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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年11月28日
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カテゴリ:古代史料
☆桓武天皇、在位(781~806)
○天応1年(781)7月6日【『続日本記』】
 富士山噴火…駿河国言す。富士山の下に灰をふらす。灰の及ぶ所は木葉彫萎すと。
 《註》…噴火地点、静岡側。噴火様式、火山灰 小川考徳氏調査発表
○天応1年(781)10月16日
 甲斐など五カ国の十二人が私力で軍粮を陸奥国に運んだ功績で位階を授けられる。
○延暦1年(782)閏1月17日【『続日本記』】 
 ◆甲斐守…藤原内麻呂。従五位下。補任。大納言真楯三男
○延暦2年(783)閏1月【『大鏡裏書』】
 ◆甲斐守(~延歴4年)   
○延暦3年(784)4月30日【『続日本記』
 ◆甲斐守…紀豊庭。従五位下。補任。
○延暦3年(784)11月11日【『続日本記』】
☆遷都…桓武天皇、長岡京に遷都。
○延暦8年(789)3月16日【『続日本記』】
◆甲斐守…大伴王。従五位下。補任。桓武天皇第三子。
○延暦8年(789)6月9日【『続日本記』】
改姓…甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人、要部上麻呂・古爾鞠部・解礼らの本姓を田井・玉井・大井・中井に改姓
する。
○延暦10年(791)7月4日【『続日本記』】
◆甲斐守…橘安麻呂。従五位下。補任。
○延暦13年(794)5月24日【『続日本記』】
甲斐国…白鳥二羽を献上する。
○延暦16年(797)3月2日【『日本後記』】
甲相国境…使を遣わし甲斐・相模の国境争いを裁定、都留郡都(鹿)留村東辺、砥沢をもって領国の境とする。
○延暦18年(799)12月5日【『日本後記』】
改姓
甲斐国、百済系渡来人止彌若虫・久信耳鷹長ら百九十人石川・広石野姓を与える。
○延暦19年(800)3月14日【『日本後記』】
富士山噴火
駿河国言、去りぬる三月十四日より四月十八日まで、富士山の巓自ら焼く。昼は即ち烟気暗瞑にして、夜は即ち火光天を
照らす。其の声雷のごとく、灰ふること雨の如し。山下の川水皆紅色なりと。 
《註》噴火地点…静岡側。噴火様式…火山灰・溶岩流。小川考徳氏調査発表
○延暦19年(800)5月22日【『日本記略』】
 甲斐蝦夷…甲斐国に住居する蝦夷が乱暴を働き、朝廷は国司に対して教喩と法的処分を命じる。
○延暦21年(802)1月8日【『日本記略』】
富士山噴火…(実際の噴火は20年)是の日、勅すらく、駿河・相模国言す。駿河国富士山、昼夜、砂礫霰の如してへり。之を卜筮の求むるに、占いて曰わく、ここに疫ありと。宜しく両国をして鎮謝を加え、及び経を読み以て災殃を攘わしむべしと。
《註》噴火地点…静岡側。噴火様式…火山灰。小川考徳氏調査発表。
○延暦21年(802)1月11日【『日本記略』】
 甲斐浪人…甲斐など十か国の浪人四千人を陸奥国沢城に移す。
○延暦21年(802)5月19日【『日本記略』】
 足柄路廃…延暦廿一年五月十九日、相模国足柄の路を廃して、箱根の途を開く。富士の焼け砕きたる石、道を塞ぐを以てなり。
○延暦21年(802)8月14日【『日本記略』】
 諸牧課欠駒…牧の課欠については、必ず担当者を処罰し、馬を弁償させることを、甲斐 など諸国に命じる。
○延暦22年(803)3月9日【『日本記略』】
 諸牧課欠駒…諸牧の課欠の駒については、馬の徴収をやめ、かわりに駒一頭ごとに代価の稲四百束を徴収する事が、甲斐などの諸国に命じられる。
○延暦22年(803)5月8日【『日本記略』】
 足柄旧路…延暦廿二年五月八日、相模国箱根の路を廃して、足柄の旧路を復す。
《参考》「奈良~江戸期に起きた富士山噴火」
 山梨県文化財保護審議委員 小川考徳氏発表(山日2001、3、10)抜粋。
古文書に記載、確実に噴火があったとされる富士山噴火は、奈良時代から江戸時代にかけて計九回。このうち八六四(貞観六年)一七0七(宝永四年)の二つは既に噴火地点が判明していたが、平安期に起きた残りの噴火七回についてはよく分かっていなかった。
…調査方法は津屋氏(元東大地震研究所長)が手掛けた富士山の地質図を基に、各地点在する噴火口近くの溶岩流や溶岩樹型から木炭を採取し。炭の中に含まれる放射性炭素の減 り具合を調べることで噴火の時期を絞り込んだ、その上で古文書の内容と照合して噴火地点を特定した。(略)
《参考》
山梨県側の噴火
937(承平七年)火山灰と溶岩流を伴った噴火
1032(長元五年)火山灰と溶岩流を伴った噴火
1083(永保三年)火山灰と溶岩流を伴った噴火
静岡県側の噴火
781(天応元年) 火山灰だけの噴火
800(延暦十九年)火山灰だけの噴火
801(延暦二十年)火山灰と溶岩流を伴った噴火
864(貞観六年) 青木ヶ原樹海を形成したこの噴火は当初、南都留郡鳴沢村・長尾山火口から噴火したとされてきたが、その他に十カ所の噴火口があることを突き止めた。
999(長保 元年) 火山灰と溶岩流を伴った噴火
