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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年09月28日
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素堂句集 (子光誌)蓑虫記

 

芭蕉老人行脚帰日ころ

蓑虫やおもひしほどの庇より

此月予が園にともなひけるに

又竹の小枝にさかりけるを

みの虫にふたたびあひぬ何の日そ

こののち芭蕉のもとより

みの虫の音を聞に来よ草の庵

これに答ふる詞

 

〔蓑虫記〕

みのむし みのむし、

聲のおぼつかなきをあはれぶ。

ちゝよちゝよとなくは孝にもつはらなるものか。

いかに傳へて鬼の子なるらん。

清女が筆のさがなしや。

よし鬼の子なりとも、

瞽叟を父として舜あり。

なんじはむしの舜ならんか。

 

みのむし みのむし、

聲のおぼつかなくて、

かつ無能なるをあはれぶ。

松むしは聲の美なるがために

籠中に花野をしたひ、

桑子はいとをはくにより、

からうじて賎の手に死す。

 

みのむし みのむし、

静なるをあはれぶ。

胡蝶ハ花にいそがしく、

蜂はみつをいとなむにより、

往来をだやかならず。

誰が為にこれをあまくするや。

 

みのむし みのむし、

かたちのすこし奇なるをあはれぶ。

わずか一葉をうれば、

其身をかくし、

一滴をうれば、其身をうるほす。

龍蛇のいきほひあるも、

おほくは人のために身をそこなふ。

しかじ汝はすこしきなるには。

 

みのむし みのむし、

漁父のいとをたれたるに似たり。

漁父は魚をわすれず。

太公すら文王を釣そしりをまぬかれず。

白頭の冠はむかし一蓑の風流に及ばじ。

 

みのむし みのむし、

たま虫ゆへに袖ぬらしけむ。

田蓑のゝ島の名にかくれずや。

いけるもの、たれか此まどひなからん。

遍昭が簑をしぼりも、ふる妻を猶わすれぬ成べし。

 

みのむし みのむし、

春は柳につきそめしより、

桜が枝にうつり、

荻ふく風に音をそへて、

寂家の心を起し。

寂蓮をなかしむ。

木枯の後はうつ蝉に身を習ふや。

からも身もとも にすつるや。

 

  又

 

蓑虫々々

偶逢園中

従容侵雨

瓢然乗風

笑蟷斧怒

 

無蛛糸工

白露甘口

青苔粧躬

天許作隠

 

我隣称翁

栖鴉莫啄

家童禁叢

脱蓑衣去

誰知其終

  

    葛村隠士 素堂 書

 

簑虫説跋(芭蕉)

 

草の戸さしこめて、

ものゝ侘しき折しも、

偶簑蟲の一句をいふ、

我友素翁、

はなはだ哀がりて、

詩を題し文をつらぬ。

其詩や綿をぬひ物にし、

其文や玉をまろばすがごとし。

つらつらみれバ、

離騒のたくみ有にゝたり。

又、蘇新黄奇あり。

はじめに虞舜・曾参の孝をいへるは、

人におしへをとれと也。

其無能不才を感る事ハ、

ふたゝび南花の心を見よとなり、

終に玉むしのたはれハ、

色をいさむとならし。

翁にあらずば誰か此むしの心をしらん。

静にみれば物皆自得すといへり。

此人によりてこの句をしる、

むかしより筆をもてあそぶ人の、

おほくは花にふけりて實をそこなひ、

みを好て風流をしる。

此文やはた其 花を愛すべし、

其實、猶くらひつべし。

こゝに何がし朝湖と云有。

この事を傳へきゝてこれを畫。

まことに丹青淡して情こまやか也。

こゝろをとゞむれバ蟲うごくがとごとく、

黄葉落るかとうたがふ。

みゝをたれて是を聴けば、

其むし聲をなして、

秋のかぜそよそよと寒し。

猶閑窓に閑を得て、

両士の幸に預る事、

簑むしのめいぼくあるにゝたり。

芭蕉庵桃青

 

