カテゴリ:俳諧人物事績資料
** 『日本随筆』 俳諧関係記載記事 **
□ 誹諧の誹の字 【田宮仲宣 東□子】
誹諧の誹の字、人篇の俳の字を書事、甚可然(しかるべ)からずと。 夫誹諧の字は、随書の侯白伝に見へたり。 今おしなべて明板の史漢を伝へ読んで、 なまこざかしき者、俳の字に改めたり。 盖歴史は皆明朝にて改めしに、随書ばかりは改ざりしと也。 既にぞ随唐の頃、遣唐使または遊学の往来有て、 稍字法(ややじほう)も彼の国の例を用らるる事多し。 古今集の誹諧と云に、言篇を書れしこと斯くのごとし。 唐朝には正字、俗字、通字の三を混じ用ひらたり。 干祿字書を見るべし。言偏の誹の字は出所正し。 私に人篇の俳諧と云字、用ふる事有まじきこと也。 後世鳴呼の者有て、 古今集の誹の字をも人篇に書き改まじきにもあらず。 是唐以前の書を見よ。と或る人の仰せたれき。
□ 誹諧の発句 【田宮仲宣 東□子】
誹諧の発句をする徒、歳旦、歳暮の句を披露せんと、 標題に両節吟、或いは除元吟などと、 吟の字を書するは、忌まわしき字例なり。 楽府明辨云、 吁嗟慨歌悲憂深思以伸其欝曰吟 (ああがいかひいうしんしそのうつをのぶるをもってぎんいふ)。 又屈氏が漁父の辞に澤畔吟とあれば、歳首には遣ふまじき字例なるべし。
□ 俳言 【鳴呼矣草】
今時俳諧者流、俳言とて新規流行言葉、 不当に手爾波(てには)を用ゆること、 奇を好み却ってふしくれだち、 和歌連歌などの歌謡の訳に遠ざかるは拙く、 道に差(たがふ)といわんか。 兎角昔よりあり来たることよろし。 されば和歌連歌に、流行といふことなきを見つべし。 語呂のふしくれだつとは、東花坊が十論にも、 畠山左衛門佐(すけ)は歴々の諸侯なれど、 一転して山畠の助佐衛門といへば、 小作水呑み百姓なりと云しがごとし。 言葉手爾波を正しく遣ひたし。 なるほど小兒の習ふ商売往来を転じて往来商売といはば、 三度飛脚か雲助かとおもはるべし。 奇異の言葉は遣わぬこそ。
□ 俳諧の体 【鳴呼矣草】蕉門の事
俳諧の蕉門の徒に、付合の体を備えたは、 野波、越人の両人を巧者とす。 この両人の体を学がよしとかや。 故、ばせを(芭蕉)一世の間、 両吟の付合は、野波か越人なたでなかりしとなり。 兎角この両人の風体よろしと、ばせをもいはれしとかや。 今の蕉門の俳徒これおいはず、己が勝手にあしきにや。
□ 寂しみ 【鳴呼矣草】
俳諧者流寂しみと云処を旨とし諭す。 いかなる故にや。 市中交易の域にくらす 腸(はらわた)無理に寂しさを絞り出(いで)さししむ。 それ定家の卿哀れにさびしくは云う出でよし、 兎角にぎはしくはなやかに目出度和哥こそあらまほしとて詠み給ふ。 花見んとよそほひ車さくらにむれあそふ諸人 となん被仰けるとかや。 光廣の卿も面白がらす素人芸なりと被仰しとなり。
□ 選 【鳴呼矣草】
選は作より難しとかや。 また閲は机上ん塵を拂ふと、古よりいえり。 いかなれば、 順評とて、初心の人の句を批判するや、 于鱗(うりん)が唐詩の選に於けるや、 作よりも難しと、 人々これを称すれば、他の句の点評憚るべきことなり。
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最終更新日
2021年10月27日 06時51分31秒
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