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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年10月25日
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芭蕉 野ざらし紀行 素堂

 

山素堂

  こがねは人の求めなれど、求むれハ心静ならず。

色は人のこのむ物から、このめば身をあやまつ。

たゞ、心の友とかたりなぐさむよりたのしきハなし。

こゝに隠士あり、其名を芭蕉とよぶ。

はせをはをのれをしるの友にして、

十暑市中に風月をかたり、三霜江上の幽居を訪ふ。

いにし秋のころ、ふるさとのふるきをたづねんと、

草庵を出ぬ。

したしきかぎりハ、これを送り猶葎をとふ人もありけり。

 

     何となく芝ふく風も哀なり 杉 風

 

他ハもらしつ。

此句秋なるや冬なるや。作者もしらず、

唯おもふ事のふかきならん。

予も又朝かほのあした、夕露のゆふべまたずしもあらず。

霜結び雲とくれて、年もうつりぬ。

いつか花に茶の羽織見ん。

閑人の市をなさん物を、

林間の小車久してまたずと温公の心をおもひ出しや。

五月待ころに帰りぬ。

かへれば先吟行のふくろをたゝく。

たゝけば一つのたまものを得たり。

 そも野ざらしの風は一歩百里のおもひをいだくや。

富士川の捨子ハ其親にあらずして天をなくや。

なく子は獨リなるを往来いくはく人の仁の端をかみる。

猿を聞人に一等の悲しミをくはえて

今猶三聲のなミだだりぬ。

次のさよの中山の夢は千歳の松枝とゞまれる哉。

西行の命こゝにあらん。  

 猶ふるさとのあはれは身にせまりて、

他はいはゞあさからん。

誠や伯牙のこゝろざし流水にあれば、

其曲流るゝごとしと、我に鐘期が耳なしといへども、

翁の心、とくとくの水うつせば、

句もまた、とくとくしたゝる。

翁の心きぬたにあれば、うたぬ砧のひゞきを傳ふ。

昔白氏をなかせしは茶賣が妻のしらべならずや。

坊が妻の砧ハいかにて打てなぐさめしぞや。

それは江のほとり、これはふもとの坊、

地をかゆともまたしからん。美

濃や尾張のや伊勢のや、

狂句木枯の竹斎、よく鞁うつて人の心を舞しむ。

其吟を聞て其さかひに坐するに同じ。

詞皆蘭とかうばしく、山吹と清し。

しかなる趣は秋しべの花に似たり。

其牡丹ならざるハ、隠士の句なれば也。

風の芭蕉、我荷葉ともにやぶれに近し、

しばらくとゞまるものゝ形見草にも、

よしなし草にも、

ならばなりぬべきのミにして書ぬ。

 

『芭蕉文集』

この跋は濁子本『野晒紀行畫巻』素堂跋と殆ど同様である。

 (発行、岩波書店。杉浦正一郎氏・宮本三郎氏・荻野清氏共著)

『野晒紀行畫巻』

中川濁子が畫を加え、素堂の跋と芭蕉の奥書がある。   

 