【語訳】

庵の戸をとざして、ひとりこもっていて、ものわびしい折ふし、ふと、「蓑虫 の音を聞に来よ草の庵」と一句を詠んだ。わが友山口素堂翁は、この句をたいへん興がって、詩を作り、文章を書いてくれた。その詩は、錦を刺繍したよう に美しく、その文章は玉をころがすような響きがする。しかも、よくよく味わ ってみると、屈原の悲痛な詩編「離騒」のようなうまさがある。また蘇東坡の 新しさ、黄山谷の奇抜さもある。文のはじめ に、父に憎まれても、かえって孝 を尽くした虞の舜のことや、孔子の弟子で親に孝行して有名な曾子のことをいっているのは、人々にこのような虫からでも教訓をくみとれというのであろう。また、蓑虫がなんの能もなく才もないところに感心しているのは、人知の小を 説き、無為自然を尊ぶ荘子の心を、も一度よく考えてみよと人々にいうのであろう。最後に、蓑虫が玉虫に恋したことをいうのは、人々に色欲を戒めようとするのであろう。素堂翁でなかったならば、だれがこれほどまでに、この虫の 心を知ることができようか、できはすまい。「万物静観すれば皆 自得す」という句がある。万物は、心を静めてよく見れば、みな天理を内に蔵し、悟りを得 ているという、この句の真意を、自分はいま、素堂翁によって、はじめて知る ことができた。昔から詩や文を書く人の多くは、言葉の花を飾って内容の実が 貧弱であったり、あるいは内容にのみとらわれて言葉の詩的な美しさを失ったりする。しかるに、この素堂翁の文章は、言葉の花も、また美しく、内容であ る実もまた、十分食べ得るほど充実している。ここに朝湖という絵師があって、 この蓑虫の句や、素堂の文章の事を伝え聞いて、蓑虫を絵に描いてくれた。実 に、色彩はあっさりとしていて、心持は深くこまやかである。心をとどめて見 ていると、なんだか蓑虫が動くようであり、枝の黄色い葉は、いまにも落ちる のではないかと思われる。耳を傾けて聞いていると、画中の蓑虫が声を出して 鳴いており、秋風が絵の中からそよそよと吹き出して肌に寒く感じる。この静 かな窓辺で、静かな時を得て、こうして、文人素堂と画家朝湖の二人の好意を こうむることは、蓑虫の面目この上もないことと感謝する次第である。

(語訳は小学館『松尾芭蕉集』村松友次氏による)

 

簑虫賛(素堂)

 

延喜のみこ兼明親王、小倉におはせし頃、ある人雨に逢いて簑をかけられけるに、山吹の枝をたおりてあたへ玉ふ。「七重八重花は咲ども山吹のみのひとつ だになきぞかなしき」との御こゝろぞへにて、かし給はざりしとかや。又、小 泉式部いなり山にて雨に逢ひ、田夫に簑をかりけるに、あをといふものをかしてよめるとなん。時雨するいなりの山のもみぢ葉はあをかりしより思ひそめてきあをは簑のたぐひなるよし。客濡るに簑をからん時、山吹の心をとらんや、いなり山の歌によらんや。

 

《挿入》参考資料簑虫をきゝにゆく辭…… 服部嵐雪

 

<芭蕉の呼びかけに答える。素堂句集には掲載されていない>

 

