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新羅三郎義光 笙の事 松屋叢話(小山田與清)
清和天皇四代満仲之子 曰頼信 。 其子頼義。于時将軍任す 伊豫守に 。 其子有四人 。一人出家快誉。一人ハ義家。鎮守府ノ将軍號ス 八幡太郎 。 一人義綱。號 加茂次郎 。 一人號義光。是新羅三郎也。 この義光は、かくれなく笙に得たる名人也。 豊原の時元の子時秋といひし、 幼稚にして父をうしなひければ、 秘蔵の事をもえきかで有しに、 時秋道に深くや有けむ。 永保のとし、義光、武衡、家衡を責んとし、 戦場に趣給ひしとき、 江州かゞみの宿まで跡をしたひて馳参じ、 御供仕むといひけるを、義光深く諫給ひけれども、 猶参まゝに足柄山もでこえてけり。 義光仰られしは、 此山は関所もきびしく有べければ、 かなひがたかるべきと懇に申給ふをもきかで、 さらにとゞまるべくもあらねば、 義光かれが思ふ所をしろしめし、 馬よりおり人を退、芝をはらひ、 楯など敷て、大食調の譜を取出して、 時秋につたへ給ひけり。 時秋相うけて帰り、豊原の家を興しけるよし、 橘の季茂が記にみえぬ。 むかしの人の、道のこゝろふかゝりける事、 かくまで殊勝にこそ有けれ。 【註】この伝説は、義光と時秋の年代が合わない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年10月17日 05時54分42秒
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