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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年09月28日
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天保騒動顛末記 巨摩郡横手村浪人横手彦左衛門の場合

依田帯刀は三〇曰押込申し渡しであるが、八代郡中郡筋関原村浪人石原伝五左衛門は、

「切防も可致身分柄の処、心得違えに面炊き出し等を致し、殊に石原伝左衛門と言う紙旗等を相立て飯林等の所へ持ち運び、炊き出し」

したので、「百日押し込め」申し渡しになった。

 浪人について処罰されたのはこの二人だけだが、浪人について天保九年と推定される葉山孫三郎「甲斐国悪例仕癖申上候付」は、

「取株の浪人多く、右故去々申年郡内領より百姓騒ぎ立ての節も、壱人として門戸を閉じその防ぎ方いたした候者も此れ無き、騒ぎ候者の倅迄浪人と共に一同出府の上、長刀を帯び歩き行き、兎角流行気の国風」としている。

 もちろんこの資料は前記の川内領参六カ村駕籠訴状に対する反論と思われるから、その点を考慮する必要がある。

 また諸国浪人の性格は明らかで無いが、天保十四年七月の触書に、

「近年諸国在々、浪人體のもの多く徘徊いたし、頭分師匠圷与唱へ、廻り場留場と号、銘々私に持ち場を定め、百姓家へ参り合力を乞う、少分の合力銭等を遣わし候ヘバ悪口致し、或は押し面留宿を乞う。または病気などと申して逗留候内には種々の難題申し縣、金銭強請り取」り、無宿悪党と同様に召し捕えの対象になっている者を指しているのではなかろうか。

 

 巨摩郡(現白州町横手)横手彦左衛門は天保十年十月に、

 

天保一揆(天保騒動)について、『天保甲州郡内騒動の諸断面』の研究書がある。その中で白州町についての記述が見える。

 

 巨摩郡横手村の浪人横手彦左衛門(代々名主・町百姓)は天保七年十月に甲府代官所へ「甲州村々徒党及び乱暴候節防方致手配候始末申上候書付」

 

を差し出している。それによると横手村は甲州街道より二十町南に有る村で、八月二十三日に台ケ原宿に人足に出ていた者が、暮六時に帰村して、騒動が石和辺及んだ噂を伝えた。遠見の者二人が夜五半時に甲府や韮崎の状況をもたらした。巨摩郡の村々では遠見の者を出していたらしい。彼等の中には途中一揆に巻き込まれて参加し、後に処罰を受けている者が『甲騒落去』に見えている。

横手村では七時に村役人惣百姓が名主宅に集まって「剛毅の者四拾人、猟師七人、猪鹿威鉄砲七丁」と村内にある先祖所持ちで今では一丁宛て預けてある鉄砲二十五に玉薬や兵具を用意し、人数五十人の竹槍を拾人宛て村役人に差添え、他の者は棒を持ち、松明、夫食を用意する。横手彦左衛門は差働之者拾人と共に台ケ原宿名主の処へ行く。

二十四日昼八時に一揆が台ケ原に押し寄せ「私並びに召し連れ候者、及び同宿役人孫右衛門一同徒党人差留」めたが乱入され、「何れ差押し可申と手配」中に、徒党は横手・大坊新田・柳沢村に向かったので、彼らも村に帰ったとしているが、この陳述は少し問題がある。

『甲騒落去』によると、台ケ原宿名主伊兵衛は酒食用意、加勢人足馬駕籠を提供し、その為に処罰されているからである。恐らく彼らにしても多少の働きはしても、転進(逃げる)したのが真相であろう。

この際差働之者が依田家の手助人と性格的にどうかは不明である。

村に帰った横手彦左衛門は柳沢村の浪人駒井甚蔵と連絡を取り、村では四手に布陣したので、夜九時には一揆は「声立松明並び紙幟等建他多人数」で押し寄せたが引き返した。二十五日には村の固めを解いたが、台ケ原や白須では早鐘のため六十人を引き連れて行った。

その後逸見筋の中丸村(長坂町)付近で打毀しが始まったので、横手村人足四十余人、鉄砲十五丁を以って出かけたが、遠くで見ていたと思われる。

 ここに騒動を記した書があるので紹介する。書名は不詳。

(前略)

  賊は大豆生田(まみょうだ 須玉町)へ案内いたすべしと申し付け、嫌とあれば火をかけ、焼きはらんと脅しける故に、是非なく道まで案内して逃げ帰る。大豆生田村茂兵衛えを打毀し御服物残らず焼き捨てければ、それより酒造家和蔵酒食にて無事助かり、日野春村亀之丞を壊し道具類並びに衣類らを焼き捨て、片颪村(現白州町花水)へ押し行、三四軒打毀し、片颪橋を渡り台ケ原へ出で紙屋市兵衛を打毀し大塚屋にかからんとぞ仕りければ、近郊の鉄砲撃ちなど頼み用意したれども、多数の事ゆえ、なかなか手出しもならず、見合いたる処、二軒打毀し鬨の声を押し来るその有様、山林に響き渡り恐ろしき事例えかたなし。