いで聞きにまからん。行程二十町をぞや、かの虫なきやすべき、よしや虫まつ と もあらじ、またるべきに身にもあらず、面白や橋はふた國にまたがり、入江の 釣舟は、まさ横さまに打こぞりぬ。鷺眠り鴎流れつ、駿河の山はいつこゝら来つらん。川隈におほふ程ちかし、致景興をふるひ、あかむともなきに、柴門の雫、衣の襟にひやこく、草の露わら履につめたし。あるじなくてやありけん、とがめもたまはず、さし入て見れば簑虫の聲鳴すましてつくりと居給ふ、おと ろへくらべれは、霜にいまだ壯なりしが如く、力を論ずれば風流猶ゆよし、ふむ所座する所音なし、かみ子のふるければなり、ゆえによりこの聲は聞きしか、性のさはがしきにはなに戀しともきこえず、聞く事にもあらじ、見ることにもなけん、かれが情と人間の閑と、猶閑人のすぐれたるなるべし虫よ翁のかしましからむ、鳴きぞ。

 

何の音もなし稲うち喰ふて螽かな

 

嵐雪 (『俳諧三十六歌選』所収 津田房之助著)

《挿入》 <蓑虫説の諸解説>

「蓑虫説」

(……略)芭蕉が自ら『荘子』を読んで「無才」「無能」の意味を晩年に悟った可能性も考えられるが、「無才」「無能」を早くも貞享四年に唱えたのは、「蓑虫説」をめぐる交流を通した素堂であった。その素堂の提唱を通して、芭 蕉は『荘子』の「無才」「無能」思想を学び始めたのである。それは、芭蕉自ら「蓑虫説」にて、(略)「翁(素堂)にあらずは此むしの心をしらん」(略)「蓑虫説」が詠まれる以前には、芭蕉が「無才」「無能」の『荘子』思想を悟らなかったとしか考えられないのである。(略)芭蕉は「蓑虫説」をめぐる素堂との交流を通して、『荘子』の核心思想であると言える「無才」「無能」で あるゆえに「造化」に順応することを素堂から学んだのであった。

(筑波大学、黄東遠氏「山口素堂の研究」より)

 

《註》 …『春鳥集』序文、蒲原有明著。 思ふに俳文の上乗なるものうちには却てこの散文詩に値するものありて、か の素堂の蓑蟲の説の体、葢しこれなるべし。云々

《筆者註》 この素堂の『簑虫説』の主要本は全部で十一本あるという。

 

一、 「簑虫記」 天理図書館蔵本

 

素堂自筆本

 

二、 「簑虫辞」 国文学資料館蔵本

 

素堂自筆本

 

三、 『素堂家集』所収本の一(旧松宇文庫本、『俳諧集覧』六 所収 子光編 享保六年序

四、 『素堂家集』所収本の二(旧松宇文庫本、『俳諧集覧』六 所収 子光編 享保六年序

 

五、 『風俗文選犬注解』所収の「簑虫説」(介我著、嘉永三年/185 0成)

 

六、 『浜田岡堂蕉門俳諧資料』(鈴木勝忠編、昭和51年刊。明治書院)

 

七、 『蕉影餘韻』所収の「みのむし巻」 素堂自筆、巻子本。

 

八、 『素堂家集』(写本、国立国会図書館蔵本)

 

九、 『蕉影餘韻』所収の「簑虫説」(蚊足清書、貞享四年/1687秋)

 

十、 『風俗文選』所収の「簑虫説」(許六編、宝永三年/1707)

 

十一、『芭蕉文考』(板坂元氏蔵本、享和元年/1801跋) ◎ 『蓑虫説』 素堂自筆 俳句文学館蔵 (筑波大学、黄東遠氏「山口素堂の研究」より)

《参考》 蓑虫句

蓑むしの角やゆづりし蝸牛

     

素堂

   蓑虫にそむきも果てずけふの菊

   

支考

   みのむしとしれつる梅のさかりかな 蕉笠

蓑虫の出方にひらく桜かな

     

卓袋

   みのむしや常のなりにて涅槃像

   

野水

   みの蟲や形に似合ひし声悲し

    

杜若

   蓑むしを聞かぬぞけふの命かな

   

桃隣

   みのむしの茶の花ゆゑに折られける

 

猿雖

   みのむしのさがりはじめつ藤の花

  

