カテゴリ:山口素堂資料室
山口素堂 「嵐雪追善集」 「嵐雪を悼む辞」
嵐雪子は芭蕉の翁とひとしく、 予が市中に住みし頃より逢なれて、 凡そみそちあまりの奮知音也。 蕉翁みまかりて何となく遠さかりけるに、 いつれの年か、重陽のあしたになりて、
かくれ家やよめなの中に残る月
と詠せしを、今にわすれす、 其の後洛陽に遊ひしころ、 大津の浦四の宮にて 本間左兵衛(丹野亭) 勧進能の沙汰を聞てまかりけるに、 嵐子も彼浦にありて、 山本氏の別業にて、 両三日かたらひそれより高観音にうそぶき、 からさきにさまよひ、 八町の札の辻にて、 たもとをわかちしより、面会せず。 指を屈して数ふれば早七とせに及べり。 其もとおもかけ今日にあるはことし。 近き頃は禅味を甘なひ、 ひたすら佛の道にそみて 終焉にも心たかはすとききて、 頼もしく覚え侍る。 又蕉翁の宗祇法師の 「さらに時雨のやとり哉」 といへる句を行脚の笠にいだきて ついに時雨の比に終りぬ。 嵐子もその願ひありけるにや。 時雨のころのたかはねも、又々あはれならすや。
かつしかの隠士 素堂 書 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年11月13日 04時36分30秒
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