カテゴリ:山口素堂資料室
素堂70才正徳元年(1711)『誰袖集』序文 薯編。
楚辞に梅を忘れ、 万葉に菊をもらせること、 鳳雅のうらみなるよし、 花の兄と弟草と、 和漢をわすれを対せるもをかしからずや。 思ふに、のぼれる代にはしひて花をいわず。 古詩におつるも梅あり、 書にも塩海の臣などといへるも、 みな花にあらず。 漸盛唐にいたりて季社をはじめ、 諸家の詩に見えたり。 猶好文の名もあるをや。 宗にいたりて、 東披が風水洞の梅を、 美少年の媒となし、 林和講が狐山の梅を妻とせしも、 又をかしらづや。 我日のもとにては、 くだらが王仁が難波のみこの位を定め、 人丸に詠ぜられ菅家に愛せられて、 其名ますますかうばし。 二十四番の番頭となり、 百家の魁として、 いづれの花かこれに敵せん。 梅もどきにもどくとも、 中々もどれず。
忍岡のふもとよりかつしかの里に家をうつせしころ
長明が車にむめを上荷かな 素堂
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最終更新日
2021年11月13日 18時40分43秒
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