露編
甲斐の府の有一同宗の御寺に、また婆とはいはれぬ程のおみな有、御本寺参りし度願ひ多年なれと、海道百里の旅及かたくて思い病み、殊さら一人の子の法師成しも、修学勤行のためとて京に登せ、御堂の辺りに学寮してゐけるにも、二とせもあはて一かたならす恋しきに、折こそあれ、同行の御本寺詣でせんと云男女老若と登るに、幸とかの五十とせの人は打悦、とみにうちつれて旅する事にて日を経、やがて都に着く、 先々東の御堂に参り、やをら彼子の修寮を尋て、この年つきのもたらしを慰し、互のまめやかなるを悦ぶ、そこを打見るに、御所化の衣を始め着服の物、ことごとく垢付てうるさきほとを、はやも見るに忍ひかたく、明の日はとく起てすゝき洗ひ張つ縫つゝりして、日こと此事にかゝり、三日、四日、五日と過ぎ行に、連れのみかか達は祇園北野黒谷と拝み巡り、日数はやく十四日ばかりに成ぬ、はや下り帰ねとて、彼婆ならぬ人の旅屋へ来り、かくと誘ふにそ一所だに見す有しか、故郷の人に別れ独旅せん事も物憂く、せめて鼻の先の六角堂さえに詣てつ、さしも花の都といへと只其かたにのみ引れて、小キ寮に針わさして十日の日を暮し、同行衆にそゝり立られ帰路に趣くぞ哀なる、 年比の願ひもいとまなみそこらあらはに、其洗ひ張の秋ならぬにつゞ れさせてふ日暮の文はるけき東路に向れける心の中、あはれ高きも低も親子の道はかはらぬおもひ也けり、 其事跡の深切に愛情の哀れさに実洗濯せしこそは都みたるなれ、知りつゝも其名は洩らす。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月27日 07時22分21秒
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