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2021年12月14日
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カテゴリ:古代御牧資料室
古墳と御牧の位置ついて
  古墳と御牧の位置
 甲斐の御牧は現在の峡北地方に比定され既に定説化している。しかしであるそれは地名
比定や過去からの推説の積み重ねの上に成り立っている。古墳副葬品の馬具の出土地の分
布は、三牧の比定地と大きな差異がある。これは時代の違いによることも考えられるが、
 古墳出土馬具からは甲斐の古代に於いて峡北三御牧以前に既に乗馬や飼馬の事実が証明さ
れる。馬具出土古墳は甲府盆地周辺を取り巻く一帯からであり、峡北三御牧の周辺からの
出土は数少ない。それより古墳自体が峡北地方には極めて少ない。甲斐に御牧が設置され
たのは天長四年(827)であるから、その間に峡北地方に牧が移っていったことも十分
考えられるが。
 しかし甲斐の穂坂牧や真衣野牧と並びしかも甲斐の御牧からの貢馬が無くなってからも
継続された信濃の望月の牧周辺の古墳から馬具が出土している。地域は佐久平西部地域、
望月町、立科町、浅利村で古墳は六世紀後半からとされている。
   望月町  山の神一号墳、三号墳、四号墳、下高呂七号古墳、柳沢三号墳。
   立科町  正明寺古墳、
   浅利村  土合一号墳、久保畑古墳、上平古墳。
   小諸市  宮ノ前古墳、城山二号墳、西東山古墳、ウバ塚古墳。
   小諸市北部 諸二号墳、堰下古墳、立原一号墳、滝原字宮平古墳
 加増四号墳、加増六号墳。
   佐久市北部 東一本柳古墳、北西ノ久保一号墳、からむし一号墳。
 (『佐久市史』)
 勅使牧(御牧)は天長四年に甲斐、信濃、武蔵、上野の四国に置かれた。設置される条
件が満たされた国と地域であったことは疑う余地はなく、甲斐の三御牧についても同様で
ある。御牧設置についての条件を充たしていたのであり、四ケ国の内、その貢馬数は群を
抜いている。特に真衣野牧は駒牽行事の最初をかざる八月七日であり、貢馬回数は穂坂牧
を凌ぐものがあり、(別表参照)真衣野牧と穂坂牧の規模の大きさと管理の充実は目を
見張るものがあったと考えるのが妥当であり、それを窺わせる遺跡は発見されていない。
否、既に永年の開発により消失している可能性が大きい。
 峡北に在ったとされる甲斐の御牧は再考する時期に来ている。安易な狭い考察から生ま
れる歴史誤認は多く、御牧に置いても地誌に美豆の御牧は「穂坂、真衣野、柏前の三つ
の牧のこと」する書が散見できるが、「美豆の御牧は山城の近都牧」である。






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最終更新日  2021年12月14日 15時26分44秒
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