カテゴリ:山梨の歴史資料室
古代~平安、甲斐ふる歌
甲斐の歌 註、 甲斐で詠んだ歌の中には全く関係ないものが山梨の歴史書多く含まれている。
古代から平安にかけて甲斐の名勝を詠んだ歌は、 「都留(鶴)の郡」 や 「塩の山さし出の磯」 であり、古代勅使牧の穂坂牧や小笠原牧・甲斐の黒駒などが多く見られる。
文化十三年に完成した『甲斐国志』の古蹟部には多数の古歌が収録されているが、中には間違いも見られ、特に真衣野牧関連として載せている歌は他所の歌である。 塩の山さしでの磯についても現在も笛吹川沿岸に差し出の磯があり、塩山には塩の山があるが、和歌集の注には所在不明とする書もあり海辺を歌ったようにも思われる。 甲斐の黒駒などは甲斐の地名としてより甲斐の名産馬としての知名度が高かったことが理解される。 歴史は古歌からは追求できないもので参考として捉えるべきであり、それは美豆の牧や小笠原小野牧の所在地の不確かなことからも分かる。 数多く残された和歌集から甲斐関係の歌を抽出したが、ここに載せたのせた歌が全てではなくいまだ未見の書もあり、今後のさらなる調査をして追刊する予定である。
▽日本書紀歌謡 日本武尊(やまとたける)
蝦夷既平ぎ、日高見の国より還りて、 西南の方、常陸を歴て、 甲斐の国に至りて、酒折の宮に居ましき。 時に擧燭して進食したまひき、 この夜歌以ちて侍者に問ひたまひしく 新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる と曰りたまひしに、 諸の侍者、え答へ言さざりき。 時に秉燭者有りて、王の歌の末を續ぎて歌ひしく 日日並べて 夜には九夜 日には十日 即と秉燭者の聴きことを美めて、敦く賞みたまひき
▽ 日本書紀歌謡
ぬばたまの甲斐の黒駒鞍着せば 命死なまし甲斐の黒駒 『日本書紀』
▽ 古事記歌謡(『古事記』)
即とその国より甲斐に越え出でまして、 酒折の宮に坐しますけるに、歌ひたまひく 新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる ここにその御火焼の老人、御歌を續歌ひしく 日日並て 夜には九夜 日には十日 ここをもてその老人を誉めて、東の国造りになしたまひき 『古事記』
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最終更新日
2021年12月27日 09時59分53秒
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