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2021年11月29日
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沈丁花 チンチョウゲ

 

沈丁花は中田原産の端香料の常緑木です。白い小花がマリのように密生咲し強い芳香をはなち、その香りが沈チンチョウゲと読みますが、かつて久米正雄か朝日新聞へ「沈丁花」と題する小説を書いたとき、その香りは万葉風の母音が正しいとしてチンチョウゲと読ませたことから、今日では清濁二様に呼びます。

 

   十一代で終わった遊女 高尾

 

 『話のタネになる本』

   編者 東堀一郎氏 昭和49年刊

   発行 光文社

   一部加筆 白州ふるさと文庫

 

 

徳川家康が闘ハ州の大守となり、江戸がその政治の中心地となると、諸口の傾城屋(遊女屋)が入りこんで来て、たちまち隅田川のほとりを中心に遊女街ができた。政治の主脳である年寄たちが、この有様は武士を軟弱にするので、傾城街は箱根の西方へ追放してはどうか、と家康にお伺いを立てると、

日本国中の諸武士末末の者に至るまで、

江戸に来て諸国になき楽しみを果たさんと

存じ勇み寄るこそよけれ、苦しからざる間、

その分に永々さし置き候へ。

(事跡合考)と存続に決定。

 その殷賑を象徴するように名妓も出ましたが、とりわけ江戸初期の吉原の遊女屋三油屋四郎左衛門方の抱え娼妓高尾の名は、十一代も続いて有名です。

 初代高尾は子供があったので、子持高尾とも称され、後に仏門に入って尼妙心となります。二代目は仙台侯伊達網宗に身受けされたので、仙台高尾といい、綱宗の意に従わなかったので、三又の舟中で斬殺されたという伝説があります。

三代目は、水戸家の為替御用掛水谷六兵衛に身受けされたので水谷高尾といい、

四代目は三万石浅野壱岐守に請け出されたので浅野高尾と呼ばれ、

五代目は浪曲節で名高い紺屋高尾です。神田お玉池の紺野九郎兵衛に年季が明けて嫁しました。

六代目は越後高田で十五万石の榊原式部大輔に請け出された榊原高尾、

七、八、九、十代の高尾は話題になる事跡がなく、

十一代目は保元年に豪商に請け出されたのですが、その廓を出るとき、大門へ盛砂をしたり、その他僣上のふるまいがあったので、世間の非難を浴びました。

それ以来高尾の名ははばかって用いられなくなったのです。

 

刀の差し方 

 

マゲ物の素人芝居や、ドサ廻わりの役者の中には、刀の差し方も知らない人がいます。たいてい大小二本の刀を同じように左腰の帯と着物の間へ差すので、大小が片寄って動きがとれなくなる。刀と差す帯は角帯に限り、三重に巻き、小刀はその帯と帯の間へ差し、鞘先は帯と袴紐の間に差す。大刀に帯と着物の間に差しこみます。その大刀を抜くには、左腰へずらせた落し差しにかえてから抜く。






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最終更新日  2021年11月29日 15時35分01秒
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