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2021年12月22日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

  甲斐 定額山善光寺由来

 

甲斐 古府中より新府中聞書 兜嵩雑記(とんがざっき)

 

抑定額山善光寺の濫觴をあらまし爰に書記、

そのむかし本多善光に起りて、

本尊は則信濃國善光寺生身の如来の気随に感期せり、

其由来を尋に、我朝人皇三拾代政明天皇十三癸中年に、

百済國聖明王より猷する所の閻浮檀金の如来、

三國傳来の因縁を以、悉敬も善光まもり奉りぬ、

 一子次郎善作早世す、

時に皇流三拾六代皇極天皇も同日同刻にましく冥土に趣給ふ、

閻魔王の裁断にあい給ふを、善作見奉りて悲しみに絶す、

如来の佛力を以て天皇の御罪に替り、

猶娑婆にして作善の者と成りて忽蘇生する事をともに得たり、

期て天皇重祚御座候て叉有明天皇と奉申ぬ、

此時に至て其忠賞として善光父子へ各國を與へて、

 

善光四品に叙任して甲斐國を賜り、

また善作には信濃國を給りける、

是より両國に善光寺と云寺建立して御佛に仕へ奉る、  

其後善光甲州におゐて卒去す、

則當寺に葬、今に四位の塚とて有之、

 

扨夫より八百余年の星霜を経て

弘治元年乙卯年武田信濃守源晴信入道信玄公、

信州より新古の乖佛を富寺に引給ひ、新に如来堂を建立し給ひ、

則永禄七甲子年領國三ケ年の貢産をもって建させ給ふ所、

檜皮葺きにて金堂高さ七丈五尺、桁行貳拾八間、梁間拾拾弐間、

廻り六尺の丸柱百参拾六本の内にも内陣弐拾八本有、

皆法華経ニ十八品を書き寫し、その上金箔をもって包みたり、

東西に四門を開き。南に八町の大門を構え、二十の山門を建て、

三重の宝塔、堂の前には六十四間の石段を敷き、

東西に番供十五字の僧坊を置き、

鐘楼には古しへ竜宮より献ずる所の霊鐘を懸け、

その他霊佛。霊像今に至り赦突たり。

 

 むかし信濃国善光寺如来を安置仕奉り候處にて、

故有て平安城に入り給う、その後信州へ遷し、

生身如来一体分化して釋の定尊法師感得し奉る所也、

斯て定尊大乗妙典四萬八千九百廿部読誦して、なお一千部書き写し、

日を積り年を重ね、建久五年四月六日に功終、

或る時定尊睡眠に及び、夢中に不思議の告げ有り、

同年十月十五日、信州善光寺へ参拝する。

またその後夜夢中に二重の錦張、忽然と開き、

一光三尊の聖容赦突たり、斯て宮殿に御声ありて、

宜しく慈尊出世遠に有り、

その間生死沉倫する衆生を憐れむ事功なり、

汝吾の願いを助けべし、

平等慈悲をもって無捨勧進、無我形想を鑄治して、

六八の開帳懸よと言、定尊前後の瑞夢を感し、

急き勧進の大望を發し、

また或時は内陣に待しめて目前の聖容を拜し奉るに、

所謂一光三尊にして、中尊阿倆佗如来、

六拾萬億那由他埴濤沙山旬の身量をっゞめ給ひ、

壱尺五寸の御丈にして、観音勢至二菩各御丈壱尺也、

中尊如来は則刀剣施無畏の印を顕し、観音勢至は般若本形の印をなし、
堂中に瑠璃の藥壺を持給ふ、

定尊不日に至迄半銭尺布を棒奉りて布施恰も山のことし、

紙の上に記す所、四萬八千七百余人、其外員ふるに暇あらす、

既にかたしけなくも尊容を鋳形に寫し奉るに、様々の奇瑞多し、

或る日鑪鞴をもふくるに、壱人の老僧忽然と顕れ、

着たる法衣の左りの袖を断って鏷中に投入て去りぬ、

是より尊容忽に成就し給ふ、

是則信州生身の如来なりといふ事をしりぬ、

終に建久六乙卯年五月十五日功を遂て、

御丈四尺五寸の阿彌陀如来の尊像を感徳し奉、

あらかじめずいしゆうの事有之三寸の寶塔をなし、

佛舎利を固て御胸の内に籠奉る、

観音勢至の二菩薩も各御丈三尺、

是亦同年六月廿八日に至り同治功をなし畢、

頓て開帳供養の法菰には難有し、本佛如来影向ましまして、

金銅の新佛を摩頭し給て、末代衆生の利益を受記し給ふ、

難有も如来の誓規當二世苦悩を破済し給ふ、

其外一切能満足と誓給ふとかや、然るに當山は本多善光に始り、

前後一千余年の星霜をかさね、

利生厳重にして巨蓋追口莫大なりて仰可信只純信称名を本とすと云々、

抑富山に安置仕奉る燈籠佛、是叉生身の如来一躰分化にして、

御丈壹寸六分、一光三尊閻浮檀金の如来、

 

昔往元亀三壬申年十月伊豆國之濱海中より上らせ給ひ、

赤澤茂左衛門と云僧の所え年久敷く安置仕奉る所に、

不思議之告げ有て、當寺中に西本坊と云僧、如来の教えにより、

則元和年中鐡燈籠に入奉りまもり移奉るなり、

彼佛勅として一切衆生の願望を、

佛躰の軽重をもって窺ひとすへきとの教有之、

今に至まで佛意に任せ、

軽重に二世の願望を窺ふにひとつとして違ふ事なし、

是によって御佛に向ひ奉、一心に掌をあはせ、

男はひだり、女は右の手にてあけ、

奉心中に念すへきは我往生を説くへくは上らせ給へ、

と念して上るに軽く上り給ふ、その時また凡夫の習ひ疑ひ多し、

彌往生とくへくは此度は重く上らせ給へと念して上る、

往生すへきは心おもし、爰におゐて安心決定す、

また往生叶わぬ者は、軽しと念するに重し、

重く重くと念するに軽くたらせ給ふ、

此時よく懺悔して一心に念佛を唱へ、

是より善心にかたむき奉へきを約東仕奉れは、

必願満足せり、或るいは一子を求る得へきや否、

男子女子を窺ひ、或は出世売買事、

または公事沙汰の願事、軽重をもつてしめし給ふ、

委事は本記録有之依先有増記。

 






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最終更新日  2021年12月22日 16時25分51秒
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