甲斐へ赴任する人
▽ 甲斐へ下る人に わかるれは 袖こそぬれる假初の 行かひち(甲斐路)とは思ふものから 『隣女和歌集』類従群集。 巻三 雑 飛鳥井雅有撰 【成立- (1259)~(1277)】
▽ かひの国にまかりて 忠岑
君が為 いのちかひへそ我は行 つるてふこほり 千世をうる也 『忠岑集』 忠岑-壬生氏。~延喜二十年(920)
・参考 かひの国へ下るまかり申し侍りけるに 忠岑 君が為 命買ひ(甲斐)にぞ我は行く 鶴(都留)のこほりに 千世を売るなり 『新千載和歌集』
▽ かひの国にまかりたりしほどにたのみたりし 女の人に名立と聞侍りしを帰まうてきて 忘るれは又も渡らぬうき事の 忘れすのみもおもほゆる哉 『忠見集』 忠見-壬生忠岑の子。~没、天徳四年頃(960)?
▽ 忠岑かもとに送る 貫 之 かひかねの松にとしふる君故に 我はなけきと成ぬへらなり 『紀貫之集』十 貫之-生、貞観十年(868)~没、天慶八年(945)
▽ かひへゆく人に 伊 勢 君が世はつるのこほりにあえてきぬ 定めなき世の疑もなく 『伊勢集』 下 藤原伊勢-生、元慶元年(877)~没、天慶元年(938)頃? (生、不明~没、正歴元年・990)
▽ 延喜六年六月廿一日壬生忠岑日次贅使として (『忠岑集』…920) かとのかはのにへ殿にあり、 躬恒宣旨かひの使として 忠岑かかへらむするに此歌を送る とゝむれととゝめかねつも大井川 ゐせきをこえて行水のおと
▽ 忠岑がもとに 凡河内躬恒(1309~1332) かひかねの松にとしふるきみゆゑに 我はなけきとなりぬへらなり 『夫木集』
▽ 甲斐の国へ下るまかり申し侍りけるに かひのかみに侍ける時、 京へまかりのぼりける人につかはしけり おのゝさたき(小野貞樹) みやこ人いかがとゝはば山かたみ 晴れぬくもゐにわぶとこたえよ 『古今和歌集』 貞樹-仁寿元年(853)甲斐守赴任。甲斐目。国司。
▽ 甲斐の国にあひ知りて 侍りける人とぶらはんとてまかりけるを、 みちなかにてにはかに病をして いまいまとなりにければ、 よみて 「京にもてまかりて、母に見せよ」 といひて人につけて侍りけるうた 在原しげはる かりそめのゆきかひぢとぞ思ひこし 今は限りの門出なりけり 『古今和歌集』巻第十六 哀傷歌 (滋春=在次君)は在原業平の次男 滋春- ~延喜五年(905)没?。業平の三男。 参考 -寛平六年(894)甲斐守赴任。
▽ (前略) かくて他国ありきくて 甲斐国に到りて住みける程に、 病して死ぬとて、詠みたりける
かりそめのゆきかひ路とぞ思ひしを 今はかぎりの門出なりけり
と、よみてなむ死にける。 この在次君(滋春)の一所に具して知りたりける人、 三河国より上るとて この厩どもに宿りて、この歌どもを見て、 手は見知りたりければ、見つけいと哀しと思ひけり 『大和物語』…天暦四年(950)頃成立
▽ 甲斐国よりのほりてをはりなる人の許にありける かはなきことによりてなおりそととおひいたしけれは よみ人しらす 鳥の子のまたかひ乍あらませはをは といふ物おい出さらまし 『金葉和歌集』【成立-天治元年(1124)奉覧】
…琴塚 和戸村-『甲斐国志』古蹟部 第一 山梨郡万力筋 里人或は在原滋春の墳なりとて在原塚とも云。石浮圖あり。 高さ五尺八寸臺五重の大きさ。横貳尺四寸五分。 厚さ八寸全圖附録に載す。 滋春は業平朝臣の次男在次君と称す。 昌泰二年(899)二月本州にて逝せり。云々
▽ 凡河内躬恒 かひのくにへまかりける時道にてよめる 夜を寒みおくはつ霜をはらひつゝ 草の枕にあまたゝひ寝ぬ 『躬恒集』 躬恒-寛平六年(894)甲斐赴任、甲斐少目。国司
▽ 甲斐大進為基かもとより 故師大納言集を尋につかはしたりをしりも 大事なる所勢ありて人してかゝせてつかはしける はかなさを誰かは君にかたまらし 昔の跡を尋ねはかりそ 『頼政卿集』 類従群集。巻二百四十六 【成立-長承二年(1133)】
▽ 隆経朝臣甲斐守にて侍ける時 たよりにつけてつかはしける 紀伊式部
いつかたは甲斐の白根はしらねとも 雪降るごとにおもひこそやれ 『後拾遺和歌集』【成立-応徳三年(1086)】寛治元年(1087)
隆経-治暦四年(!068)~甲斐守赴任 藤原通俊撰。
▽ 兼輔の兵衛督のかも河のほとりにて、 左衛門みはるのありすけの甲斐へ下るに賎したる日よめる ▽ 君ををしむ泪おちます此川の みきはまさりてなかるへら也 『紀貫之集』 類従群集。巻二百四十九 第八 有佐-寛治元年(1087)甲斐赴任。 ▽ かひかねの山里みれはあしたつの 命をもたる人そすみける 『紀貫之集』 五 ▽ 甲斐国にまかりけるみちにて 二村山のもみちをみてよめる 橘 能元 いくらともみえぬもみちの錦哉 たれ二村の山といひけん 『金葉和歌集』【成立-大治元年(1126)頃】 参考 二村山(武蔵国)
武蔵の国にまかりて二村の山のもみちをみてよめる いくらとも見えぬ紅葉のにしき哉 たれ二村の山といふらん ▽ みこの宮と申しける時太宰大弐実政学士にて 侍ける甲斐守にてくたり侍けるに餞給はすとて 治歴四年(1068) 思ひ出はおなし空とは月を見よ程は 雲井にめぐりてあふまで 『新古今和歌集』【成立-元久二年(1205)】 撰者-通具・有家・定家・家隆・雅經・寂蓮 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月27日 10時57分20秒
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