去来

(『俳諧三十六歌選』所収 津田房之助著) <蓑虫説の諸解説>

「蓑虫説」 (……略)芭蕉が自ら『荘子』を読んで「無才」「無能」の意味を晩年に悟った 可能性も考えられるが、「無才」「無能」を早くも貞享四年に唱えたのは、「蓑 虫説」をめぐる交流を通した素堂であった。その素堂の提唱を通して、芭蕉は 『荘子』の「無才」「無能」思想を学び始めたのである。それは、芭蕉自ら「蓑 虫説」にて、(略)「翁(素堂)にあらずは此むしの心をしらん」(略) 「蓑 虫説」が詠まれる以前には、芭蕉が「無才」「無能」の『荘子』思想を悟らな かったとしか考えられないのである。(略)芭蕉は「蓑虫説」をめぐる素 堂と の交流を通して、『荘子』の核心思想であると言える「無才」「無能」で ある ゆえに「造化」に順応することを素堂から学んだのであった。 (筑波大学、黄東遠氏「 山口素堂の研究」より)

《註》…『春鳥集』序文、蒲原有明著。 思ふに俳文の上乗なるものうちには却てこの散文詩に値するものありて、かの 素堂の蓑蟲の説の体、葢しこれなるべし。云々

素堂像の考察(『蓑虫ノ記』より)雪中庵嵐雪文集 后學寥太編

蓑虫を聞に行辭 いて聞にまからん行程二十町をそやかの虫なきやさすへきよしや虫待ともあら しまたるへき身にもあらすおもしろや橋はふたくにゝまたかり入江の釣舟はま

さま横さまに打こそりぬ鷺ねふりかもめなかれつ駿河の山はいつこゝら來つら む川隅おほふとちかし致景心を奪ひあゆむ ともなきに紫門の雫衣の襟にひやこ く草の露わら履につめたしあるしなくてや有けんとかめもたまはすさし入てみ れは蓑虫の聲鳴すましてつくりと居給ふおとろへをくらふれは霜逢いまと壯な りしかことちからを論すれは風流猶つよしふむ所座する所音なしかみ子の古け れはなりゆへにそかの聲は聞予か性のさはしきにはなに戀しとも聞ふす聞事に もあらし見る事にもなけんかれか情と閑人の閑と猶し閑のすくれたるなるへし 虫よ翁のかしましからむ鳴そ 何も音なし稲打喰て螽かな 嵐 雪

○ …元禄八年東朝選の『鳥の道』に深川翁(芭蕉)の舊庵を見るに、芭蕉は残 りて門を錆し梅柳などは何地に移し植て人の情を起す、良夜の月池をめぐりて と謂はれしも半埋れて蛙飛び込む便りもなく芦の花はむかしの人を招くかと問 ふべく草の本にて 簑蟲も(を)聞ぬか今日の命かな

 

桃隣 (註-右は『芭蕉句選年考』石河積翠著)

文学博士笹川種郎他校註 昭和四 年刊行より p84

『簑蟲の記』についてp175・176

 

