カテゴリ:北杜市歴史文学資料室
峡北地方物故文化人集
堀内田力一郎(りういちろう)氏著 昭和36年刊
一部加筆 山梨県歴史文学館 清水
偶感一束 1、筆者の一番気持ちのよいことは、大泉村『鳥の池 鳥の小池 現存』で、夜明けに川で顔を洗い、八ヶ岳高原を眺めると、太陽が静々と上昇する、思わず合唱する、心も身も清浄になる。これ以上気持のよいことはない。
雪の化粧はさらりとやめて、 素肌自慢の八ヶ岳 ともじる。
1、百計の牡丹も今が盛り、須賀川の多代女七十二の句 入かねて月もおはする花の上 牡丹は花の大様である。今年は一本で七十も花がついた。当他方のぼたもちは、もち飯を大きく握り、小豆のつぶしあん(潰し餡)などぶって食べる。最初は季節から名づけたものであらう。叉、見るからに牡丹の様にようにふくふくとして居る。田舎では最高の御馳走である。
Ⅰ、農家で一番あわれに思う先のは、農も済み、長年使われた老馬が博労に売られ、馬はもくもくと着いて行く姿である。千生爪忠岑が、甲斐目代として着任、*稲積荘(甲府)にて 秋ごとにかりるいねはつみつれど 老にける身ぞ置所なき とよんてある。姥捨山も老婆の希望であったろう。
Ⅰ、人問の欲望は、地位の満足、裕福の生活、子孫の繁栄、長寿、富の畜禎と際限がない。而し桧山絵画彫刻其の他藝術と云うものは、一寸誰もが真似は出来ぬ天才的のものである。 その小さな頭脳から何千年も伝わる文化財を産み出すのである。これ等は一朝一夕に発生するものでもない、少くとも二三代前から文化的思想が兆すし、所謂遺伝とも云うべきものであらう。「瓜の蔓には茄子はならない」と云う訳けである。
Ⅰ、田舎の文化人と云うものは、農のかたわら歌・俳句かつくるとか、或は公兵事業をするとか、面し 大ものけ少ない、画人などは本邦し僅か五六人にすぎない。これらの人々は直接間接社会を稗益して居るが、少したてば事蹟は消えて名前も忘れられて終う。之れては残念のことと思い、集録して後世に伝へて置こうという老婆心から出発したもので、また後人の参考の一助にもなるならば幸せである。 未だ未だかくれた人々が沢山あるが、調査の途がない。何れ補修することとする。 次に筆者在京中、江戸時代からの各種名人の墓所か、約十年三四百箇所実地調査し、墓碑銘も茟録してある。之れも何んとか出版して置きたいと思う。
昭和三十三年三月 著者記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月26日 16時20分07秒
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