酒造家伊兵衛、なにとぞ手段にて助からん隣家の者へ掛け合いつけ、炊き出しにても何様の望み成りとも仰せ付けられて、打毀し用捨てくれ候ように申し入れければ、予て徒党共仲間に欲しんのものありて、上の村利兵衛方の掛け合い耳に聞き入れ、扱にて我一人金子を着服せんと、双方を肴の酒食の上望みあり、承知有れば助け遣わさんと申しければ、伊兵衛畏まり候と早々炊き出し用いしけり、叱る処に追い追い一揆ども来たり、何故毀さんと申しければ、掛け合いに及び酒食の外望み承知有り、それ故暫く用捨てするなりと惣勢を押し静め、かの者参り伊兵衛に掛け合いせんと申しければ、皮羽織着たる大将分申すようあの身上ぶりにては、炊き出しくらいにては了解ならず、米二百俵金子も右に順じて出すならば了解致すべしと申し遣わしける。伊兵衛も是非もなくその趣承知して炊出し酒もい出し機嫌とりける所に、また申し遣わしけるは、承知印形組合名主連盟にて頭取方へ遣わすべしと申しけるゆえに、伊兵衛大いに当惑して御好みの二百俵直ちに差し上げ候ゆえ、印証の儀は御用捨に預かり申したしと答えければ、いやいや我々ども二百俵の米郡内へも持ち行くはあらず、当村にて困窮立ち行かざる者共へ差し遣わすなり、それ故書付入用なりと申しければ、名主の印形まで用意ならざる事なれば、伊兵衛申す様は村内の者へ遣す事人別にて割賦致し遣わし候間、私が間違いなく御心づき申し聞候間左様御承知下され候えど詫びけれども、頭分伏せうちにて得心なく書付けなく引くならば打毀さんと申し来たりける故に、しばらくお控え下され、組合共相談仕り候内と申し遣わし、酒を持ち運びて、宥め置き所へ、かの先に掛け合いに来る者、伊兵衛方え参り内々にて申しけるは、我等宜しく計らい申すべしと申しける故、米代も相済み事なら百両にては扱いたきものと、金子にて御了簡なされ下され候えば、差し出し申すなりと申しける。組合の者不承知なれども、打毀されては百も二百もでは中々済む事ではなく、先々百両で相済むならば頼みたきものとかの者へ掛け合えば、悪者申す様は、それがし駒井上野利兵衛もいよいよ得心にて百両遣わしける。その所へかの徒党ども待ち久しく大勢の仲間勝鬨の声を押し上げ押し来れば、かの者は表え飛び出し庭に干してある六尺桶へ駆け上がり、是ゝこの家を壊すべからず、我等呑み込み証文取りたり、打毀し無用無用と手を上げ留まると雖も多勢の群れる事ゆえ中々止まらず、自分の刀を抜き両刀にて振り廻し振り廻し、これこれここは壊す事ならぬと彼刀を霧消に振り、一人にして気を揉み焦りけりれば、総勢申しけるは己刀振り回す事何事なるぞと咎めければ、両刀投げ捨て手を挙げて我らが承知引き請けたりと胸を叩き、手を摺りて待った待ったと押しとめる。懐中にあり合う鼻紙を出し、伊兵衛が書付名主組合まで印形ある書付此処に有るぞと、高々と振り廻し下れ下れと申しければ、徒党共皆引き退き白須の方へ押し行けるとなり、さればこそ伊兵衛宅は別条なく逃れける。彼もの時の気転に白紙証文を振り廻し双方退けし事、是夢物語の中山卿御論紙を真似して百両の金只一人にて着服せり、あえて一揆どもは白須村へ押入れ所々乱暴為し、頭分は駕籠に乗り人足に舁せ、外の者帯刀家々の座敷まで土足にて打ち通り、金子又は拵え良き脇差など掠め取り暴れ歩き、作右衛門・右衛門・利兵衛・惣助・庄右衛門・次郎右衛門・半右衛門、これ等の者共土蔵共壊し立ち去る。

それより教来石村へ押し行き、当所の河西六郎兵衛と云う者、江戸深川木場に於いて出店ありて、材木問屋にて数年相談、甲州より往古仕入銀を遣わし置ける故に今もって江戸より小遣い銀送りければ、それにて家内は甚だ富家に暮らしぶげん(?)の数に入りたる冨家なり、江戸に於いても天満屋六郎兵衛と云い、東国に於いては教来石村の九郎九郎と謂る何故に九郎ぞと謂る。同村八郎右衛門宅を打毀し、教来石村へ向かい酒屋兵左衛門宅を打毀し山口関所へかかる。この関所巨摩郡堺にて蔦木えの通り筋也。この御関所も打ち破り押し通りける、その有様破竹の如く蔦木の宿へ出る、この村は諏訪の領分とて少しも厭わずして扇屋といえる旅籠や相応なる身の上なれば焚き出しさせ、甲州堺に大武川に討ち入り、重左衛門・清内酒造家なれば打毀し、同村灰石焼き相場往なす岩右衛門の宅を打毀しける。抑々徒党どもはそれより元来たりし道を蔦木へ出、扇屋にて夜食を支度させ小淵沢へ越え行く。(以下略)






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最終更新日  2021年09月28日 16時24分19秒
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