○大同4年(809)この頃【『類聚国史』】
◆甲斐守…安部真勝。従五位下。
○天応1年(781)7月6日【『続日本記』】
 富士山噴火…駿河国言す。富士山の下に灰をふらす。灰の及ぶ所は木葉彫萎すと。
 《註》…噴火地点、静岡側。噴火様式、火山灰 小川考徳氏調査発表
○天応1年(781)10月16日
 甲斐など五カ国の十二人が私力で軍粮を陸奥国に運んだ功績で位階を授けられる。
○延暦1年(782)閏1月17日【『続日本記』】 
 ◆甲斐守…藤原内麻呂。従五位下。補任。大納言真楯三男
○延暦2年(783)閏1月【『大鏡裏書』】
 ◆甲斐守(~延歴4年)   
○延暦3年(784)4月30日【『続日本記』
 ◆甲斐守…紀豊庭。従五位下。補任。
○延暦3年(784)11月11日【『続日本記』】
☆遷都…桓武天皇、長岡京に遷都。
○延暦8年(789)3月16日【『続日本記』】
◆甲斐守…大伴王。従五位下。補任。桓武天皇第三子。
○延暦8年(789)6月9日【『続日本記』】
改姓…甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人、要部上麻呂・古爾鞠部・解礼らの本姓を田井・玉井・大井・中井に改姓
する。
○延暦10年(791)7月4日【『続日本記』】
◆甲斐守…橘安麻呂。従五位下。補任。
○延暦13年(794)5月24日【『続日本記』】
甲斐国…白鳥二羽を献上する。
○延暦16年(797)3月2日【『日本後記』】
甲相国境…使を遣わし甲斐・相模の国境争いを裁定、都留郡都(鹿)留村東辺、砥沢をもって領国の境とする。
○延暦18年(799)12月5日【『日本後記』】
改姓
甲斐国、百済系渡来人止彌若虫・久信耳鷹長ら百九十人石川・広石野姓を与える。
○延暦19年(800)3月14日【『日本後記』】
富士山噴火
駿河国言、去りぬる三月十四日より四月十八日まで、富士山の巓自ら焼く。昼は即ち烟気暗瞑にして、夜は即ち火光天を
照らす。其の声雷のごとく、灰ふること雨の如し。山下の川水皆紅色なりと。 
《註》噴火地点…静岡側。噴火様式…火山灰・溶岩流。小川考徳氏調査発表
○延暦19年(800)5月22日【『日本記略』】
 甲斐蝦夷…甲斐国に住居する蝦夷が乱暴を働き、朝廷は国司に対して教喩と法的処分を命じる。
○延暦21年(802)1月8日【『日本記略』】
富士山噴火…(実際の噴火は20年)是の日、勅すらく、駿河・相模国言す。駿河国富士山、昼夜、砂礫霰の如してへり。之を卜筮の求むるに、占いて曰わく、ここに疫ありと。宜しく両国をして鎮謝を加え、及び経を読み以て災殃を攘わしむべしと。
《註》噴火地点…静岡側。噴火様式…火山灰。小川考徳氏調査発表。
○延暦21年(802)1月11日【『日本記略』】
 甲斐浪人…甲斐など十か国の浪人四千人を陸奥国沢城に移す。
○延暦21年(802)5月19日【『日本記略』】
 足柄路廃…延暦廿一年五月十九日、相模国足柄の路を廃して、箱根の途を開く。富士の焼け砕きたる石、道を塞ぐを以てなり。
○延暦21年(802)8月14日【『日本記略』】
 諸牧課欠駒…牧の課欠については、必ず担当者を処罰し、馬を弁償させることを、甲斐 など諸国に命じる。
○延暦22年(803)3月9日【『日本記略』】
 諸牧課欠駒…諸牧の課欠の駒については、馬の徴収をやめ、かわりに駒一頭ごとに代価の稲四百束を徴収する事が、甲斐などの諸国に命じられる。
○延暦22年(803)5月8日【『日本記略』】
 足柄旧路…延暦廿二年五月八日、相模国箱根の路を廃して、足柄の旧路を復す。
《参考》「奈良~江戸期に起きた富士山噴火」
 山梨県文化財保護審議委員 小川考徳氏発表(山日2001、3、10)抜粋。
古文書に記載、確実に噴火があったとされる富士山噴火は、奈良時代から江戸時代にかけて計九回。このうち八六四(貞観六年)一七0七(宝永四年)の二つは既に噴火地点が判明していたが、平安期に起きた残りの噴火七回についてはよく分かっていなかった。
…調査方法は津屋氏(元東大地震研究所長)が手掛けた富士山の地質図を基に、各地点在する噴火口近くの溶岩流や溶岩樹型から木炭を採取し。炭の中に含まれる放射性炭素の減 り具合を調べることで噴火の時期を絞り込んだ、その上で古文書の内容と照合して噴火地点を特定した。(略)
《参考》
山梨県側の噴火
937(承平七年)火山灰と溶岩流を伴った噴火
1032(長元五年)火山灰と溶岩流を伴った噴火
1083(永保三年)火山灰と溶岩流を伴った噴火
静岡県側の噴火
781(天応元年) 火山灰だけの噴火
800(延暦十九年)火山灰だけの噴火
801(延暦二十年)火山灰と溶岩流を伴った噴火
864(貞観六年) 青木ヶ原樹海を形成したこの噴火は当初、南都留郡鳴沢村・長尾山火口から噴火したとされてきたが、その他に十カ所の噴火口があることを突き止めた。
999(長保 元年) 火山灰と溶岩流を伴った噴火
○大同4年(809)この頃【『類聚国史』】
◆甲斐守…安部真勝。従五位下。





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最終更新日  2021年11月28日 09時39分11秒
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