庭を取り巻く蟲の聲は、畫のうちでもしょくしょくと水の湧くやうで、空一 色に冷やゝかな青い空気は、緑のあたりにも充ちてゐた。芭蕉は眼に見える全 てのものが静かに地上の秋を感じてゐるらしい景色の中に、曽良が植えて呉た 菊のすくすく伸びた姿から、軒の芭蕉の葉の破れがちになった有様を眺めてゐ た。すると、あるかなしかの風に触れながら、ぶらぶらと動いてゐる一つの物を見出した。それは軒先から細い絲を引いて下ってゐる一疋の簑蟲であった。木の葉を編んで身體を包んでゐる其蟲は、破れた紙衣を着て旅をして歩いてゐた自分の風體とも似てゐた。何の頼む所もなく虚空の中に吹かれてゐる其蟲の 心持ち孤獨にして江湖に表白する自分の心持ちに似てゐる。芭蕉は其蟲を哀れがった。清少納言は此蟲が「ちゝよちゝよ」と鳴くといってゐるが、本當に鳴 くならば其聲を聞きたいものだ、又、誰かに聞かしてやりたいものだともおも った。 簑蟲の音をきゝに來よ草の庵 かう書いて彼は、濱町なる嵐雪の許に届けてやった。嵐雪は、早速に聞きにま ゐりますと返辭の手紙を持たして寄こした後から、訪ねて来た。嵐雪は門口で 聲をかけたが、應へる聲も聞こえない。是は留守あったかと思ひながら、彼は ずっと座敷に上ると、そこに芭蕉が兀然と座ってゐた。「おや、簑蟲の聲を聞いておゐでになったのですか」と嵐雪は笑ひながら座った。芭蕉もをかしがっ て「なに今に鳴くよ」といひながら、自分で立って茶器など取出して來た。芭蕉は紙衣を着てゐたが、それが古く皺になってゐるので、起居に何の音もしない、嵐雪は故らに感心したやうな顔をして「簑蟲の聲が先生には聞こえるとい ふのも、先生が餘り静かにしてをられるからです、私のような性來騒がしい者 にはとても聞こえません、つまり簑蟲の淋しい心が先生の静かな心に觸れて鳴 る之でしょう。是は實に神秘なものです、然し簑蟲も餘り鳴いては先生がお喧 ましぞ、もう鳴くな」などゝ又戯謔を云った。而して「何の音もなし稲うち喰 うて螽かな」と吟じた。簑蟲は素より鳴くものではなかった。芭蕉も嵐雪も、 初めから其を知ってゐた。而して、師から簑蟲の句を送られた時に、嵐雪は近 頃人戀しく淋しくてゐる師の心がひつたりと感じられたのだった。

『簑虫の記』についてp177

芭蕉庵の近くにゐる素堂は此話を聞いて、興がった。而して、「簑蟲の説」と いふ一文を作って見せた。其文は「簑蟲簑蟲、聲のおぼつかなきをあはれむ。 ちゝちゝと鳴くは孝に専らな るもの、いかに傳えて鬼の子ならん」と書き出し て「簑蟲簑蟲、無能にして静かなるをあはれむ。簑蟲簑蟲、形の奇なるを憐は れむ。僅に一滴を得れば其身をうるほし、一葉を得れば之が棲家となれり。龍 蛇の勢あるも多くは人の爲に身をそこなふ。如かじ汝がすこしきなるには」な どゝ書いてあった。芭蕉は此文を面白く思った。又朝湖といふ畫家は此事を聞 き傳へて、簑蟲の圖を描いて送って來た。それは墨色のからびた所へ、淡い色 彩をも加へて、巧みに出來てゐた。目をとめて見ると、其虫が動くやうであり、 耳を澄ますと、其虫が本當に鳴きさうにも思はれた。芭蕉は自分の蓑蟲の一句 が緒となって、素堂の文を得、朝湖の畫を得た事を興じた。是で簑蟲も意外の 面目を施した譯だなゞをかしがった。

 

『枕草子』(四十)清少納言著 石田穣二訳註編

 

○虫は鈴虫・ひぐらし・蝶・松虫(今の鈴虫)・きりぎりす(今のこおろぎ)・ はたおり(今のきりぎりす)・われから・ひをむし・蛍簑虫、いとあはれなり。 鬼のうみたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣 ひき着せて「今、秋風吹かむをりぞ、來むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げ て去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかり になれば、「ちちよ、 ちちよ」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。

(註「鬼」…男親 男親について「うむ」というのは、当時に言い方。「親の あやしき衣(きぬ)ひき着せて」…親鬼の粗末な着物。すなわち母親。「ちち よ、ちちよ」…乳々の意か。母を呼ぶ声である。






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最終更新日  2021年09月28日 09時59分59秒
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