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2021年11月25日
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 縄文時代の社会や生活と、弥生時代のそれとは大きく異なっている。

縄文時代は、狩猟・漁櫛を生産基盤とする時代であり、弥生時代は水稲耕作の上にたつ時代である。

そのために、弥生時代に農耕が始まると考えられてもおかしくない。

そして、一九二七年に山内済男氏が出した、縄文時代の農耕を積極的に否定する見解が、長い間うけ

入れられてきた。

 ところが、戦後になって、縄文時代に農耕や稲作が行なわれたことを示す遺跡や遺物が、次々に発見された。そのために、縄文時代中期には、あちこちで原始的な畑作が始まり、縄文時代後期もしくは晩期に、西日本の一部で稲作が行なわれたとする見解が有力になってきた。

たとえば、藤森栄一氏は、長野県八ケ岳山麓の縄文中期の遺跡から多くの土掘り具としての打製石器が出土することは、そこで焼畑が始められたことを表わすとする。また、氏は長野県富士見町曽利遺跡のコッペパン状の炭水化物は、農耕で作られた植物性食品であるという。

さらに、澄田正一氏も、飛騨・美濃山地の石皿は製粉に用いられたとする。

 そして、そのような畑作の普及を前提に、のちに稲がもたらされて水稲耕作が始まったとみられる。縄文晩期の土器に籾痕が付着した実例が、かなり多くみられるようになってきた。

また、福岡市四箇遺跡の縄文後期土層から採集された土を分析して、そこに稲が存在したことを示すデータが得られた。そういった成果の上にたって、縄文時代の稲の栽培を積極的に認めようとする春成秀爾氏らの意見も出ている。

佐原真氏のように縄文期の稲作に否定的な学者もいるが、今後の発掘によって、縄文時代の稲作をより明

確にあとづける遺物が発見される可能性は大きい。

 ただし、稲作の普及が縄文文化から弥生文化への発展をうながしたことは誤りないとしても、縄文時代の農耕は、狩猟・漁掃による食糧の獲得を補うものにすぎなかったと考えられる。


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古代稲作






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最終更新日  2021年11月25日 07時00分43秒
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