  甲子吟行  素堂序

  我友ばせをの老人故郷のふるきをたぐねむついでに、

行脚の心つきて、

それの秋、江上の庵を出、

またの年のさ月ごろに帰りぬ。

見れば先頭陀のふくろをたゝく、

たゝけばひとつのたま物を得たり。

そも野ざらしの風ハ

出たつあしもとに千里のおもひをいだくや、

きくひとさえぞ、そぞろ寒け也。

次に不二の見ぬ日そ面白きと詠じけるは、

見るに猶風興まされるものをや。

富士川の捨子ハ憶隠の心を見えける。

かゝるはやき瀬を枕としてすて置けん、

さすが流れよとハおもハざらまし。

身にかふる物ぞなかりき。

みどり子はやらむかたなくかなしけれどもと、

むかしの人のすて心までおもひよせてあはれならずや。

又さよの中山の馬上の吟、茶の烟の朝げしき、

梺に夢をおびて、

葉の落る時驚きけん詩人の心をうつせるや。

桑名の海辺にて白魚白きの吟ハ、

水を切て梨花となすいさぎよきに似たり。

天然二寸の魚といひけんも此魚にやあらむ。

ゆきゆきて、山田が原の神杉をいだき、

また上もなきおもひをのべ、

何事のおはしますとハしらぬ身すらなみだ下りぬ。

同じく西行谷のほとりにて、

いも洗ふ女にことよせけるに、

江口の君ならねバ、答もあらぬぞ口をしき。

  それより古郷に至りて、

はらからの守袋より、

たらちねの白髪を出して拝ませけるハ、

まことにあはれさハ其身にせまりて、

他はいはゞあさかるべし。

しばらく故園にとゞまりて、

大和廻りすとて、

わたゆみを琵琶になぐさみ、

竹四五本の嵐かなと隠家によせける。

此両句をとりわけ世人もてはやしけるとなり。

しかれ共、

山路きてのすみれ、道ばたのむくげこそ、

此吟行の秀逸なるべし。

  それよりみよしのゝよしのゝおくにわけいり、

南帝の御廟にしのぶ草の生たるに、

そのよの花やかなるを忍び、

またとくとくの水にのぞみて、

洗にちりもなからましを、こゝろにすゝぎけん。

此翁年ごろ山家集をしたひて、

をのずから粉骨のさも似たるをもつて、

とりわき心とまりぬ。

おもふに伯牙の琴の音、

こゝろざし高山にあれば、峨々ときこへ、

こゝろざし流水にあるときハ流るゝごとしとかや。

我に鐘子期がみゝなしといへども、

翁のとくとくの句をきけば、

眼前岩間を伝ふしたゝりを見るがごとし。

同じくふもとの坊にやどりて坊が妻に砧をこのミけん。

むかし、潯陽の江のほとりにて楽天をなかしむるハ、

あき人の妻のしらべならずや。

坊が妻の砧は、いかに打ちて翁をなぐさめしぞや。

ともにきかまほしけれ。

それハ江のほとり、これハふもとの坊、

地をかふるとも又しからん。

いづれの浦にてか笠着て

ぞうりはきながらの歳暮のことぐさ、

これなん皆人うきよの旅なることをしりがほにして、

しらざるを諷したるにや。

  洛陽に至り、三井氏秋風子の梅林をたずね、

きのふや鶴をぬすまれしと、

西湖にすむ人の鶴を子とし、

梅を妻とせしことをおもひよせしこそ、

すみれ・むくげの句のしもにたゝんことかたかるべし。

美濃や、尾張や、大津のや、から崎の松、ふし見の桃、

狂句こがらしの竹斎、

よく鞁うつて人のこゝろをまなバしむ。

こと葉皆蘭とかうばしく、やまぶきと清し。

静なるおもひ、ふきハ秋しべの花に似たり。

その牡丹ならざるハ、隠士の句なれば也。

風のはせを、霜の荷葉、やぶれに近し。

  しばらくあとにとゞまるものゝ、

形見草にも、よしなし草にも、

ならバなるべきのミ、のミにして 書ぬ。  

 

かつしかの隠士 素 堂

 

甲子吟行

 この紀行は芭蕉の真蹟に素堂自筆の跋の附いたものが、門人曾良の手から贄川某に傳へられ、寄山といふ人が之を模写して同門の波静に與へ、安永九年(1780)に星運堂から発刊された。云々

  (『俳聖芭蕉』野田別天樓氏著。昭和十九年刊)

 

野晒し紀行

 野晒紀行畫巻は芭蕉の門人中川濁子が畫を加へ、素堂の跋と芭蕉の奥書のあるもので、本分の筆者は芭蕉でなく、素堂との説もあるが、確実ではない。原畫巻は東京の大橋家に珍蔵されてゐる。云々

  (『俳聖芭蕉』野田別天樓氏著。昭和十九年刊)

 

芭蕉…

  

 貞享元年八月、四十一才の芭蕉は、門人千里を伴い、江戸深川を出発。東海道を伊勢国まで直行し、郷里の伊賀国に着いたのは九月の初め、母の白髪に慟哭、千里と別れ、ひとり吉野の奥に西行を訪ねた。美濃国大垣の木因に寄舎し、次いで尾張国では『冬の日』五歌仙を巻く。越年を故郷で過ごし、奈良-京都-伏見-大津を経て再び尾張国を訪ね、甲斐国に立ちより、貞享二年四月末日に深川に帰庵する。  

 書名は

「草枕」

「のざらしの集」

「芭蕉翁野佐らし紀行」

「野晒紀行」   

「芭蕉甲子吟行」

 

 などと呼ばれた。その後次第に整理されて「野ざらし紀行」・「甲子吟行」と整理されてきた。

 

  






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最終更新日  2021年10月25日 15時33分14秒
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